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2021.01.20

令和2年度第11回講義:地域振興からみた縄文世界遺産登録と日本遺産「炭鉄港」

講義概要(1月20日)

 

○講師:塚田 みゆき氏(平成元年商学部商業学科卒/北海道環境生活部文化局文化振興課 縄文世界遺産推進室長)

 

○題目:地域振興からみた縄文世界遺産登録と日本遺産「炭鉄港」

 

○ 内容:

商大卒業後民間企業を経て道庁職員となった私は、近年、地域振興の現場で日本遺産「炭鉄港」に取り組み、現在は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録をめざす仕事をしている。ともに、人々が地域に学び、地域の価値をより大きな普遍的な価値へとつなげる挑戦といえるだろう。世界遺産と日本遺産の概要を解説しながら、合わせて、道庁で働く意義ややりがいについても話したい。

 

 

 

地域を知り、地域に学ぶことの意味を考えてほしい

 

 

塚田 みゆき氏(平成元年商学部商業学科卒/北海道環境生活部文化局文化振興課 縄文世界遺産推進室長)

 

 

 

 

 

地域の価値を、世界の普遍的な価値へと結ぶ

 

 

 

私は1989(平成元)年に商大を卒業して、まず札幌で民間企業に4年ほど勤めました。その後北海道庁に入り、いろいろな部署を経験しましたが、今日は、現在直接関わっている世界遺産推進室の仕事と、その前に勤めた空知総合振興局(岩見沢市)での、日本遺産「炭鉄港」をめぐるお話をします。どちらも「地域振興」がテーマです。では世界遺産のことから。私はいま、縄文世界遺産推進室の室長を務めています。「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録に取り組んでいるのです。津軽海峡を挟んで深い関わりのある北海道と北東北の縄文遺跡群を、世界的に価値あるものとしてユネスコ(国際連合教育科学文化機関)に認証されることがゴールです。まず、そもそも世界遺産とは何かをお話ししましょう。いちばんシンプルに言うと世界遺産の定義は、世界遺産条約に基づいてつくられる「世界遺産一覧表」に記載されていること。これには、建造物や遺跡などの「文化遺産」、自然地域などの「自然遺産」、文化と自然の両方の要素を兼ね備えた「複合遺産」 の3種類があります。世界遺産を定める世界遺産条約(「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」)は、その目的を「文化遺産や自然遺産を人類全体のための遺産として損傷、破壊などから保護し、保存していくために、国際的な協力及び援助の体制を確立すること」、と掲げています。世界遺産条約の締約国は、去年(2020年)7月で194カ国。日本は1992年に条約を締結しました。登録件数は、世界で1,121件(文化遺産869件、自然遺産213件、複合遺産39件)。そのうち日本は23件 (文化遺産19件、自然遺産4件)で、北海道では2005年に知床が世界自然遺産に登録されています。世界遺産条約は1972年に採択されて75年に発効しましたが、この条約ができたいきさつは次のようなものです。1960年代、エジプトのナイル川にアスワンハイダムの建設計画が持ち上がり、「ヌビア遺跡群」というとても貴重な古代の遺跡群が水没の危機に瀕しました。おりしも中東戦争のさなかですが、エジプトとスーダンから要請を受けたユネスコは遺跡の移築と保護を世界中に訴え、呼び掛けに応じた多くの国の協力により、遺跡は高台に移されました。これがきっかけになり、貴重な文化や自然を人類共有の遺産として保護していくための枠組ができたのです。私たち(北海道・青森県・岩手県・秋田県及び関係市町)は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録をめざしています。遺跡群の内容についてはあとでふれますが、まずそのために必要なのは、顕著な普遍的価値(OUV・Outstanding Universal Value)を証明すること。そのためには、「人類の創造的才能を表す傑作であること」、など6つの規準があり、そのひとつ以上を満たすことが求められます。加えて「真実性(オリジナルの状態を維持している)」と「完全性」(価値を表す全体が残っている)」、そして「保護措置」なども求められます。考古遺跡の場合は、地下にあって保存されているものも多いわけです。以下、詳しくは日本ユネスコ協会連盟などのウェブサイトにありますから、興味を持った人は調べてみてください。世界遺産に登録されるとどんなことが得られるでしょう。まず、それが顕著な普遍的価値を有すると世界的に認められ、広く知られます。そして、遺産の保護は遺産保有国の義務ですが、自国の力だけでは不十分な場合、国際的な援助を求めることができます。また、武力紛争や自然災害などによって危険にさらされた場合、保護を国際社会に訴えることもできます。登録までの工程は、まず国内の文化審議会で推薦を受けなければなりません。これは各国1年で一件と決められています。国内推薦が決まると、ユネスコ世界遺産センターへ暫定版の推薦書を提出します。チェックを経て正式版の推薦書の提出となり、ICOMOS(イコモス・国際記念物遺跡会議)による審査、そして勧告を受けて、いよいよ世界遺産委員会で審議と決定が行われます。「北海道・北東北の縄文遺跡群」の場合、はじまりは2007年の北海道・北東北知事サミットにまでさかのぼります。さまざまな取り組みを経て、2019年の7月に国内の推薦案件として選ばれ、2020年1月に正式版の推薦書が提出されました。そこからイコモスによる審査がはじまり、9月にはオーストラリアの専門家らによる現地調査がありました。そして今年(2021年)の6月か7月の世界遺産委員会にかけられる予定ですが、コロナ禍で他国のほかの案件の審査工程も足踏み状態、というのが現状です。

