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2021.12.08

令和3年度第8回講義:五十嵐 誠さん(H8卒/H23OBS修了)「多様性社会におけるキャリア形成 〜OBSで激変した我が人生〜」

講義概要(12月8日)

 

○講師:五十嵐 誠氏(平成8年商学部経済学科卒。平成23年大学院商学研究科アントレプレナーシップ修了/緑丘総合研究所)

 

○題目:「多様性社会におけるキャリア形成 〜OBSで激変した我が人生〜」

 

○内容:

インターネットの普及が本格的に進んだ時代に大手通信キャリアに入った私は、図らずも超がつくようなゼネラリストとなるキャリアを積んだ。しかし、進路への不安に駆られながら学んだOBS40代の私に転機をもたらし、それは株式上場という得がたい体験にもつながった。雇用の形態が大きく変容しつつある現在の後輩たちに、経験を通して得たことを語りたい。

 

 

 

OBSが広げ、繋いでくれた私のキャリア

 

 

五十嵐 誠氏(平成8年商学部経済学科卒。平成23年大学院商学研究科アントレプレナーシップ修了/緑丘総合研究所)

 

 

 

 

インターネット時代の幕開けに、NTTに就職

 

 

近年、日本の労働環境や雇用が変わりつつあります。コロナ禍で、いうまでもなく大学の学びの環境も激変したことでしょう。

今日は、こうした渾沌とした時代に生きる皆さんに、厳しい環境の中でもいろいろチャレンジしてほしいという気持ちをもって、私自身の経験をお話ししたいと思います。もちろん、私はたまたまこう生きてきたということですから、これが正解だ、という意味ではありません。

 

卒業は1996(平成8)年です。在学中いちばん熱中したのは、体育会バスケットボール部でした。ゼミは、計量経済学の西山茂先生。そしてあとで詳しくふれますが、社会人になって仕事に熱中していた2008年、35歳でOBS(Otaru Business School・小樽商科大学大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻)に入ります。3年間の長期履修を取ったので、2011年に修了しました。

 

就活ではメーカーや商社など幅広く狙いましたが、結局NTT(日本電信電話株式会社・現在の東日本電信電話株式会社・NTT東日本)に就職しました。時代を俯瞰すれば、ウィンドウズ95が普及して、インターネットがいよいよ誰でも身近に感じられるようになったころです。

地域採用で、はじめは小樽支店でISDN回線の営業をして、2年目には後志の学校などを顧客にした地方自治体への営業。3年目に東京本社に異動になり、中小企業向けのサービスを開発する部門で働きました。着信した相手からの電話番号を表示するナンバーディスプレイを活用した業務用システム開発です(今では当たり前の技術ですね)。その後、本社法人営業部門で大企業への営業企画。次は係長になって札幌へ。札幌では中小企業を顧客にしたコールセンターの営業企画をして、次に北海道支店全体の経営企画部門に移ります。この時代にOBSで学んだのでした。

札幌を離れる辞令が出て、次はまた本社のサービス開発部門。その後課長となり、埼玉のコールセンターの所長になりました。200人のオペレーターを抱えるセンターをふたつ担いました。それからコールセンターの総務人事部門。そして次は本社で、社内システムの開発の仕事を2年ほどします。

40代半ばのこの時期は、自分のキャリアに自問自答しながら悩んだ時期でもありました。そしてOBSが繋いだ縁で、札幌のIoTのベンチャー企業、エコモット株式会社に転職しました。創業9年ほどたったころで、株式上場を計画しているので、NTTで経験して貯えた力を貸してほしい、という誘いをOBS同期の入澤さんから受けたのです。

 

 

 

キャリア形成期の不安に、OBSが応えてくれた

 

 

