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2021.12.15

令和3年度第9回講義:越膳 恵子さん(H2卒)「私たちはどう生き、どう働くか ~特定社会保険労務士の視点で皆さんに贈る『道を切り拓くヒント』~」

講義概要(12月15日)

 

○講師:越膳 恵子氏(平成2年商学部商学科卒/越膳恵子社会保険労務士事務所)

 

○題目:「私たちはどう生き、どう働くか ~特定社会保険労務士の視点で皆さんに贈る『道を切り拓くヒント』~」

 

○内容:

小中学校で繰り返した転校や、商大での硬式テニス部への入部など、私の前半生は「想定外」の出来事の連続だった。就職と転職、そして自ら社会保険労務士事務所を立ち上げたことも、その延長線上にあった。「想定外」のことを受けとめて自分なりに対応できてきた結果、いまの私がある。これからの時代をどう生きるか、どう働くかについて、私の経験や仕事上の立場からいくつかヒントを差し上げたい。

 

 

 

あなたらしい働き方が、あなたらしい生き方をつくる

 

 

越膳 恵子氏(平成2年商学部商学科卒/越膳恵子社会保険労務士事務所)

 

 

 

 

「想定外」の洗礼を何度も何度も

 

 

皆さんこんにちは。今日私が皆さんに伝えたい結論を、最初に示しておきます。

  • 現代は、「自分らしい生き方、働き方を選択し、道を切り拓くことができる時代」です。いろんな「自分らしさ」を追求することができます。
  • 「今やりたいことが無くてもOK。そして、後からやりたいことが変わってもOK」です。
  • ただし皆さんらしい道を切り拓くには、「日々のトレーニング」が大切です。チリも積もれば…。毎日コツコツと自分磨きをしましょう。

 

まず私の経歴をお話しします。タイトルをつけるとすれば、「冒険と挑戦」です。

1967年に兵庫県宝塚市で生まれました。父は転勤族で、13歳で小樽に落ち着くまで、小学校で2回、中学で1回転校しました。

仕事なので仕方がないとはいえ、ある日突然引っ越しと転校を告げられることは、子どもにとっては一大事です。決まっていた学芸会の役ができない、夏休み中の引っ越しで、たくさんの友だちにちゃんとサヨナラが言えないなど、さびしい思いをしました。また引っ越す前の学校ではまだ入っていなかった単元が、転校先ではすでに終わっていることもあり、地理と世界史は教わったことがなくて、高校入試では苦労しました。

でも、私はこれらの経験(このあと何度も出てきます)ができたおかげで、「想定外」を受け入れて、なんとか自分らしさを保つ術を身につけることができたと思います。

 

潮陵高校に入ったのは1983年。高校時代は軟式テニスに熱中して、テニス部の部長も務めました。

二つ上の姉は小樽商大に進みましたが、私は私立の英文科に行くつもりでした。ところが、この第一志望に落ちてしまいます。国立は無理だなと思いながらもとりあえず受けた共通一次試験に傾斜配点(英語と国語の点数が2倍など)があったことや、その後の二次試験の小論文のために猛勉強したことで、なんとか商大に合格することができました。

大学の授業は、高校生の私が考えていた勉強とは全然ちがって戸惑うことも多かったのですが、面白い講義もたくさんありました。特にマーケティングなどの勉強は、いま仕事で関わることも多い企業戦略や企業の方向性の策定支援にとても役立っています。

 

入学したときは、文系の部活に入りたい、マンドリンアンサンブル(プレクトラムアンサンブル)が良いな、と思っていました。ところがここでも「想定外」が起こります。

入学式当日、キャンパスを歩いていると「越膳恵子さん」と書かれたプラカードを持った人が私を探していて、捕獲されてしまいました。潮陵高校で軟式テニス部の部長をしていた私のことがバレていて、硬式テニス部の人が有無をも言わさずに私を喫茶店に連行していったのです(その先輩とは今でもとくに親しくさせていただいています)。

 

その日から、テニスを中心にした私の怒濤の商大生活がはじまります。硬式テニスは軟式テニスと違うことも多くて、はじめはとても苦労しましたが、すぐ、テニスなしの大学生活は考えられなくなりました。練習や上下関係がとても厳しく、おそらくいまの皆さんの価値観ではとても理解できない世界だと思います(笑)。でもテニスは面白く、その世界にどっぷり浸かってしまうと、ほかのことは目に入らなくなりました。