 

 

 

世界遺産登録をめざす「北海道・北東北の縄文遺跡群」

 

 

 

さて、では世界遺産登録をめざす「北海道・北東北の縄文遺跡群」について。これは津軽海峡を挟んだ縄文時代の17の遺跡で、エリアは、秋田と岩手両県の北部、青森県、そして津軽海峡を越えて北海道の函館市、伊達市、千歳市にまたがり、関連資産として道南の森町も含まれます(道内6遺跡+1関連遺跡)。遺跡群からは、人々の1万年以上にわたる生活跡の興味深い実態がわかります。キーワードは、「定住」です。人類は狩猟採集の時代にはつねに移動を繰り返し、定住するのは農耕や牧畜を始めるころから—。世界の先史文化の研究では一般にはそう考えられてきました。しかしこのエリアの人々は1万年以上前から数千年にわたってすでに定住していたのです。つまり食糧をもとめて移動を繰り返さなくても良いほどに、身近に豊かで多様な海と山の幸があったのでした。そうした暮らしが、環状列石や周堤墓など、いろいろな祭祀や複雑な精神活動を生む環境を形づくりました。これらは、「農耕を始める前の人類の営みを顕著に示す、この地域固有の物証」なのです。このエリアの風土の基盤は、北からの親潮と南からの親潮や対馬海流、津軽暖流が複雑に混じり合う海洋環境です。海峡は人々を分断するのではなくむしろ繋げましたから、比較的同じような気候風土をベースに、共通する形や文様の土器が作られたり、集落の生活をつかさどる同様の祭祀が展開されたと考えられています。海峡を挟んだ豊かな交流があったのです。定住が始まったころの跡とされる地には、今から1万5千年前にさかのぼる青森県の太平山元(おおだいやまもと)遺跡があります。そして5千年ほど前には拠点と呼べる集落が生まれます。青森県の三内丸山遺跡や、北海道の伊達市の北黄金貝塚などです。そこからさらに祭祀場や墓地が作られていったことがわかる遺跡があり、3200年前ころの千歳市の「キウス周堤墓群」では驚くほど大きな集団墓地が見つかりました。堀り上げた土を周囲にドーナツ状に積み上げているので、周堤墓といいます。これらより少し時代を下った時代にまで人々が長く暮らした入江・高砂貝塚(洞爺湖町)でも、長期にわたる規模の大きな墓地の存在が分かっていて、また、イノシシの牙や南海の貝など、北海道では手に入らない素材でできた装身具などが見つかっています。私たちのイメージを超える遠距離間で、すでに交易があったのです。こうしたとても長い時間のあいだには当然、大きな気候変動や環境変化があったことがわかっています。そうした変化と人々の対応も、私たちにたくさんの知見や発見をもたらしています。そのほかトピック的に上げると、入江貝塚ではおそらくポリオに苦しんでいた人の骨が見つかっていて、この人は少なくとも10数年間は生きていたことがわかっています。つまり今で言えば介護を受けながら家族や仲間と暮らしていたのです。また道南の大船遺跡では、深さ2メートルを超える深くて巨大な竪穴住居跡が見つかっていますし、函館の垣ノ島遺跡では、亡くなった子どもの足形を粘土板にかたどったと考えられる土板がたくさん出土しています。さらに詳しいことや17の遺跡の特徴などは、北海道庁のウェブサイトの「縄文世界遺産推進室」のページや、縄文遺跡群世界遺産登録推進事務局のサイ「JOMON JAPAN 北海道・北東北の縄文遺跡群」などをぜひ覗いてみてください。