NTTでの私の同期は、なんと全国で3千人くらいいました。その数年後には新卒の大卒事務系の採用がゼロになるなど、たいへん変化の激しい時代でした。

その中でも、ご覧いただいたように私のキャリアにはまったく一貫性がなく、バラバラでした。顧客は、個人から中小企業、そして日本を代表するような大企業まで。職種は、企画、開発、営業、管理。しかもこれらを本社と支店で経験しています。ふつうは営業なら営業、開発なら開発、管理系なら管理系と軸があるものなので、こういうキャリアはきわめて稀です。なぜこうなったのか。NTTの同僚からも「意味不明な人事だね」と言われたり、同期やまわりからはしばしば驚かれました。よく言えば、「超ゼネラリスト」。悪く言えば、ただの「器用貧乏」。

なぜこんなキャリアを歩んだのか—。私は自分で考えてみました。NTT東日本グループで約4万人も社員がいる大企業ですから、とにかくさまざまな顧客と職種があって、さまざまな社員(上司)がいます。そんな中で自分は、「そこ優秀」で、「ストレス耐性が高い」のだろうな、と。

私が異動になる部署はたいてい、新事業・新組織の立ち上げとか、あまりうまく行ってないので改変するというところ。安定してまわっている部署は少なかったのです。そこへ、傭兵(雇い兵)のように送り込まれていました。本当に優秀な人材なら、所属する部署はもったいなくて出さないでしょうから、「そこそこ優秀」です。がんばって移動先の部署で結果が出ると会社は、よし次はあそこに送ろう、という感じではなかったかな、と思います。

 

これで良いのだろうか、という迷いが最初に起きたのは30代前半。義母の介護が必要になり、札幌に異動願いを出したときでした。大きな会社の良さのひとつとして、家族の事情に伴う要望が通りやすいことがあります。

札幌で働きはじめると、本社と支店の仕事の密度やスピードが違うことを痛感しました。やはり本社の仕事のレベルは支店とは違います。これでは本社に戻っても向こうのレベルについて行けるかな、と心配になってきました。そこで、札幌での転職を考えました。自分が進みたいところ—。それはやはり、高い技術で時代を拓いていくような、ITの分野でした。転職エージェントに相談しましたが、札幌のIT系の企業ではそういう希望はかないづらいだろう。NTTに残ってそのチャンスを待つ方が現実的でないか、と言われました。

さらに、ゼミでお世話になった西山先生とお話しすると先生は、ならばこの機会にOBSでもう一度学び直してみるのはどうだ? とおっしゃいました。これは腑に落ちました。そしてこの札幌時代に、私はOBSで学び、それが結果として、のちの人生の激変につながっていきます。

 

 

 

「超ゼネラリスト」が、市場を換えるとスペシャリストになる

 

 

OBSで学んだあと私は本社に戻ってサービス開発の部署で働きます。その後、コールセンターの所長になり、総務・人事の仕事をして、さらにまた、本社の社内システム開発の部署に移りました。

40代半ばになって、このまま「超ゼネラリスト」で進んで行くとどうなるのかな、といよいよ不安になります。そこそこ幅広い業務ができる。だから社内の人脈も幅広くある。でもお前の専門は何だ? 50代をどう迎えるのだ?と自問すると心が晴れません。社内人事の一つの要素として、自分を引き立ててくれる長いつきあいの上司がいることが多いのですが、部署を転々としてきた私にはそういう上司もいません。さらには、この先またちがう分野に行ったとしても、若いときのようにすばやく適応していくフットワークもあやしくなるでしょう。転職するならこれが最後のタイミングだと思い、活動をはじめました。

そんなとき、かつてOBSの同期で学び、2007年にITベンチャーであるエコモット株式会社を立ち上げて軌道に乗せていた、代表の入澤拓也さんから声をかけられました。「転職活動をしていると聞いたよ。いっしょにやらないか?」

上場を計画しているから力を貸してほしい、と言うのです。心が動きました。

給与はNTTにいた方が良かったのですが、ITベンチャーはやりたい分野であるし、NTTでとにかくいろんなことを経験してきた自分なら貢献できる。このままNTTで悶々としているよりずっと良いと思い、転職を決めました。「超ゼネラリスト」である自分ですが、その経験や技能は、中小ベンチャー企業ではスペシャリストのスキルになり得る、と考えたのです。