私はテニスから、「難しい状況に対応する力」や、「自分で考えて自ら行動する力」、そして「仲間の気持ちを尊重しながら連携しあう力」を学びました。

「想定外」の事態でも、目の前のことに必死に取り組んで行くと、それまでとは全然ちがう世界が現れてくるのだと思います。

ゼミも、当初お世話になる予定だった石原先生(テニス部部長)が小樽を離れることになり、後を託してくださった井村ゼミへ。金融論を学びました。

 

そして就活です。

これは恥ずかしくて大きな声では言えないのですが、私が就活をはじめたのは、なんと4年生の10月でした。つまり、ギリギリまで部活に熱中して、試合に出ていたのです。でも、テニス部とは別のOB訪問で情報をいただき、札幌本社の不動産会社に入ることができました。

 

 

 

転職、そして独立開業へ

 

 

私が就職した1990(平成2)年は、北海道ではまだバブル経済の最終盤で、不動産業界には活気がありました。営業本部営業グループに配属されて、営業の仕事をしました。いまとちがって、女性営業職がまだほとんどいなくて、おしゃれな営業カバンや名刺入れもない時代です。賃貸契約や売買系絵約の仲介、マンションの販売などをしました。アットホームな会社で、女性であることを特別意識せずのびのび働いて、その翌年に「宅地建物取引主任者」(現・宅地建物取引士)の資格を取りました。

4年ほどその会社で仕事をしましたが、個人的な事情で退職をして、結果、転職をすることになります。

 

次は、大手生命保険会社の事務職です。27歳になっていました。

いまから四半世紀前のこと。当時女性は20代で結婚して家庭に入り、出産・育児をするのが一般的でした。周囲にも、バリバリ働き続けている女性はほとんどいませんでした。特に意識するロールモデルなどはなかったものの、数年経つうちに、私はこのまま一人で働きつづけるのだろうな、となんとなく考えるようになります(会社に嫌気がさしたわけではないのですが…)。

やがて事務職から総合職(事務統括)になります。30代半ばに入ると若い部下も増えて、いわゆる「お局(つぼね)」状態です。会社では笑顔を見せることなく、とにかくやるべき仕事に一生懸命取り組みました。まわりには変なプレッシャーを与えていた難しい女性上司だったと思います。「できる上司(社員)」を自分で必死に演じていて、それを気持ち悪がっている自分がいました。総合職ですから、やがて転勤もあり得ます。それは無理だな。このままは続けられない。どうしよう。でも30代半ばの女性がうまく転職できるだろうか…。

 

その少し前。私は「社会保険労務士」という資格のことを知り、がんばってこの資格を取れば、この後就職にも有利だし、うまくいけば自分の腕一本で生きていけるだろう、と考えていました。

当時の生命保険会社では、ひとりで暮らしていくには十分すぎるお給料をいただいていました。でも私はここで覚悟を決めました。「社会保険労務士」の資格を取ろう!そのときの上司が、「中小企業診断士」を目指して試験勉強をしていることにも刺激を受けました。

ダメだったらまた今の会社に戻って、仕事をちゃんとやれば良い…。そんなわけにはいかない、と考えました。逃げ道を作りたくなかったので、会社は辞めました。その後就職活動もしましたが、なかなか条件に合う仕事がなく厳しかったです。

1、2年生の皆さんはまだ良く知らないかもしれませんが、社会保険労務士(社労士)とは、各種社会保険の申請書類の作成や,企業の人事・労務の指導などを行う国家資格です。

退路を断って1年と8カ月集中して勉強して、2005年に受験。2年目で無事合格することができました。実務経験の代わりに約半年間の指定講習と集合研修を受ければ開業できるのでその道を選んで、2006年、38歳で開業しました。そこからが現在の私に直結するわけです。

 

ここで「キャリアの棚卸し」について説明します。

キャリアの棚卸しとは、今現在から自分の半生を俯瞰して見ることです。そして、当時の出来事とその時の気持ち(小樽に来るまでは転校が続き落ち込み気味、商大時代は辛かったこともあったけど充実していたなど)もあわせて可視化します。今回は、ご覧のようにお天気マークでそのときの気持ちを、バイオリズムの周期のように示しました。現在は晴れたり曇ったり、というところでしょうか。

 

 

 