 

 

 

なぜ世界遺産登録をめざすのか

 

 

 

こうした遺跡は、研究者や考古学を専攻する学生、あるいは熱心な考古学ファンのためにあるのでしょうか? もちろんそれだけではありません。世界遺産をめざす意義もこの点にあるわけですが、各遺跡では、研究の成果を広く発信しながら、地域の人々との関わりを深めようとさまざまな活動を行っています。体験学習で子どもたちに遺跡を見てもらうことが広く行われていますが、その際は博物館の学芸員や地域のボランティアの方、学生などがガイド役を務めています。土器や土偶を作るワークショップや、火おこし体験など、誰でも楽しめるイベントもあります。遺跡周辺の清掃活動なども、地域の皆さんの力がなければ実現しません。清掃活動などは、地域の大切な財産をみんなで守り盛り上げていこうという、参加者ひとりひとりの気持ちから行われています。伊達市では昨年、「復元貝塚再生プロジェクト」という事業を行いました。北黄金貝塚公園のシンボルである丘の上の復元貝塚に、ハマグリやカキ、アサリなど、縄文人の食糧と共通する、家庭で食べた貝の殻を持参してもらったのです。そして貝塚が実際にあった時代の風景を再現しようと、学芸員が種類に合わせて貝塚に散布しました。また、縄文の森を復活させようと、市民参加の植樹も行われています。こうしたことが地域にどんな意味があるのかを、まとめてみます。世界遺産登録に向けた取り組みは、地域の人々に新たな気づきをもたらします。わがまちにこんな価値のあるものがある。私たちのまちの源流はこういうことなんだ、という発見です。例えば津軽海峡の北では、稲作を取り入れた、本州でいう弥生時代という歴史区分はありません(北海道だけ続縄文時代という時代区分があります)。まちのアイデンティティが地元の誇りとなり、郷土愛や地元愛を育みます。ひいてはそこから、1万年単位で日本の歴史や文化を考えることができ、まちの歩みがとても大きなものと繋がっていることがわかるでしょう。また産業経済の面では、世界遺産に引かれて外国も含めたたくさんの人々が地域を訪れます。観光業は、関わるビジネスの裾野がとても広い産業ですから、新たな経済が広がり、地域に活気をもたらします。SDGs(持続可能な開発目標)のことは皆さん知っていると思います。ユネスコでは、SDGsを実現させるために必要な手法として、ESD(Education for Sustainable Development・持続可能な開発のための教育)を掲げています。地元の世界遺産について学んで行動することは、世界遺産を豊かな教育資源にすることにもなり、ESDと世界遺産の組み合わせは、世界各国で注目されています。昨年の夏、札幌駅前通地下歩行空間で「縄文夏まつりinチカホ」というイベントを開催しました。南茅部出土の国宝の中空土偶など、代表的な出土品のレプリカを展示したほか、縄文オリジナルグッズの販売や、家庭で楽しめる縄文ものづくりキットの配布などを行いました。また北翔大学の芸術学科の皆さんにプロジェクションマッピング作品を上演していただきました。土偶たちがアメコミヒーローに変身したり、カラフルなデザインやキャラクターを使った手法が、従来の考古学ファンの外側にある、幅広い層の好評を得ました。さらに道庁本庁舎の1階ロビーでは、縄文をテーマにした展示コーナーを設けています。鉄もプラスチックも機械もない時代。縄文人は、生きることのすべての面で身の回りの自然をフルに活用して、数千年にもわたって循環的で持続的な営みを重ねていました。その暮らしぶりは、現在の私たちから見るとまるで「究極のエコ」であり、「自然との共生」そのものではないでしょうか。現代の価値観で考古遺跡をそういうふうに積極的に読み換えていくことも、私たちにさまざまな気づきと学びをもたらします。

