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エバーグリーンからのお知らせ

2021.12.01

令和3年度第7回講義:渡辺 央晃さん(H10卒)「商社でのキャリア —知力は身を助ける—」

講義概要(12月1日)

 

○講師:渡辺 央晃氏(平成10年商学部経済学科卒/伊藤忠商事株式会社・株式会社ファミリーマート出向)

 

○題目:「商社でのキャリア —知力は身を助ける—」

 

○内容:
商大時代のアイセックの活動から、私は海外を相手にしたビジネスの世界に憧れた。鉄鋼商社に就職して外国為替のディーリングの現場で揉まれたのち、総合商社に転職して、今度はエネルギー業界でアメリカ駐在も経験した。いまはさらに違う分野で経験を重ねている。学生生活への糧になることを期待しながら、人の一生を左右する濃密な時間である20歳から30代前半に私が経験し、考えてきたことを伝えたい。

 

 

正解がいくつもある世界で、知力をねばり強く磨く

 

 

渡辺 央晃氏(平成10年商学部経済学科卒/伊藤忠商事株式会社・株式会社ファミリーマート出向)

 

 

 

 

若い時代の3つのターニングポイントを意識する

 

 

伊藤忠商事の渡辺です。この春(2021年)から、系列のコンビニエンスストア、ファミリーマートに出向中で、いま、またまったくちがう畑のビジネスの世界を経験しています。

私の長男も大学2年生で、皆さんと同じ世代です。コロナ禍ではじまった大学生活のさまざまな困難やジレンマをそばで見ていて、親として、大人として助けられない自分たちを歯がゆく思っています。

今日は主に、私が2030代で考えていたこと、経験してきたことをお話しして、皆さんに何かのヒントになれば良いと思います。なぜなら、20代からの10年ちょっとくらいが、その後の人生を左右するからです。

10代後半から30代前半くらいまで。人には大きなターニングポイントが3つあります。ひとつは、大学入試。ここまでなら、出された問題にははっきりとした解答があるでしょう。でも大学で学び始めると、問題には答えがいくつもあるんだ、ということが分かってきます。

ふたつめは、就職です。自分で働いた対価で生活していくことは、多くの人にとっては初めてのことでしょう。

そして3つ目が、就職してからの10年間くらい。それまでとは全くちがう世界にどっぷり入って、さまざまな人と出会い、ビジネスという目的のために協働していきます。私が伊藤忠商事に移ったのも、この経験を経た32歳のときでした。皆さんも、これからの10年が自分の人生を決めるんだ、という認識を持つと良いと思います。そこにはもちろん、「ひとつの正解」はありません。

 

商大に入ったころ、私は漠然と海外で暮らしてみたい、外国で仕事をしてみたいな、と思っていました。2年生の夏休みにひと月間カナダのブロック大学に語学留学をして、その思いがさらに強くなりました。

商社の仕事に興味を持ったのは、3年生のときの第二外国語、スペイン語の授業がきっかけでした。先生は三菱商事OBで、私は授業のあととか昼休みによく先生と話をしました。そこで商社のビジネスのことをいろいろ聞いたのです。先生は気さくにいろんな話をしてくれました。商社で海外を相手に働いてみたい、と思うようになりました。

 

 

 

事業投資とトレード。商社のハイブリッドビジネス

 

 

さて商社とは、何をする会社なのか。漢字をそのまま読めば「商い」をする会社ですが、具体的な中身は意外に知られていないと思います。歴史的には、あるモノをあるところから仕入れてニーズのあるところに持ってくる、というビジネス(トレード)が原点です。しかしこの20年ほどを見ると、このトレードに加えて「事業投資」という分野があり、現在の大手商社は、この「事業投資」と「トレード」の組み合わせで多くの利益をあげています。

私がエネルギートレード部門で、30代に携わった事例を通して説明してみます。

伊藤忠商事がフィリピンのある事業家と共同で、シェルブランドの石油製品(ガソリンなど)をグアム・サイパンで小売りする会社(A社とします)を買収しました。この事業家だけだと資金と信用力が足りないので、まず石油製品を安定して調達して現地に運ぶ機能があり、資金も信用力もある我々のところに相談があり、ガソリンスタンドの共同事業がスタートしたのでした。伊藤忠は25%の比率で25億円を出資しました。このA社は年間10億円の利益を出すので、我々に分配される利益は年2.5億円。つまり出資金は10年で回収できることになります。単純化して説明していますが、これが商社が行う事業投資の例です。当社はこうしたことを300社近く行っていて、中には利益を年に100億円くらい稼ぐ投資もあります。