棚卸しで見えてきたこれまでの自分

 

 

キャリアの棚卸しを続けます。打ち込んだことで得た私の財産は何か。

まず、1つ目はテニス。商大硬式庭球部時代は、毎日毎日、年末年始の休みや遠征での移動以外は、一日5〜10時間コートにいました。ラケットをまったく握らない日は、年間10日くらいだったでしょう。就活そっちのけで、卒業ギリギリまで試合に出ていました。この経験で良かったこと—。

団体も個人も優勝を経験することができました。そして、家族よりも長く青春の時間を共有した仲間たちと強い絆が生まれました。部のOBOGからの有形無形のサポートを数え切れないほど受けてテニスに没頭できたと感謝しています(テニス部の歴史は、1910年の小樽高商創立に遡ります。伝統校ならではですね)。これらはその後の人生にも活きている、掛けがえのない経験です。

そして、悪かったこと、後悔していること。

試合での悔しい敗戦もいろいろあります。いちばん尾を引いたのは、大きな目標だった4年生の最後の団体戦で優勝できなかったことです。それと、仲間との絆といいましたが、いつも感動するような付き合いができていたかと言うと、そんなことはありません。激論や対立、行き違いもたくさんありました。ほかの運動部との付き合いも深くありましたから、硬式テニス部の先輩以外の上級生にお叱りやダメ出しをいただいたり、他の部の同学年の子とぶつかることもありました(今でも戒めとして心に残っています)。さらに、あのとき万全の就職活動をきちんとしていたら、という後悔もあります。

 

社会人になって打ち込んだもの。

いちばんはやはり社会保険労務士をめざした勉強です。そのころの私のモットーは、「努力は裏切らない」。

これも商大時代のテニスと同じように、一日5〜10時間。ほぼ365日やりました。テキスト8冊、問題集8冊、過去問10年分を繰り返し解きます。その数、各50回。

ここで皆さんに、資格取得のための勉強のコツをアドバイスします。それは、はじめから問題集を解いてみて、用語や問題のスタイルに慣れること。資格を取ることが目的なのでゴールから逆算して勉強するほうが効率が良いと考えた私は、テキストを読んで理解してから仕上げに問題集に取り組むのではなく、とにかく問題集からやり始めました。

この経験で良かったこと。

まず、「合格」を手にしました。そしてそれが「仕事」を生みました。さらに、「自信」や「信用」を得ることができました。

そして後悔は—。

試験勉強を優先することで、当時入院していた家族のケアやサポートを十分にはできませんでした。35歳で会社を辞めて資格を取る、と宣言したときには家族に随分心配をかけました。勉強に集中したためしばらく実家に帰らないこともあり、心配かけてゴメンね、という気持ちをちゃんと伝えることができませんでした。さらに、テニスを絶ってイライラしました(笑)。

 

 

 

「弟子入りしない」「営業しない」「安売りしない」

 

 

36歳で社会保険労務士の資格を取って、自分の事務所を開きました。しかしなにしろ無名の新人ですから、いきなり仕事がどんどん入ってくるわけはありません。その年の私の事業収入は4万円。

でも私は、最初にポリシーを定めていました。

「弟子入りしない」、「営業しない」、「安売りしない」。この3つです。

資格を取ったなら、どこかの社労士事務所にお世話になって仕事を覚えていくという社会保険労務士が多いように思います。それは確実で魅力的である反面、自分のスタイルを追求することも難しいのかなと感じました。だから私は独立開業をする道を選びました。

またHPやリーフレットを作ったりなど、顧問先等の開拓のための活動をしませんでした。恰好をつけているように思われるかもしれないけれど、ご縁があって取り組んだ仕事のひとつひとつを評価していただき、それで仕事が増えていけば良い。そう考えていました。「士業」の商品は、あくまで「自分自身」だと思っています。

 

そうして始まった事務所の経営ですが、少しずつこれらのポリシーが功を奏するようになっていきました。現在の私の仕事は大きく3つに分かれます。

1つめは、「顧問企業への指導相談」。このあと触れますが、政府が掲げる「働き方改革」への相談や、就業規則や人事評価の仕組みを作ったり改訂するお手伝いなどです。

2つめは、「働き方改革を進める企業支援」。札幌市などの自治体の施策の枠組の中で、働き方改革を進める企業を支援しています。また、北海道新聞社様が主宰する「北海道の働く女性応援プロジェクト」(HATAJO)のサポーターとして活動しています。