 

 

 

北海道開拓を物語化する、日本遺産「炭鉄港」

 

 

 

次に、私が空知総合振興局で取り組んだ日本遺産、「炭鉄港」についてお話しします。日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて、日本の文化・伝統を語るストーリーを認定するとともに、その物語を語る上で欠かせない魅力ある有形・無形の文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用する取り組みです。キーワードは、「ストーリー」。地域固有の魅力あるストーリーを国内外に戦略的に発信することで、地域の活性化と観光振興を図ります。これはもともと東京オリンピック・パラリンピックの開催を見すえて、文化庁が日本の文化を内外に発信しようと、2015年に始まったものでした。2020年 までに100件 程度の登録が目標とされていましたが、最終的に104件が登録されました。北海道では5件。登録順に、「江差の五月は江戸にもない-ニシンの繁栄が息づく町」というスト-リーで、舞台は江差町。そして「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」というストーリーで、舞台は函館市、松前町、小樽市、石狩市。さらに「カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界」というストーリーで、上川町、旭川市、富良野市、当麻町、東川町などが舞台に。そして「本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命『炭鉄港』」という物語で、赤平市、小樽市、室蘭市、夕張市、岩見沢市、美唄市、芦別市、三笠市などが対象の地になりました。昨年には、津町、根室市、別海町、羅臼町を舞台に『「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~』という物語が認定されました。私が関わった「炭鉄港」という物語は、「石炭」・「鉄鋼」・「港湾」とそれらをつなぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた北の産業革命をストーリーとして紡ぐもので、これらは北海道の開拓と発展の原動力となりました。舞台となる市町は、小樽市、室蘭市、夕張市、岩見沢市、美唄市、赤平市、芦別市、三笠市、栗山町、月形町、沼田町、安平町にわたり、45の構成文化財があります。当時の繁栄の足跡は、「空知の炭鉱遺産」、「室蘭の工場景観」、「小樽の港湾」そして「各地の鉄道施設」など、今も見る人を圧倒する本物の産業景観としてたくさん残っています。この3つの地域は100 ㎞ 圏内にありますが、この地域の産業を原動力として、北海道の人口は約100年で100倍にもなりました。その上でこれらの産業群は、時代の大きな流れの中に取り残されたように衰退してしまいました。その急成長と衰退、そして新たなチャレンジを描くダイナミックな物語は、北海道の新しい側面として、訪れる人に深い感慨と、新たな価値への気づきをもたらします。「炭鉄港」の歩みは、1869(明治2)年の秋に小樽(手宮)に開拓使が海官所(港湾に関することを取り扱う役場)を設置したことにまでさかのぼれます。天然の良港だった室蘭港が近代港として開港したのがその3年後。つづいて幌内炭鉱(現・三笠市)の開山(1872年)と、石炭を運んで小樽(手宮)から積み出すための鉄道(官営幌内鉄道)の建設がありました。明治20年代半ばには岩見沢と室蘭が鉄路で結ばれ、空知の石炭が室蘭からも移出されることになり、製鉄所など大工場の進出もあった室蘭は工業都市として発展します。こうした流れは「NPO法人炭鉱(ヤマ)の記憶推進事財団」のウェブサイトに詳しく解説されていますので、ぜひご覧になってください。また「小樽市史」や北海道通商産業局の「北海道石炭統計年報」、国鉄の「北海道鉄道百年史」などにはさまざまなデータが載っていますから、興味のある方は数字の推移などを追ってみてください。小樽のことに絞ってみましょう。開拓使の海官所が設置され、本州各地からの人とモノがやってくる北海道の入り口となったことで、小樽は近代に急成長します。空知で最初に開かれた幌内炭鉱の石炭の積み出し港にもなりましたし、本州以南からたくさんの移民団が船で小樽をめざし、そこから北海道の内陸へと入植していきました。このまちは北海道開拓において、人と物資の一大集積地となったのです。日露戦争の勝利で樺太の南半分が日本の領土となると(1905年)、樺太への物流基地としても活況をみせます。1908(明治41)年には日本初の外洋性防波堤となる北防波堤が完成。神戸や横浜に次ぐ貿易港となりました。ヨーロッパで第一次大戦が起こると(1914-18)、十勝の豆類などが小樽から大量に輸出され、皆さんがいま学ぶまちは、北海道の商業と金融の中心都市となりました。そして海の幸に恵まれた小樽は市場のまちでもありました。戦後(1945〜)は、いまも残る小樽中央市場などで仕入れたた鮮魚やかまぼこをブリキ缶に入れて風呂敷で背負った行商人、「通称ガンガン部隊」が、鉄路で空知の産炭地へ向かいました。小樽には、北防波堤や色内の銀行街、手宮線の跡など、炭鉄港にちなむ文化財がたくさんあります。ですから、商大のあるまちの歴史と文化に、さらに興味をもっていただけたら、と思います。