 

2017年。エコモット(株)に入社して少し経ったころ私は、以下の意味のことをブログに書きました。

自分がNTTに入ったのはインターネットが普及し始めた1996年。ネットが世界を変えていくさまを最前線で体験してきた。そこから20年強。いまやインターネットは老若男女、社会のすみずみに浸透して、数年前からは第四次産業革命の核になるIoT(Internet of Things・モノのインターネット)の急速な普及がはじまっている。ビッグデータ、AI、ロボットの時代。サイバー空間と現実空間が高度に融合した社会(Society5.0・内閣府)の実現をめざすこの大きな流れのなかに自分も身を置きたくて、いまワクワクしている。ITが社会を大きく変える局面に人生で二度も関わることは幸せである、と。

 

NTTに入社したときはそんな風に社会を俯瞰できませんでしたが、この時点では、ITによって新たに第四次産業革命が起きていて、さまざまな新しい技術が次々に社会実装される時代に自分は生きている、ということが実感できました。「仕事を通して自分は何をしたいのか?」という問いと答えは、この方向にあると確信できたのです。

大企業を辞めることには不安もありましたが、それを打ち消す強い気持ちがありました。

 

エコモット(株)には4年ほど在籍しました。

濃密な時間でした。2017年6月には札幌証券取引所アンビシャス市場、2018年6月には東京証券取引所マザーズ市場にそれぞれ上場を果たしました。これは大企業にいては絶対に体験できない、得がたい経験でした。取引をする初日にセレモニーがあり、備え付けの鐘を鳴らします。創業者でなければ、いまの名だたるどんな大企業のCEOも、この鐘は鳴らしていない方の方が多いでしょう(笑)。

2020年2月には財務担当役員も兼務しました。有価証券報告書には、問合せ先責任者として、取締役経営企画部長・五十嵐誠、と記載されました。OBSで学んだとき、有価証券報告書を作成する課題があったことをよく覚えています。まさか本物の報告書に自分の名前が載るとは思っていませんでした。商大卒ですが、簿記三級も取っていない自分の名が載ってしまうとは(笑)。部下には優秀な公認会計士がいたので、もちろん大丈夫でした。

代表の入澤さんはいつも、役員はとにかく馬車馬のように働け!と檄を飛ばしていました。それで私も、経営企画から、売上げの責任を持つ営業部長、そして総務人事、広報、上場に関わる仕事など、何でも屋として仕事一筋、脇目もふらずに働きました(前しか見えなくされているのが馬車馬、馬車を曳く馬です)。

 

 

 

 

 

時代は「ジョブ型雇用」へ

 

 

エコモット(株)が上場を達成して、さらに大きく市場価値の高い会社にしたい、と思う一方で、そろそろ自分ひとりの力で何かをしてみたい、自分の力をさらに試してみたい、という気持ちが湧いてきました。周到な準備の上で、というわけではないのですが、そんな思いに突き動かされて今年(2021年)の1月、独立して事務所を構えました。「緑丘総合研究所」です。独立するとなれば、学部で学び、OBSで私の人生を大きく転換して拡張してもらった、母校の名を冠したことをしたいと思いました。

実は自分としては少し休もうかなとも考えていたのですが、大手通信キャリアでの20年の経験と、中小企業の株式上場の現場にいたキャリア、これが思いのほか評価されて、いろいろな仕事が持ち込まれました。ITベンチャーの顧問とか、単発的に起業や経営のコンサルタントを頼まれたのです。北海道の基幹産業である観光にITを取り入れるというテーマで、大学の非常勤講師の仕事も依頼されました。

 

さてここから、今までの私の経験を踏まえて、日本の雇用制度がいま大きな曲がり角にある、という話をします。そのあらましを考察して、その中で自分はどうするかを考えてほしい、という事前課題を出しましたね。