そして3つ目は、「講演活動・セミナー」。新入社員研修、ビジネススキル研修、労務管理や働き方改革に関連したテーマで登壇しています。

 

ここでまた「想定外」のことを話します。

これは超特大の想定外でしたが、43歳のとき、縁があって私は結婚しました。同時に、二人の子どもの母親になりました。少し前の自分にとって想像だにしていなかったことでした。

 

資格のことでいえば、社会保険労務士の資格を取ったあと私は、その3年後に「特定社会保険労務士」の資格を取りました。これは社労士がスクーリングと試験を経て、個別の労働紛争の代理人などになれる資格です。

また「メンタルヘルスマネジメント検定」(民間資格)や、「キャリアコンサルティング技能士2級」(国家資格)も取りました。キャリアコンサルティング技能士は昨年(2020年)、四度目の挑戦でようやく取れました。私の場合はすべて仕事に直結している資格ですが、人生百年の時代と言われ、誰もがかつてより長く働く時代になったいま、誰にとっても、学び続けることには価値があると思います。

 

 

 

 

 

 

生き方の上で考えるこれからの働き方

 

 

ワークライフバランスという言葉をしばしば目にすると思います。これは、単に仕事と育児をどううまく両立させるか、趣味の時間をどう充実させるか、ということではありません。キャリアとは人生そのもののことでもありますから、ワークライフバランスを考えるということは、自分の歩みたい人生を、自分が望むバランスでどう生きるか、を考えることなのです。つまりそれは年齢や仕事の経験など、そのときの状況によって変わっていって良いのです。

私の場合は、商大を卒業して数年間は、会社の仕事を中心にしながら、テニスも楽しんでいました。最後の大会で優勝できなかった未練とも言えますが、週末はだいたい現役部員やOG仲間といっしょに大学のコートにいたのです。

会社を辞めて社労士を目指した時代は、生活の大部分が勉強です。資格をとって独立開業をはたすと、しばらくは生活の大部分が仕事になります。

結婚すると、仕事をセーブして育児の時間に充てました。授業参観とか学校の行事もありますし、この時代ママ友ができて、まったく新しい交友が新鮮でした。そして現在は、子育ても落ち着いたので仕事量を増やし、さらに趣味の時間も楽しんでいます。テニスのほかに、最近はゴルフに熱中しています。

第3次安倍内閣(2015年)から、「一億総活躍社会」という言葉がさかんにメディアをにぎわせました。これを実現させるために「働き方改革」があるわけです。2019年の春から、いわゆる「働き方改革関連法」が施行されました。

働き方改革は、残業を減らすとか休日を増やすといった単純なことではなく、一人一人が自分らしく生きていくためにどのように働いていくか、という課題に根ざしています。そのためには責任や役割などに応じた待遇(賃金)であるべきだし、ハラスメントのない快適な職場環境を整備することも課題です。またこれまでのさまざまな企業の指導相談にあたって、昔の価値観(自分たちの時代は先輩の背中を見て盗んだ、など)から脱却できず、働き方改革やハラスメント問題の解決が進まないケースもよく見ます。

確かに私が若いころは、ハラスメントという言葉も浸透していなくて、指導方法も「見て盗め!」でした。でも時代の変遷に対応できなければ、企業は生き残っていけないのです。

 

また今年(2021年)改正された高年齢者雇用安定法では、企業に70歳までの就業機会確保の措置を講じることを努力義務としています。

ここで強調しておきます。皆さんが就職する時代は、皆さんにとってお祖父さんやお祖母さんに当たるような年代の人とともに働く時代なのです。だから必要なのは、「異文化コミュニケーション」。

私は商大のテニス部で、仲間を尊重しながら、摩擦も含めて互いに高め合う経験をした、と言いました。皆さんも同様に、世代を超えて人間関係を築くことが求められます。

皆さんが入る企業には、まだ昭和の価値観に染まった上司や経営者がいるかもしれません。そういう方を、ただ敬遠したり、反発しても不満は解決しません。そして時代は巡ります。若いころの私の世代は、上の世代から「新人類」、「常識がない」などと言われました。年を経ると私の世代も、下の世代に同様のことを感じることが多いと感じます。でも時代に対応するために頭を切り替えなければなりません。私は、自分が若いころに受けた指導方法などとは全く違う方法を覚えて、自分の価値観では理解できないような世代にも対応することを意識しています。

皆さんが4050代になったとき、その組織には、皆さんにとってはありえない発想や行動をする若い世代が現れるでしょう。いつの時代も価値観を異にする者同士が、どこかの部分で深く共感したり、互いの時代に思いを馳せながらいかに折り合えるか、納得できるコミュニケーションを育むことができるか。そこが課題だと思います。

 

 

 

「女性活躍」の意味は?