 

 

 

歴史遺産に求められる「保存」と「活用」

 

 

 

世界遺産でもそうですが、地域の歴史文化を、単に知識として吸収するだけでは物足りませんし、それだけでは地域へのメリットも少ないでしょう。私たちは、「炭鉄港」をテーマにさまざまな仕掛けや切り口を作って、対象のまちの中や、まちからまちへと実際に人やモノを動かし、そこから何かを生み出そうとしています。つまり遺産は、つねに「保護」と「活用」の二本立てでなければ、地域に益をもたらす事業として持続できません。たとえば構成資産を24種類のカードにして各地域で配布しました。合わせて、集めて応募するとプレゼントや特典がもらえるキャンペーンを実施しました。3000枚ずつ作ったのですが、人気のカードは驚くほど早くなくなってしまいました。また日本遺産はストーリーを重視しますから、それをうまく語ったり、楽しく語り継いでいくことが大切です。そのためにガイドを養成しようと、ジオパークの事業ですでに実績のある三笠市のジオパークガイドの方から、ガイド技術を学ぶ催しを行いました。また「炭鉄港」のストーリーでは、鹿児島との関わりも見逃せません。幕末の雄藩である薩摩藩は、製鉄や造船など、開明的な藩主島津斉彬(なりあきら)のもとでいちはやく近代的西洋工業への取り組みを始めていました。その歴史遺産は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録されています。そして北海道の開拓使を動かしたのは、明治新政府の軸のひとつとなった、こうした土地で学んだ薩摩藩出身の人物たちでした。私たちは昨年(2020年)秋、鹿児島の博物館「尚古集成館」と連携してオンライン学習会と交流会を開きました。参加してもらったのは、歴史マニアではなく、北海道と鹿児島の小学生です。世界遺産と日本遺産がつながった、ユニークな催しとして話題を集めることができました。そのほかに昨年秋、今治市(愛媛県)で開催された「日本遺産フェスティバル」の会場では、炭鉱マンの姿になって「炭鉄港」のプロモーションを行いました。また現在、市立三笠高校製菓部の皆さんの力も借りながら、菓子メーカーさんと「炭鉄港」のお土産商品を開発中です。「炭鉄港」は、「NPO法人炭鉱(やま)の記憶推進事業団」や「むろらん100年建造物保存活用会」、「小樽市総合博物館」、「室蘭市民族資料館」、「三笠市立博物館」、「夕張市石炭博物館」など、地域を束ねる施設や、それらに関わる多くの市民団体などが協働しながら、交流や発信の多彩な場と機会を作っています。人口減の時代で疲弊していくまちの現状が憂慮される現在ですが、北海道をとりまくマイナス要因に対して、こうした動きはとても有効な一手となるでしょう。自分が暮らすまちを深く知ることがまず第一歩です。そこから湧き上がってくるはずの好奇心や愛着、そして創造力や誇りは、北海道の未来に欠かせない力となります。それは、北海道に移住したいという人々を動かす魅力づくりにもなるでしょう。

 

 

 

道職員の責任とやりがい

 

 

 