 

A社への投資を決定するまでには、100ページを超える英文の報告書を読み込んだり、ガソリンスタンドの地下の安全性(タンクが漏れると水質汚染を引き起こします)に関わる数百ページの調査レポートを把握したり、相手先の財務を確認するために数十ページに及ぶ年次レポートを3年分くらい吟味するなど、扱う資料も膨大でした。それらをまとめて、経営会議で発表します。日本語と英語の読解力、それをまとめる力、そして書く力やプレゼン力など徹底的に鍛えられました。また、ビジネスでは「0か100か」、ということはありえません。双方が利を得るところを探って、譲れないところ、譲れるところをめぐってコミュニケーションを重ねます。そういう仕事の面白さも魅力です。

 

そしてトレード。

商社は、海外に幅広いネットワークを持っています。扱うのはエネルギーに限らず、機械や繊維、化学、金属、生活用品などさまざまです。伊藤忠商事の源流は、幕末に繊維を扱う近江商人の商いにありました。

世界を舞台にして、どこからどういうものを仕入れてどういう会社のニーズに応えるか—。情報収集からマーケティング、そして実際の物流にまで、このノウハウを高いレベルで持っているのが商社です。だからこのA社が必要な石油製品を供給できます。伊藤忠商事はA社に適正な価格で製品を売り、A社は消費者へ安く商品を提供する。両者がともに安定して持続的に利益を得るためには、どのような契約を結ぶのがベストなのか。この回答づくりに商社のノウハウがあります。

 

「事業投資」+「トレード」。

取引商品に関係する会社を買収する事業投資を行い、その会社とのトレードで利益を上げる。投資先からは、顧客やマーケットの生の情報をたくさん得ることができます。こうしたハイブリッド型ビジネスが、いまの商社の代表的なビジネスモデルになっています。

 

 

 

自分の世界を大きく広げてくれたアイセックでの活動

 

 

あらためて、私の商大時代をなぞってみます。

講義では、「国際経済学」や「国際金融論」がおもしろくて、自分から進んで勉強しました。為替ディーラーの仕事に興味を持ったのは、渋谷浩先生の国際金融の授業がきっかけですし、これらが商社志望に繋がったわけです。

また、一般教養(リベラルアーツ)も好きでした。特に歴史学、日本文学、社会学など。興味を持ったことを自分でさらに調べて、自分の言葉で文章にすることがおもしろかったのです。

 

部活はアイセック(AIESEC)。仲間たちと国際交流センターの設立につながる活動したことが良い思い出で、自分の原点のひとつになっています。

当時の商大の留学生たちは、ランチを食べる場所にも恵まれず、いつも大きな教室の片隅で固まっているような状態でした。そこで私は英語のシートを作って、彼らからアンケートを取りました。なぜ商大に来たの? どんな学びをしたいですか? いま困っていることはどんなこと? といった内容です。

それをもとに、アイセック主催で、学生会館でパネルディスカッションを開きました。大学事務局に相談して、学生部長や、国際交流を行っている市民団体の方にも列席していただきました。真面目な話ばかりでは盛り上がりませんから、みんなで餅つきをしました。お米から炊飯器、臼、杵、そしてハッピなど一式は市民団体の皆さんから協力をいただきました。また、当然お金がかかりますから、私たちは毎年、小樽と札幌の企業10数社をまわって、活動費の寄付をお願いしていました。企画書を作って、スーツを着て、こういう主旨でこういう活動をしているのだけれど、寄付で応援していただけませんか、と。だいたいの企業はすぐ賛同してくれて、1万円とか2万円を出してくれました。

また市役所の記者クラブに話を持ち込んで、パネルディスカッションの当日取材していただき、道新さんが記事にしてくださいました。一連のことはたいへん勉強になり、その後の私の仕事にもつながったと思っています。

 

アイセックでは、全国の会議にも参加しました。各国の留学生がたくさん来ていましたが、面と向かうとほとんど会話ができず、こりゃあダメだ、と思いました。そこで2年生の夏休みにひと月間、カナダに語学留学したのです。

それと、夜1040分からのNHKのラジオ講座。これは、このころから39歳でアメリカに赴任するまで、17年間聞き続けます。20分間という短い番組ですが、これを毎日書かさず継続すると、英語の勉強の軸になり、ひいては心の安定になります。それは、身の回りの変化に堪えることができる、ひとつの拠り所ともなるのです。

 