 

 

「働き方改革」に必要なのは、上司や先輩の認識ではなく、あくまでトップの覚悟と、トップの理念を周知させていく仕組みです。「私の会社はこういう理念で事業を行っている。だからこういう社員にこういう意識で働いてほしい」。そうした理念をオープンにしていけば、雇用のミスマッチも起きにくいでしょう。

また社員側にも意識改革が必要です。「エンプロイアビリティ(雇用される能力)」が求められています。ただ雇用されていることに安住するのではなく、いつも自ら能力を高めて雇用され続ける力を伸ばしていく必要があるのです。課題を見つけて分析し、解決する力。人と連携する力。発信する力など、求められる力はさまざまです。就活では、その会社がどんなエンプロイアビリティを重視しているのかを、見定めてください。

 

また、社員には「フォロワーシップ」も大切です。

チームやメンバーのために、という気持ち。仲間意識のようなものですね。優秀なリーダーがひとりいれば組織は機能するでしょうか?ちがいます。組織が高いパフォーマンスを発揮し続けるには、メンバーが自律的に行動しながら、その上で相互に理解し合い、フォローしあうことが欠かせません。

そして、私が声を大にして皆さんにお伝えしたいこと。権利を主張するには、義務を果たさなければなりません。さらには、自由を得ることは、同時に責任を担うことでもあります。「権利と義務」、「自由と責任」はつねに対になっていることを忘れないでください。「働き方改革」は、会社側と社員側の双方が一枚岩となって実現することなのです。

「働き方改革」と合わせて、「女性活躍」という言葉も近年よく聞いていると思います。

「女性活躍推進法」(2016年施行)という法律によって、企業は管理職の男女比など、自社の女性活躍に関する状況把握と課題分析を行い、それを踏まえた行動計画を策定して、公表しなければなりません。来年(2022年)春からは、その対象となる企業の規模が、従業員301人以上から101人以上に拡大されます。

こうした企業の情報はデータベース化されています。厚労省のHPをぜひ覗いてみてください(厚労省HP「女性の活躍推進企業データベース」)。

女性が活躍していると認められた企業は、「えるぼし」、あるいは「プラチナえるぼし」という認定を受けることができます。また子育ての分野で取り組みを進めている企業には、「くるみん」、その上の「プラチナくるみん」という認定があり、こうした認定を受けた企業は、商品や広告、求人票などにそれぞれのマークを掲出することができます。これも厚労省のHPに詳しい解説があります。

 

働き方全般や女性の労働環境を改善しようと、企業もいま必死に変わろうとしています。性差や世代を超えて互いに考え、ケアしあう時代です。いうまでもなく、育児は女性だけの仕事ではありません。女性が活躍できる社会とはつまり、皆がともに自分らしく活躍できる社会なのです。ひいてはそうした取り組みが、その成果として企業を持続的に成長させるでしょう。

しかし中小企業の現場では、意識の改革や浸透がなかなか進まないという状況も散見されます。制度を運用する体制が十分に整っていない企業で育児休業をとっても、業務の効率化や欠員の補充などの対策ができていないために、まわりの負担が増えてしまう。結果としてほかの社員のワークライフバランスが崩れてしまうとなれば、不満も出るでしょう。企業の業務改革が追いついていないことが、マタニティハラスメントを引き起こすケースもあります。これは経営の問題ですね。

 

 

 

「ちりつも」トレーニングのすすめ

 

 