私たちは、依然として出口の見えないコロナ禍の中にいます。世界遺産の取り組みでも、いろいろな会議やイベントが中止になったり、大きな制約を受けました。オンラインでの話合いでは、顔を合わせた会議に比べるとやはり活発で当意即妙のコミュニケーションは取りづらいですね。イベントでもオンラインでは、たまたま通りかかった人が興味を持って参加するといった、偶然の出会いは起こりません。一方でオンラインでは誰でも比較的フラットな関係で向き合えるので、そこから生まれる議論やアイデアもあるな、と思いました。昨年来私が特に実感したのは、歴史文化がもつ意味です。官民問わず、財政が厳しくなってくると文化の分野は最初にカットされがちです。私たちの社会には、衣食足りてはじめて文化がある、という先入観があるようです。しかし困窮して心が折れそうになったり、ステイホームやリモートで人と人の関わりが薄くなっていくと、人間を人間らしく支えてくれるのは文化なんだと気づきます。私たちには、いまこそ「自分がいまここにいること」をめぐる歴史文化を意識することが大切なのだ、と思いました。北海道博物館などでは、ステイホームで楽しめるバーチャルミュージアムの取り組みを実施しています。道庁職員として私は、地域と地域をつなげる仕事を意識してきました。札幌以外では倶知安と岩見沢に勤務しました。倶知安では、パウダースノーが楽しめるゲレンデに家から車で15分で行けたので、豪雪がもたらす豊かさを実感しました。暮らしはいつも、美しく雄大な羊蹄山に見つめられていました。岩見沢もまた豪雪の地ですが、緑豊かなまちで、とくに岩見沢公園のバラ園が大好きになりました。出勤前に散歩すると、とても豊かな香りが楽しめます。バラは朝のうちがもっとも強い香りを出すんですよ。ジンギスカンやワイン、お米と、おいしいものがいっぱいある暮らしでした。これは道職員ならではの余得だと思いますが、転勤するたびにそのまちの魅力を知り、ひいては北海道の豊かさを実感します。私が最初に所属した部署は、道立札幌医科大学の事務局総務課でした。その後本庁で庁内の情報システムに関わり、商店街や市場、産業振興の担当になり、それから市町村行財政、選挙、地方創生や広報、移住の仕事にも携わりました。道職員は、とても多岐にわたる業務分野が経験できます。私には専門性はないのですが、それぞれの分野で高度な専門性を持っている方々と仕事をさせていただいています。30代前半のころから、仕事で企業のトップの方に会うことができるようになりました。年齢的に、これは民間企業では考えられないことです。そのころから、政策を実践するなかで意志決定の最小単位として働く自覚や自信と、公的な機関の人間として自らをしっかり律する必要性、そして大きなやりがいを感じるようになりました。「炭鉄港」では、外部の専門家の皆さんと仕事が刺激的でした。今日私は皆さんに、公務員の仕事の魅力ややりがいも強調したいと思います。どうぞ進路の選択肢に、道庁も加えてください。

 

 

<塚田 みゆきさんへの質問>担当教員より

 

 

 

Q 世界遺産や「炭鉄港」の取り組みでは、地元の人々の関わりが重要だということを強調されました。そのことを学生諸君に考えてもらうのが今日の講義だったとも思いますが、もう少し具体的方策としてはどんなことが言えるでしょうか?

 

 

A 市民も企業も、まず、地元にこういう価値のあるものがあるんだと気づいて、価値の中味を知ってほしいと思います。世界遺産なら、地域と世界が、日本遺産であれば地域と日本の大きな歴史が直結しているわけです。そんなこと知らなかったし、考えたこともなかった、という人もいるでしょう。そして興味をもったら、私たちが取り組むイベントなどに気軽に参加してほしい。遺跡の環境保全活動などもあります。企業単位でも大歓迎です。いずれにしても、勉強するというよりは楽しむ気持ちでこうした事業に気軽に関わりを持ってほしいと思います。

 

 

 

Q 世界遺産や日本遺産が地域にどんな価値をもたらすか。あらためてこの点はいかがでしょうか?