私は実は2浪で商大に入りました。奨学金とアルバイトで大学生活を送りました。家庭教師を週4日くらい。国際交流センターのいきさつもそうでしたが、生徒のご両親といろいろな話をすることがとても勉強になりました。中でも印象に残っているのは、小樽で水産加工会社を経営している方でした。

その方は、高校卒業後は進学せず社会に出て働き、社長になってからは、自分の社員数十名とその家族の暮らしを守るため会社を切り盛りしていました。オーナー企業のトップ(企業家)の重圧や誇りを感じました。最初の話で出したフィリピンの企業家との共同事業でも、私はフィリピンのその人に、オーナー企業のトップとしての緊張感や真剣さ感じたものです。もし失敗すれば、それまで積み重ねてきた富も暮らしも失ってしまう。そこには、毎月決まった給料をもらうサラリーマンとは全くちがう厳しい世界があります。

 

 

 

為替ディーラーのハードなやりがい

 

 

私が最初に就職した会社のことを話します。

商社志望の私が最初に内定をもらって入社したのは、川鉄商事株式会社(現・JFE商事)。世界有数の鉄鋼メーカーであるJFEスチールが生産する鉄鋼製品を、国内外のさまざまな業種の顧客に販売する会社です。

財務部に配属され、貿易金融や為替ディーラー、企業合併や分割の資金計画の作成や銀行との条件交渉などを経験しました。大きな商談をまとめる営業とはちがって地味な仕事でしたが、この時代に私はビジネス社会の基礎をしっかり身につけることができました。

 

為替ディーラーの仕事も、いい経験でした。外貨を外国為替相場の変動に応じて売買して利益を上げるのが使命です。日本の製造業は、輸出をドル建てで行い、それを円に替えます。

1億2千万ドルのモノを米国に輸出した場合、1ドル=100円の場合にドルで受取ると、120億円になります。 これが1ドル=90円の場合には、受け取る額は108億円になってしまいます。1ドル110円のレートだと、132億円。円の価値が高いと「円高ドル安」。低いと、「ドル高円安」になります。

輸出企業は持っているドルを銀行に売り、銀行側かれ見ればドルを買うことになります。このあいだにあるのが為替ディーラーの仕事です。

1億1千万ドルの買い決済を、1億2千万ドルで売り決済すれば、1千万ドルの利益になります。このときの円とドルのレートが1円ドル安(円高)になると1千万円の損失になり、1円ドル高(円安)になると1千万円の利益になります。この差額の管理が為替ディーラーに任されます。円とドルの交換レートは、刻々と複雑に変わる世界の政治経済に左右されます。つねに細心の注意を払いながら巨額の数字を瞬時に商いする、気の休まることのない激務です。当然ストレスも募り、私は28歳から30歳まで務めましたが、最後は体を壊して現場から外れました。

 

 

 

 

鉄からエネルギーへ転職

 

 

32歳のとき、伊藤忠商事に転職しました。社会人生活も8年くらい経って、仕事にやりがいを感じながらも、満足しきれない自分もいました。そのタイミングで、上司の知り合いで伊藤忠商事にいた方から声がかかったのです。

為替ディーラーの仕事で実績を積み、専門知識を磨きましたが、私はやはり営業をしてみたいと思っていました。マーケティングの眼を養いたかったのです。そして、鉄以外の世界を見たいとも考えていました。さらには、会社はあくまで親会社の戦略の上で動いているだけなので、もっと自主的なビジネスをしてみたいとも思っていました。そんなとき伊藤忠商事が、新設する事業投資を行う部署に貿易・財務の実務経験をもった人間を求めていました。まず子会社の社員として伊藤忠商事へ出向し、1年半後に伊藤忠商事の正社員になりました。

 

今度はエネルギー。特に石油の仕事です。

原油は、沸点の高い方から低い方へ、LPガスやナフサ、ジェット燃料、ガソリン、灯油、軽油、重油、アスファルトなどに精製されていきます。ご存知のように、日本ではそのほとんどを輸入に頼っています。特にサウジアラビアとUAEだけで65%以上になります。私の仕事は、原油や石油製品の売買、投融資に関わるものでした。

しかし新しい職場で、私はしばらくたいへん苦労しました。

まず、英語力の問題です。

伊藤忠商事では、新人は基本的に20代のうちに海外に出て語学とビジネスの経験を研修として2年間積みますから、まわりとの差は歴然でした。私は仕事で知り合ったオーストラリア人と仲良くなり、彼の奥さんが日本人だったこともあり、彼を通して外国人の友だちを増やしていきました。日常会話やメールのやりとりの中から使えそうなイディオムを片っ端から拾い集めて語彙集を作りました。これはとても役に立ちました。