私が自分の体験と、さまざまな企業と関わりながら考え、自ずとまとまってきたことを最後にお話しします。社会に求められる主なスキルは、3つあると思います。

1つは、「自立(律)」。

2つ目は「柔軟性」。

そして3つ目は、「協調性(連携する力)」。

ここでいう「自立(律)」は、自ら学んだり挑戦したり、目の前の仕事に一生懸命取り組んで成長すること。そして自分の言動に責任を持つこと。

「柔軟性」とは、思い込みからの脱却、臨機応変に行動すること。

3つ目の「協調性(連携する力)」とは、さまざまな考え方の人と協力し物事を遂行すること。

また時にはまわりに相談したり助けを求めることも必要です。大切なのは、「自分は困っている。助けてほしい」という意志を伝えること。これこそが自立(律)ですし、そこから生まれる解決法や新しい進路は、「協調性」により導かれたものでしょう。いくら深く考えたことでも、言葉にしなければ誰にも伝わらず、自分を苦しめるだけです。少しだけ勇気をもって発信してみましょう。

 

小さなことでも毎日欠かさず続けると、大きな力を貯えることにつながります。私はこれを「ちりつもトレーニング」と呼んでいます。皆さんも次のことをぜひやってみてください。

  • 調べ物をすぐスマホに頼らない。その前に5分間、自分の頭で考える。
  • 寝る前に5分間、1日を振り返る。
  • 1日5回、物事を逆から⾒る。
  • 1日5回、お礼とお詫びをする。
  • 1日5回、自分から挨拶する。
  • 1日1つ、新知識を得る。
  • 1カ月に5人、いろいろな世代の人と交流する。

いかがでしょうか。「物事を逆から見る」というのは、メンタルヘルスの分野でもよく使われる「リフレーミング」という手法で、私のこの講義が「まだ20分もあるのか」とガッカリするか、「あと20分しか残ってないのか」と愛おしむか(笑)、といったことです。逆から見ると、文字通り正反対の世界が広がります。

これらのひとつひとつは簡単なことです。でもこれを続けるのは容易ではありません。その分、なにかひとつでも続けることができれば、あなたはあなた自身を大きく成長させることができると思います。

 

 

 

あなたらしい生き方、働き方

 

 

「いま現在」から「卒業後」、「○年後」というように人生のそれぞれの段階で、勉強や仕事、生活、趣味などの「ワークライフバランス」を考えてみましょう。それが、あなたらしい生き方や働き方を考えるベースになります。

私が大好きなMr.Childrenの歌の歌詞に、こんな一節があります。「人生はフリースタイル」、「きっと答えは1つじゃない」。

このフレーズは、社会保険労務士資格試験の勉強中などの苦しいときに、私を支えてくれました。

いろいろな岐路に立ったときには、選択肢をじっくりと吟味しましょう。自分が納得して選んだ道なら、自己責任で歩んでいけば良いのです。

学生時代に自分の長い進路をしっかりと見定めている人は少ないでしょう。私がその典型です。でもだからこそ、将来のためにいろんな選択肢を広げておいてください。「ちりつもトレーニング」は、きっとあなたの将来にプラスに働くと思います。

 

 

 

 

 

<越膳 恵子さんへの質問>担当教員より

 

Q 興味深いキーワードをいくつか上げていただきました。中でも印象に残ったのは、「想定外」という言葉でした。これまでのキャリアの中で最大の「想定外」は何でしたか? またそのときそれにどのように対応したのでしょうか?

 

 

A 最大の想定外は、商大テニス部への入部ですね。そこから人生の進路が変わったと思います。まず入ってみて、こんなに厳しい世界だとは、と愕然としました。練習の厳しさはもちろんですが、先輩たちからの指導や、部の運営方法など(詳しくはお話しできませんが)に衝撃を受けました。でも、私は思った疑問はズバズバ声に出していました。どうしてこの練習が必要なんですか? どうして雨の日でも必ず全員集合しなければいけないのですか? など。だから生意気ではあるけどわかりやすい後輩だったと思います。そして、部にそういうルールがあるのには、よく考えたらこういう背景があるのだろう、とか、ここまで追い込む練習には、きっと意味があるはずだ、とか、受け止めや考え方の枠組みを変えてみると、少しわかってくることもありました。物事を逆から見る、いわゆる「リフレーム」ですね。理不尽だと感じたり思い通りにいかないことも含めて、それらを経験できたことは私の財産です。

 

 

Q いろいろな資格の取得をめざして、学び続けることへの好奇心や向上心の源泉は何でしょうか?

