2026.05.25
国際シンポジウム「アニメとジェンダー」開催報告
2026年5月9日に開催いたしました国際シンポジウム「アニメとジェンダー」には、多くの皆様にご参加いただき、誠にありがとうございました。国内外からお招きした4名の研究者による発表に加え、その後の質疑応答においても、大変活発かつ有意義な議論が交わされましたこと、心より御礼申し上げます。
本シンポジウムでは、さまざまなジャンルのアニメ作品をジェンダーの視点から分析することで、アニメに描かれてきたジェンダー問題を改めて見つめ直すとともに、ジェンダー表象の新たな課題も指摘されました。同時に、アニメが持つエンパワーメントの可能性や、作品に表現されるジェンダーの多様性とその意義について、多角的な議論が行われました。
また、本シンポジウムで実際に行われた発表内容を以下にまとめましたので、ぜひご覧いただき、理解を深める一助としていただければ幸いです。
日本のポピュラーカルチャーにおけるジェンダー化された暴力:カナダにおけるアニメ教育の課題
シャラリン・オルバー (ブリティッシュ・コロンビア大学)
カナダでは漫画やアニメを日常的に楽しむ人が多い一方で、北米社会の法律や社会規範を通じて、「どのようなジェンダー表現やセクシュアリティ表現が許容され、どのような表象が差別的と見なされるのか」という価値観も強く共有されている。そのため、日本の漫画・アニメに見られる自由で実験的なキャラクター表現は、ときに北米の学生たちに混乱や強い関心を引き起こしている。一方、日本ではキャラクターやジェンダー表現を、現実のアイデンティティと直結して捉えるよりも、演劇性・型・ファンタジーとして捉える傾向が強い。
つまり、北米的な視点(アニメやマンガのキャラクターを現実のアイデンティティと結びつけて捉える見方)は、特定のジェンダーやセクシュアリティに対する差別などの社会問題を可視化することができる。一方で、日本的な視点(ポピュラーカルチャーをファンタジーとして捉える見方)は、現実社会では見えにくいジェンダーやセクシュアリティの側面を、マンガ家やアニメ制作者が浮かび上がらせることを可能にしている。どちらの視点にも価値があり、大学の授業では両者がどのような文化的前提や価値観に基づいているのか、その差異を理解し合うことに重点を置いている。
白・魔法少女と黒・魔法少女の表象―魔法少女アニメにおける“少女性”
須川亜紀子(横浜国立大学)
本発表では、約60年の歴史があるアニメの一大ジャンルである「魔法少女」アニメ(魔法を使う少女が主人公のアニメ作品)の道徳的倫理的に良い少女主人公を「白・魔法少女」と措定し、そのトロープでは描けなかった様々な矛盾に向かい合うネガティブなイメージの少女主人公を「黒・魔法少女」として比較しながら、日本のジェンダー規範の交渉と挑戦の場として魔法少女アニメをとらえ、そこで構築される「少女性」を論じた。
「白・魔法少女」アニメでは、『魔法使いサリー』(1966-68)、『ひみつのアッコちゃん』(1969-70)、『魔法の天使クリィミーマミ』(1983-84)など、善行の報酬で魔法を得る普通の少女や、魔界から地球に訪れて魔法を“正しく”行使する少女が人々を幸せにするトロープが定型である。しかし、純粋無垢で夢と希望を与える「少女性」とは異なり、親の虐待やシングルマザーのメタファーを描いた『魔法少女リリカルなのは』シリーズや、恋愛の挫折で排除すべき「魔女」と化したり、自己犠牲で完結した「少女性」を否定する『魔法少女まどか☆マギカ』(テレビ2011;映画12-13)シリーズなど「黒・魔法少女」アニメは、理想的に構築された「少女性」に異を唱えている。
⼥性兵⼠、完全な能⼒主義社会、そして「男性問題」――『幼⼥戦記』第1話を鑑賞する
川口茂雄 (上智大学)
従来男性ばかりが占めていた職場に女性勤務者が増えることは、ジェンダーの観点からはより良いことと一般的には考えられる。しかし、軍隊はどうか。社会のエッセンシャル・ワークである一方、存在自体に違和感が伴いうる職種。そこでの女性の増加は何を帰結するか。
ピカソ《ゲルニカ》においてさえ、〈前線/銃後〉の二項対立に〈男性/女性〉が対応するジェンダー付置が見られた。2011年の偉大な深夜アニメ作品『魔法少女まどか☆マギカ』では主人公は“専業主夫”家庭におり、前線で危険な戦闘を戦うのは女性のみである。2017年の『幼女戦記』では、年齢・性別を問わない“平等な”軍事的動員が広がる戦時社会が描かれる。女性兵士の存在は、男女平等の象徴なのか。それとも、女性の軍事化=男性化か。おそらく答えは単層的ではない。
佐藤文香『女性兵士という難問』(2022年)は、軍隊の男性性は矛盾をもともと含んでいたと指摘する。規律の厳しいプレッシャー、画一的な装い、絶対的服従といった要素は個人の“男性的”な意志や力をむしろ抑圧した。他方で、一集団内部で統制や連帯が高まっても、国家や世界において戦争の勃発を抑止することに直結はしない。その矛盾を、突き放した高度な表現構築によって『幼女戦記』は悲劇的・喜劇的に描き出している。
過疎と青春―『Free!』
石田美紀 (新潟大学)
本発表は、アニメが作り上げる美しい男性身体の「消費」の一例として、高校水泳部の男子学生たちの青春物語『Free!』(2013)を分析した。男性身体は、仲間の男性部員、そして女性部員に「見られる」対象として登場する。これは、BLで採用されている美しい男性身体を見る男性、さらにはそうした男性の関係を楽しむ女性オーディエンスの視線を取り入れたものである。男性身体が美的に見られ、消費されるというBL的想像力を巧みに利用することで、本作は女性視聴者に人気を博した。次に、美しい男性身体の「消費」が作品内にとどまらず、物語の舞台となった島根県岩美町への観光誘致に繋がることを指摘した。アニメの舞台になった地域がファンを観光客として呼び込むコンテンツツーリズムが各地で行われているが、『Free!』もそうである。新海誠の登場以降にアニメに定着した、現実をそれ以上に美しく見せる風景描写はこの作品でも実践される。美しい風景の中で、美しい男性身体が演じる、美しい青春物語は、その土地での消費を促す契機となっている。アニメにおいて美しく消費される男性身体も、人口減少に苦しむ地方の地域復興を支える文化資源となっている事実がある。それもアニメとジェンダー研究が取り組むべき課題の一つである。
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