 

そして、鉄からエネルギーへ、専門分野がガラッと変わったので分からないことだらけでした。中途採用の人間に一から教えてくれる人はいません。私は、会社の経営会議資料を読み込んでみました。公式に経営判断が下された事業のことがすべてわかります。湧いてきた疑問は、その都度当事者を訪ねて教えてもらい、事業の背景や意志決定の経緯までを理解することに努めました。

また、石油やM&Aについての高度な専門知識も早急に身につけなければなりません。英語の書籍も含めてめぼしいものを20冊くらい読破しました。そして社内研修でいろいろな講師がレクチャーに訪れますから、その機会を利用して、聞くのが恥ずかしいような初歩的なことでも、分からないことは聞きまくりました。こうして社内外の専門家から幅広く教えて受けることで、客観的な知識が身につきます。

 

会社で利益を上げるとは、どういうことでしょうか。企業の評価軸と合わせて簡単にふれておきます。

よく、その企業の株式時価総額はいくら、と話題になります。純資産は? 純利益は? ということも同様です。純資産とは資産総額から負債総額(銀行などからの借入額)を差し引いた額で、これが大きいほど経営の体力があるといえます。純利益とは、売上からすべての経費を引いたもの。

M&Aや投資を行う際は、「期待収益率」が重要になります。獲得が期待できる収益の平均値です。ケースバイケースですから、これを計算すると、いくら投資すればどのくらいのリターンが得られるかがわかります。

 

 

 

シェールガス・ブームのアメリカでエネルギー事業に携わる

 

 

先に上げた、グアム・サイパンでのガソリンスタンド事業は、現在も業績は好調で、現地でのシェアも2位を維持しています。2012年にはフィリピンでLPガス事業を入札で買収して、これもなお好調です。でも事業投資には、当然失敗もあります。2008年には、ブラジルのバイオ・エタノール事業を買収しましたが、サトウキビの不作によって数年後に撤退しました。2012年、アメリカで石油ガス開発会社を買収しましたが、産出量が計画に足りず、2015年に撤退しました。

成功の鍵は、事業計画を徹底的に調べて、深く納得した時点でスタートすること。これに尽きます。

 

2012年.私は念願のアメリカ駐在となりました。赴任地は、中西部のオクラホマ州タルサという、人口40万人くらいのまちです。石油・ガス開発の独立系大手企業、Samson社の事業に、伊藤忠商事が25%の比率で出資参画したものでした。この時代のアメリカはシェールガスの採掘技術が確立されて、その後原油の輸入国から輸出国へと変わるのですが、シェールガスブームが起こり、日本の各商社も北米への投資を進めました。ベンチャー企業が開発したこの技術は、石油やガスが閉じ込められた頁岩(けつがん・Shale)の層に沿って水平に掘削を進められる画期的なものでした。

タルサに日本人は300人くらいしかいなくて、日本の食材を手に入れるのが大変でした。家族で赴任して、二人の子は小学校に転校しましたが、クラスに日本人はいないので、最初は苦労しました。

 

上司はアメリカ人で、私にとっては桁違いの猛烈なスピードで話します。上司と同僚たちがジョークで笑っているとき、私だけついていけなくて寂しい思いもしました(笑)。同僚の中には、日本のことを全然わかっていない人もいて、日本列島の位置さえ知りませんでした。彼らにとって太平洋は縁が遠く、世界の軸は大西洋にあるんだな、ということがよくわかりました。しかしアメリカとも縁の深い北海道の歴史のことを話すと、みな感心を持ってくれます。

 

仕事の中味では、シェールガスと、それに関係する業界の財務会計の知識が足りていなかったので必死に勉強しました。千ページくらいのテキストを3カ月かけて読み込んで、だんだん自信がついてきました。

2014年からはヒューストンに移りました。タルサの業績悪化でたくさんのリストラが発生したのですが、雇用は企業と社員双方の自由意志で、辞めるのも辞めさせるのも自由という、向こうの雇用形態に文化の違いを感じました。

ヒューストンは200万人を超える大都市で、職場にも日本語があったので、英語力の伸びは少し停滞しました。子どもたちも米国に慣れ、家に友だちを連れてくるようになっていました。駐在員家庭同士の付き合いも有意義でした。

 

 

 

好奇心を持って、人生を楽しもう!