 

 

A それほどの意識はないのですが、目の前に目標を置くと走り出したくなる、という性格でしょうか。それと、人から強いられたものではなく、自分でやってみたいと思うことだから頑張れるのだと思います。いまの皆さんが、どうしてもやってみたい! と思うことがなくても構いません。アンテナを張っていて、いつか何かをキャッチできれば良いのです。私なんか、「社労士になりたい!」と思ったのが36歳ですから(笑)。

 

<越膳 恵子さんへの質問>学生より

 

 

Q 独立した年の収入は4万円だった、ということに驚きました。どうやって暮らしていたのですか?

 

 

A 確かに4万円では暮らせませんね。生保会社を退職するときに退職金が出ましたし、蓄えもそれなりにありました。また退職後は就職も視野に入れ活動していたので雇用保険からの給付もありました。そして、家賃が半分くらいのところに引っ越しました。社労士の仕事はモノを仕入れるわけではないので、経費がそれほどかからなかったのでやりくりできた面もあったと思います。

 

 

Q 男子学生ですが、仕事の現場で男女の格差はまだあるのではないかと思います。女性が各方面で活躍する社会は、これからさらに進展していくのでしょうか? 解決しなければならない課題は、どのあたりにあるのでしょうか?

 

A 労働環境での男女格差を減らすための法整備は、この15年くらいで少しずつ進んでいます。大企業の働き方はそれに合わせてかなりの変化が見られましたが、中小企業では取り組みに大きな差があると感じます。

ただ先ほども言いましたが、労働条件が良くなって単に女性が活躍できる社会が実現するのが理想でしょうか? 性差に関わりなく、つまり男女誰もがひとりひとり、自分の能力や希望に応じて自分らしく働ける環境を作ることが理想だと思います。

 

 

Q 資格の勉強で、オススメの方法がありますか?

 

A 私は退路を断って社会保険労務士合格を目指したので、浪人生のように一日の大半を勉強に充てました。そのとき、一日の時間を4分割しました。早朝、午前、午後、そして夜です。そして今日はこの頁まで絶対に進むぞ、とかあまりきつくスケジュールを組むのではなく、例えばこの日までに過去問を最後まで解く、というくらいの予定を立てました。私の場合過去問は何十回も解いたのですが、この日までに何回目を終わらせる、という具合です。

独立してしばらくしてから4度目でようやく取れた、国家資格の「キャリアコンサルティング技能士2級」のときは、仕事をしながらの挑戦でしたが、ともに勉強する仲間を作って刺激をもらいました。

 

 

Q 部活で得たことはどんなことでしょうか?

 

A ひと言でいえば、一生の仲間ができたことだと思います。厳しい練習や悔しい敗戦、優勝の喜び、そしてぶつかり合いながら夜通し話し合った時間…。私たちは、お金では決して買えないこういうものを共有しているわけです。仲違いや言い争い、自分の弱いところ、汚いところをすべてさらけ出したこともたくさんありましたが、それらのすべてが、いまの私の財産です。

テニス部のOBOGは「ゴーゴーアミーゴ」というヘンな名前の(笑)サークルを作って、いまものびのびテニスを楽しんでいます。

 

 

 

Q 仕事と家庭、子育てを両立するために苦労したのはどんなことですか?

 

A 詳しくはとても話しきれませんが、私は結婚していきなり、物心ついた二人の子どもの母になりました。うまくいかないことの連続で、落ち込みました(詳しくはお話しできませんが、夫も子どもも相当大変だったと思います)。でも「自立(律)」のところで言ったように、私は、助けてほしいときは「助けて!」とまわりに言うようにしていました。自分で抱え込まないことが大切なんです。「助けて!」と言える自分でいることと、それに応えてくれる仲間や環境を持つことを皆さんにもお勧めしたいです。

 

<越膳 恵子さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 最後に後輩たちにメッセージをいただけますか?

 

A 1、2年生の皆さんはとくにコロナ禍もあり、楽しみにしていた学生生活とはかなりちがう毎日を送ってきたと思います。将来への不安もあるでしょう。でも、あなたのそんな不安を吹き払うことは、ほかの誰でもない、あなた自身にしかできません。自分を元気にするために、誰かの小さな成功を共に喜んだり、興味が湧くことを新しく見つけたり、自分で行動してみてください。

大切なキーワードをひとつ言います。あとでぜひ調べて、考えてみてください。それは、「自己効力感」という言葉です。端的に言うと「自分ならできる」「きっとうまくいく」という気持ちです。きっと皆さんの支えになってくれると思います。

 

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