昨年(2020年)の年頭、経団連の中西宏明会長(当時)は、「雇用制度全般の見直し」が必要である、という注目すべき発言をしました。かつての経済成長が前提の「新卒一括採用」「終身雇用」「年功序列型賃金」が特徴である日本型の雇用は、もはやうまく機能していない。全面的に見直さなければいけない、というのです。全体としての賃上げはもちろん重要だが、スキルや意欲のある人がさらに活躍できる環境づくりも大事である、と。

 

これに先だって2019年の5月に、日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)も、日本の終身雇用は、守っていくのが難しい局面にある、と発言しています。日本は、世界の中で労働の流動性が低いことが問題である、という認識でした。

皆さんも時代の流れを感じていると思いますが、大学を卒業して就職すると、定年までその会社で働く、という常識はもはや通じないのです。

 

近年、雇用における「メンバーシップ型」と「ジョブ型」という分類がよくされるようになっています。

「メンバーシップ型」とは、旧来の「新卒一括採用」「終身雇用」が前提のもので、入社するときには仕事の内容や勤務地などは決まっていません。入社後は、幅広い分野で総合的なスキルを身につけていくことになります。社員の評価は、標準化が難しくあいまいです。

これに対して「ジョブ型」は、欧米のように「通年採用」で「ジョブホッピング(転職を繰り返す)」志向。入社の時点で仕事の内容や求められる能力が明確で、それに応えられる人が応募します。だから限られた分野で専門的なスキルや経験が求められます。評価も、求められた仕事の成果で明解に下されます。

 

NTTでは今年(2021年)秋から、「ジョブ型」人事制度の適用範囲を全管理職に拡大しました。従来は部長級以上でしたが、課長級以上に改めたのです。終身雇用は維持しながらも、外部環境の変化や社員のスキルに応じて、柔軟に登用や降格が行われる、とのことです。ですから、私は課長になるまで15年かかりましたが、この制度なら最短で6年、20代で課長になれます。

 

 

 

学び続ける気持ちが、大切な仲間づくりにつながる

 

 

「ジョブ型」の人事制度が広がっていく中で、これから求められるのはどんな人材になるでしょうか。

知識の幅を横軸に、知識の深さを縦軸にしたマトリックスで考えてみると、ゼネラリストは、深さはないけれど知識の幅が豊かです。これに対してスペシャリストは、幅はないけれど縦に深い。深さを追求すると、「I」の字のようになります。高度なスキルを身につけるほど、「I」の字は縦に長くなります。

そしてこれからは、幅広い知識をもちながらさらにひとつの分野で深い知識をもつ、マトリックスに「T」の字を描くような人材が求められるのです。

さらには、スペシャリストである分野をもうひとつ持つ。これは「π」型の人材です。ITの技術があり、さらには会計の知識も深い、というような人がいれば強いですね。

そして強調したいのは、スペシャリストとしてのスキルとは、その会社の外でも通じるものでなければなりません。ひとつの企業の中でしか通じないスキルには意味がないでしょう。

 

さてでは、こうした時代に皆さんはどう歩んでいけば良いのか。

「進みたい分野が決まっている人」は、必要なスキルをいまから磨いてください。そして就活での企業研究では、B2B(企業間取引)の企業やベンチャーにも目を配ってください。消費者として暮らしているとどうしてもB2C(企業個人間取引)の企業に目を向けがちですが、社会を深く動かしているB2Bの企業はたくさんありますし、中小ベンチャーにも素晴らしい企業は世界にたくさんあります。

一方で、「進みたい分野がまだ決まっていない人」もたくさんいると思います。でもあせる必要はありません。学生生活をおくりながら自分の志向や適性をよく見定め、就活での企業研究では、条件や勤務地だけに縛られず、「若手社員の育成が強い」といった要素も重視して、自分のキャリア形成にふさわしい進路を慎重に選びましょう。そうすれば、就職後に「自分の進みたい分野」を見つけることも可能です。

 

一般に、社会人になって30代前半くらいまでは、その会社でいくつかの職場・職種をまわって経験を積む時期です。この時代に、自分の適性や進みたい分野を見出してください。