 

 

2015年に帰国すると、同じくエネルギー分野ですが、今度はLPG(液化石油ガス)の貿易の仕事に就きました。火力発電所の燃料から家庭や飲食店のガス機器、タクシーの燃料などに幅広く使われていて、同じ化石燃料ではありますが、石炭や石油に比べてクリーンであることが評価されています。

日本は年間1千万トン以上のLPGを輸入している輸入大国です。アメリカでシェールガスの輸出が本格化した2015年以降、アメリカからの輸入が増え続け、今や国内需要の7割近くを占めるようになりました。東京で働きながら毎月海外出張がありました。フィリピンやシンガポール、インド、アメリカ、トルコなどです。国内のクライアントとの交渉や情報交換もあります。

石油の輸入に関わることは自ずから日本の国益に直結することですから、やりがいや自負心が抱ける仕事でした。

 

そして48歳になった私はこの春から、またまったく新しい分野のビジネスに挑戦しています。伊藤忠商事の系列会社であるコンビニエンスストア、ファミリーマートのCROChief Risk Officer・最高リスク責任者)のもとで、ファミリーマート全社のリスクコントロールや、スタートアップ事業のプロジェクトに携わっています。私を伊藤忠商事のエネルギー部門に招いてくれた当時の部門長が、ファミリーマートのトップに就任したことがきっかけでした。

エネルギーは、いわば目に見える機会の少ない商品でした。でも今度は具体的に形があるモノが相手で、口に入るものも多いので、消費者の生の声が直接聞こえてきます。ビビッド感がちがって、新鮮な経験です。

 

今日のはじめに、サイパンでのガソリンスタンド事業を共同経営するフィリピンの企業家のことにふれましたが、それはコンビニエンスストアの運営にも通じるところがあります。つまり、コンビニエンスストアの加盟店は、本部とオーナーとの「共同事業」として営まれているのです。本部は加盟店に商標や会計・発注システム、経営ノウハウを提供します。そして加盟店は、粗利のうちの一定の割合を、その対価(ロイヤリティ)として本部に支払います。

また、各店に商品を納入する企業をベンダーといいます。店はベンダーに商品を少しずつ数多く発注して、ベンダーは小口で配送します。ベンダーは本部に商品開発などの提案もして、大口の取引を安定して続けることができ、各店の仕入れ代金は、本部が店に代行してベンダーに支払います。コンビニチェーンは、本部、加盟店、ベンダーという3社が目的とメリットを共有することで成り立っているのです。

 

最後になりました。

今日は特に私が20代から30代に経験したことを中心にお話ししましたが、考え方のポイントをまとめてみます。

でもその前に、健康の大切さをあらためて指摘しておきたいと思います。私は30歳のときに右眼の網膜剝離を患い、苦しみました。完治しましたが、いまも3カ月に一度検査をつづけています。また44歳のとき、頸椎(けいつい・首の骨)を痛めて、一時は歩けなくなってしまいました。大きな手術をして、1年以上リハビリに費やしました。また、もともとぜんそく持ちでもあります。

いまは日常生活はもとより仕事もバリバリとこなしていますが、でも精神的にも身体的にも、ムリをするとてきめんにガタが来ます。そうならないように十分に注意を払っていますが、結局のところ、これは誰にでも当てはまることです。ムリにならないレベルで頑張る。このさじ加減を自分なりに見つけるしかありません。

 

その上で、これからの皆さんが10年くらい先を見すえて気をつけるべきポイントをアドバイスします。

・自分の得意なこと、不得意なことをしっかり見定めましょう。

・少しお金を貯めて、見知らぬ場所に行ってみてください。非日常を経験すれば、いつもとはちがういろんなことが感じられるはずです。

・大学の講義でもそのほかのことでも、自分が何かに惹かれたら、その分野の理解を深めて、その上で自分なりの考えを持ちましょう。

・理解にはもちろん時間がかかります。最初の思い込みとか先入観は若者の特権ですから、それで良いんです。ただそこで止まるのじゃなくて、進んでください。

以上のことをさらにまとめると、「好奇心をもって、人生を楽しもう!」 となります。コロナ禍で行動が制限されてはいますが、そのことを意識して、学生生活を楽しんでほしいと思います。

 

 

 

<渡辺 央晃さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 講義のサブタイトル、「知力は身を助ける」にはいろいろな思いが込められていると思います。そのあたりをもう少し補足していただけますか?