 

 

A 北海道では、ひとつの産業によって町がほとんどゼロから生まれたという例がたくさんあります。「炭鉄港」はまさにそうしたまちの歩みを知る入り口です。さらに、そこからまちとまちの関わりやつながりが見えてくるでしょう。自分がいまそういうまちに暮らすことの意味を思えば、自然に愛着が深まったり、それまで意識することがなかたよそのまちにも、敬意や親しみが湧くのではないでしょうか。そして興味を持った人は、実際に現地を訪れてほしいと思います。個人単位のマイクロ・ツーリズムでも、ツアー商品でも、人の流れが新たに生まれれば、観光や飲食の分野などで、地域経済にもたくさんのメリットがあります。また世界遺産をめざす縄文遺跡群では、発掘作業は地域のボランディアの皆さんに支えられています。お小遣いかせぎに楽しんでいる方も多いのです。でもその多くは年配の方ですから、こうした場に学生や若い人がもっと関わると、地域にさらに活気が生まれます。発掘作業に限らず、縄文をテーマにお菓子を作るとか、クラフトやアートに挑戦するのも良いでしょう。まちの創造力の新たな源や切り口としても、世界遺産や日本遺産はあると思います。

 

 

 

Q 近年の学生のあいだでは、道庁職員は転勤があるので志望しづらい、という傾向が高まっているのが現実です。実際の仕事を知らないからこその反応にも思えるのですが、最後にふれられた、道職員のやりがい、仕事の魅力について、さらに強調したいことはありますか?

 

 

A 転勤のない公務員が人気ですね。でも札幌市などは別にして、役所の内部は良くも悪くも狭い人間関係に左右されがちですから、入ってからそこを難しく感じる人もいるでしょう。道庁は大きな組織ですから、移動によって人づきあいが大きく変わりますし、そういう心配はありません。

 

 

 

札幌を離れて振興局で地域振興の分野を担当すると、いつも市町村の視点を意識しながら、地域のために働いていることが実感しやすいと思います。たとえばある町と町とのあいだに課題があって、振興局がそのあいだに入ってより良い問題解決ができたり。私は、それぞれの地域の思いを汲みながら、その営みをうまく後方支援できたときには、共に北海道で暮らしているんだという共感をベースに、仕事への充実感をおぼえます。

 

 

 

<塚田 みゆきさんへの質問>学生より

 

 

 

Q 塚田さんは、卒業後まず民間企業に入社して、4年ほどキャリアを積んでから道庁職員となりました。転職にはどのような動機があったのでしょうか?

 

 

A 商大生時代の私には、実は公務員という進路の選択肢はありませんでした。私の就活時代は日本経済にはとても勢いがあって、のちにバブル経済ともいわれました。しかしそのピークが終わると、各企業は組織変更など、いろいろな改革を強いられます。私が勤めていた会社もそうで、それまでは外に出る営業に近い部署にいたのですが、以後内勤になってもらう、と会社から言われました。ならば事務のプロフェッショナルになろうと自分で勉強をはじめるうち、それが面白くなり、いっそ公務員試験を受けようかな、と思ったのです。公務員のような、比較的安定した時間帯で働いた方が良いだろう、という実家の事情もありました。幸い道庁に合格したわけですが、近年ではとくに、企業経験者が道庁職員となるケースが増えています。皆さんも、最初から志望する以外に、一度企業を経験してからの進路としても公務員がある、と理解してほしいと思います。

 

 

 

Q 地域と関わる仕事がしたいと思い、私は公務員になりたいと思います。地域に寄りそい、地域と関係を深めていく上で、塚田さんはどのようなことを意識されているのでしょうか?

 

 

A 各地域の営みには複雑で長い歴史がありますから、外部の人間が入っていくのは簡単ではありません。新しい赴任地に入った私はまず、その地にどんな皆さんがいて、どんなことを考え、地域のどんなことを課題や問題として捉えているのかをよく知りたいと思いました。その土地で皆さんはどんな人生をおくりたいのか。そのことがわかってきてから、いっしょに考えたり、共感したり、道職員としての私の行動がはじまります。そこが出発点ですね。

 

 

 

Q 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の取り組みとして、北翔大学の学生と行ったことが面白いと思いました。小樽とも縁の深い「炭鉄港」などで、学生として関わることへのヒントをいただけますか?

 

 

A 学生ならではの楽しく自由な発想を活かして、私たちの呼びかけに応えたり、何かを提案してほしいと思います。北翔大学の学生さんたちは、カラフルでアートのような表現で私たちを驚かせてくれました。行政の現場にいては生まれない発想や手法を、私たちは求めています。私としても、そういう若い方々と繋がりたいのです。また、道庁から市民へ、というアプローチだけでなく、大学生から市民や子どもたちへアプローチする方法にも、期待をしています。

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