その時期が過ぎたなら、経験を社の内外でも通用するスキルへと伸ばしていきます。「進みたい分野+その周辺のスキル」も身につけることを意識しましょう。そうして、社の内外にネットワークを広げていきます。さらには、ビジネスの損得以外で繋がっていられる友人、仲間を作ってください。私にとって損得の外で繋がっていられる仲間とは、OBSがまさにそうでした。そしてOBSのカリキュラムは、私がいま言ったことに照らしても、実によくできたものだなあと、あらためて思います。

なんだか幅広いゼネラリストとして育ってしまった私は、30代半ばのOBSで、いろいろな分野を串刺しするような学びができました。それぞれの分野の知識を深く関連させることができたと思います。そして札幌を離れて本社でマネージャーとして経験を積みながら、身につけたことをさらに磨いていきました。その上で札幌のベンチャーに転職して、取締役としての専門性をより深めることができたのです。

 

ちなみに私が学んだ5期からは、エコモット(株)の入澤拓也さん、そして北海道歯科産業(株)の山田哲哉さんと、上場を果たした起業家がふたりも出ていて、ちょっと自慢です(笑)。入澤さんは、先に述べたように、札証アンビシャス市場と、東証マザーズ市場。山田さんは、昨年(202011月)に東証東京プロマーケット市場に上場しました。

 

最後に私からのメッセージをまとめてみます。

コロナ禍はもとより、経済や雇用をめぐってこれからさらにめまぐるしい変化が起こるでしょう。誰もが不安を覚えます。そんなときは、まず「目の前のことに集中する」。でも同時に、「先を見通す」ことも欠かせません。そのためには、つねに「時代の理念や技術を学び続ける」こと。そして、気づいたことや学んだことを「自ら発信」して、「仲間」を作りましょう。ここが大切です。この姿勢は、どんなに時代が変わっても不変の価値を持つはずです。

そうした進路を歩むうちに、私のようにジェットコースターのような激しく楽しいキャリアが開けるかもしれません!

 

 

 

 

<五十嵐 誠さんへの質問>担当教員より

 

 

Q OBS(大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻)のことを良く知らない1、2年生も多いと思います。どんな方々がどんな学びをしているのか、あらためて説明していただけますか?

 

 

A 私が学んだ5期では、学生は30名くらい。学部を卒業してすぐ来た人から、60代半ばくらいの人まで、幅広い年齢層でした。個人事業主が2割くらい、企業や官公庁(札幌市や道庁)から派遣されて学ぶ方もいましたね。転勤族で、札幌にいるあいだにMBA(経営管理修士)を取ろうとがんばっている方も数名いました。

勉強は厳しかったですが、仕事まわりでもプライベートでも、それまでは会う機会もなかったいろんな分野の人と出会い、切磋琢磨して学ぶという経験は、いろんな刺激を受けるすばらしいものでした。修了後もその関わりは生きていて、私の大切な財産になっています。

 

 

 

Q 五十嵐さんのキャリア形成は、いくつかのターニングポイントで大胆な決断を下したことで進んで行った印象を受けました。そうした決断の際に、重視したことはどんなことでしたか?

 

 

A 「結局自分は何をしたいのか?」という問いに立ち帰ることだったと思います。決断しなければならない局面に至ったとき、そこを原点に考えたのだと思います。

 

 

 

<五十嵐 誠さんへの質問>学生より

 

 

Q ゼネラリストからスペシャリストへ、という気持ちで転職をしたとき、どんなお気持ちだったのでしょうか? ゼネラリストをさらに追求するという選択肢はなかったのでしょうか?