 

 

A 知力とは何か—。まず、知識と知恵は違います。知恵は、ものごとの道理をわきまえながら、正しく判断したり適切に処理できる能力。つまり知識を活用する力が知恵です。そして私にとって「知力」とは、「知恵の働き」のことを意味します。

ビジネスの現場には、「0から100か」といった明確な正解はありません。相手の拠って立つものを詳しく調べ、道理をわきまえながら、双方が合意に達する道筋を論理的にねばり強く考えぬく力。それが、知力です。受験勉強のように、問題を解いていけばひとつの正解にたどりつくわけではない。こうした世界では、ある種の曖昧さに堪えていく力や心構えが求められます。そのために知力が大切なのだと考えています。

 

 

 

Q では、その知力はどのように育んでいけるものでしょうか?

 

 

A 端的に言い切ることはできない、難しい問題ですね。私は、学生時代を含めて20代のときに、どんな好奇心を磨くかにかかっていると思います。人に指示されたり押しつけられるものではなく、自分の意志で何かに関心を抱いて、じっくり取り組んでみる。例えば気になるテーマに沿った新聞記事を毎日探して読み続けてみる。また、私は17年間ラジオのビジネス英会話を聞き続けましたが、そういうことでもいいでしょう。さらには、筋トレだって良いはずです。私は首の神経をかなりひどく痛めて手術をしてから、リハビリで首回りの筋肉を鍛え続けました。筋肉を刺激することで、そこに再び神経が通い、回復し始めました。そういう自分を、科学的に、客観的に見たり考えることも、知力に通じることだと思います。

 

 

 

<渡辺 央晃さんへの質問>学生より

 

 

Q アイセック(AIESEC)の活動を国際交流センターの設立に結びつけたお話が印象的でした。私はなかなか自分から行動を起こすことができないのですが、どういう心構えを持てば、もっと積極的に動くことができるでしょうか?

 

 

A あのときの自分のことで言えば、「まず誰かに話すこと」、ですね。困っていたり、学生生活を満喫できていない留学生がいる。これは間違いのない事実でした。私の認識は「なんとかできないかな?」というだけでのもので、答えを持っていたわけではありません。でも勇気を出して仲間の前で声を上げてみました。するとそこから、声を上げた自分に周囲の人たちが動かされていきました。その場ではほとんど反応がなかったのですが、その日の夜に電話が来て(ラインもメールもない時代です)、「私も実は興味がある。今度もっと話を聞かせて」、という声が聞かれました。そこから事は動き出します。大人たちに相談すると、いろんなふうに応えてくれました。人と共同で何かをしようと考えたら、「とにかくまず声を上げてみる」。これが良いのではないでしょうか。

 

 

 

Q 人とのつながりを大切にされているというお話でした。ビジネスで信頼できるコミュニケーションを実現するためには、どんなことを心がけていらっしゃいますか?

 

 

A 相手の数によって違います。一対一のとき、私ははじめ、相手の話をできるだけ聞きだそうと心がけます。聞くのが7割、自分で話すのが3割くらいのイメージです。そうして相手を知り、即興的に相手との距離感をつかんでいきます。

相手が数人の場合、プレゼンテーションなどのあらたまった場でなくても、私は事前に十分な準備をしてその場に臨みます。相手と話すべきことを、周辺の情報を含めて準備をしっかりすれば、余裕をもっていられます。このように、相手の数や顔ぶれによってコミュニケーションの質を変えていくことも重要だと思います。

 

 

 

Q 就職は大手商社志望です。就活ではどんな心構えで臨めば良いでしょうか?また、商社ビジネスの未来はどのようになっているとお考えですか?

 

 

A 商大での就活で、実は私は伊藤忠商事を受けて一次試験で落ちています。ほかの大手商社にも挑戦したのですが、ダメでした。でもJFE商事で財務の経験を積んだ私を伊藤忠に導いてくれた方は、こう言いました。「君の先輩になる、小樽商大の優秀なOBが何人もいるよ」、と。皆さん当然ご存知だと思いますが、大手商社や一部上場企業で活躍している先輩たちは少なくありません。皆さんのベースには、そういう先輩たちが営々と積み重ねてきた実績があることを意識してください。先輩たちに話を聞いてみるのも良いでしょう。

それと、商社ビジネスの未来。これは、わかりません(笑)。なぜなら、商社はつねに、時代の変化の中でビジネスモデルを進化させてきた、自己変化の組織だからです。時代の少し先を豊富な情報やぶ厚いノウハウをもって見すえた、変わり身の速さこそが、商社らしさなのです。

 

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