 

 

A 40代になって、このまま中途半端なゼネラリストで良いのかな、という不安や危機感がまずありました。ゼネラリストとしてのレベルアップも考えられましたが、私はIoTの分野を進んでみたいと、はっきりと思うことができました。そして、自分自身は変わらないものの、自分が大きな会社で広く経験してきたことが、札幌のベンチャー企業ではかなり有効な知識や技能として活きることがわかりました。大企業では「T」になれなかった知識(大企業で身につけた総合的なスキル)が、マーケットを変えることで(札幌のベンチャーに転職することで)、「T」の深さになったのです。

エコモット(株)に移ってしばらくして、KDDIさんと資本業務提携する事業があり私が窓口になったのですが、通信キャリア大手の仕事の取り組み方(プロトコル)がスムーズに共有できたので、評価されたことがありました。

 

 

 

Q 「メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用」を興味深く受けとめました。これからの時代は、転職を前提とした就活をすべきなのでしょうか? だとすればどのような心構えをしておくべきでしょうか?

 

 

A 転職するかしないかは、自分の人生にとっての仕事、そして会社という枠組をどのように考えるか、ということだと思います。ひとつの会社で自分が納得した仕事を、スキルと実績を積み上げながら長く続けられれば、それは素晴らしいことだと思います。でも私は、「会社に居続けることが仕事の目的ではない」と思います。自分がやりたい仕事が、その会社ではできそうにないのなら、会社を飛び出すことになります。その場合はもちろん、自分のスキルがその会社の中だけではなく、社会の中で汎用的に通用することが前提です。就活と向き合いながら、自分のキャリアをどのように作っていくか、という気持ちを持つことが大事だと思います。

 

 

 

Q 自分ははじめから専門性を志向して、新卒でベンチャー系の会社に入りたいのですが、最初はやはり大きな企業でビジネスの基礎を幅広く身につけた方が良いのでしょうか?

 

 

A 大きな企業は、社会に対する影響力も強いので、仕事への動機づけも持ちやすいと思います。でも、巨人であるGAFA(GoogleApple、Facebook、Amazon)もはじまりはベンチャーだったわけです。専門分野で仕事がしたいという気持ちがしっかりあるのなら、最初から専門性の高いベンチャー企業を狙うのも良いと思います。大企業に入っても自分がしたい仕事ができる可能性は高くありませんからね。

そしてまた、大企業で経験を積んでベンチャーへ、というキャリア形成のコースも一般的です。私の場合はこの後者だったわけです。どちらが良いか? 正解はありません。でもいますでにやりたいことが見えているのなら、はじめからベンチャーも良いと思いますよ。

 

 

 

Q 学部生時代はどんな学生でしたか? 学んだことで、ビジネスの現場で役に立ったことがあれば教えてください。

 

 

A 私の学生生活は、バスケットの部活動が中心でした。家庭教師のアルバイトもしましたが、勉強以外に、生徒の話し相手になったり、いっしょに焼き肉を食べにいったりしたことなどをよく覚えています(笑)。勉強の面では、西山茂先生の計量経済学。世の中の動きを経済モデルや数式で解き明かしていく統計学はすごい! と思いました。NTTの経営企画部で通信料の収入予測をめぐる仕事をしたのですが、そのときはその基礎知識が役立ちました。それと国際経済論で、小樽港からロシアに出荷される中古車の売買で、通貨をカニにする「カニ本位制」という考えかたが示されて、面白かったことをよく覚えています。

部活では、バスケットの仲間はもちろん、サッカーや野球やアメフトなど、いろんな部活の連中と仲良くなって、いまも付き合っている友人も少なくありません。

 

 

 

<五十嵐 誠さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 最後に後輩たちにメッセージをいただけますか?

 

 

A いまの2年生の諸君は、コロナ禍でこの2年間をおくり、就活のときには学生生活で打ち込んできたこと、といった自己PRもしづらいことでしょう。それくらい渾沌としたイレギュラーな日々を送ってきたわけですが、でもそんな今だからこそ思い切って挑戦できる進路があるのではないでしょうか。それまでだとちょっと無理かなという高いハードルにも、今だからこそ挑めるのではないかと思います。そこを意識して、人生の中でもとりわけ大切なこの時間を楽しんでほしいと思います。

 

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