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2022.11.09

令和4年度第5回講義:久住 奈水子さん(S62卒)「ライフシフト〜好きなことを仕事にして人と人をつなぐ〜」

講義概要(11月9日)

 

○講師:久住 奈水子氏(昭和62年商学部商学科卒/全国通訳案内士・通訳者・英語講師)

 

○題目:「ライフシフト〜好きなことを仕事にして人と人をつなぐ〜」

 

○内容:

私はいま、英語講師、通訳者、通訳案内士と、3つの仕事をしている。共通しているのは、英語を臨機応変に使って、人と人、人とまち、さらには人と未来をつなぐことだと考えている。カナダでのある出会いが私を英語講師の道に進ませ、さらに半ば軽い気持ちで行ってみた通訳学校での出会いが、私をプロの通訳となることに導いた。英語と長くつきあうことで開かれていった私のキャリアをもとに、主に通訳者と通訳案内士の仕事の現場を説きながら、後輩たちの進路にヒントや刺激を与えてみたい。

 

英語を軸にすることで広がり、繋がっていった私のキャリア

 

 

久住 奈水子氏(昭和62年商学部商学科卒/全国通訳案内士・通訳者・英語講師)

 

 

 

 

 

いろいろなことを楽しんだ学生時代

 

 

私は全国通訳案内士という国家資格をもって、英語の通訳者と通訳案内士の仕事をしています(通訳案内士とは何か、という話はこのあとでします)。また英語講師も長く務めてきました。振り返ってみると小樽商大を出てから私は、好きな英語を使うことを通して、人と人をつなぐ仕事をしてきたのかな、と思っています。今日までの私の仕事についてお話をして、学生生活やこれからの進路のヒントになったら幸いです。

 

私は札幌生まれの札幌育ちで、1983年に札幌西高校を卒業して商大に進学しました。当時はとくに西高の卒業生が商大にたくさんいたと思います。キャンパスでは石を投げれば西高卒業生に当たる、と言われたくらいです(笑)。女子の学生が少しずつ増えていったころでした。トイレの数が追いつかず混雑してちょっと困ったこともあったように思います。でも代々受け継がれてきた「バンカラ精神」にあふれる、良いコミュニケーションがありました。今この教室を見渡すと女子の割合が多くて、私はうれしいですが、恐らく皆さんはバンカラという言葉を知らないかもしれませんね(笑)。

 

山下隆弘先生のゼミでマーケティングを勉強して、ほかにクロスオーバースポーツクラブという、体育系として初めてできたサークルでスポーツを楽しみました。テニスやスキー、ボーリングなどです。また家庭教師と、大学入試模試の採点のアルバイトを長く続けました。ほかに冬にはスキーツアーのゲレンデスタッフとして働きました。本州から北海道のスキー場にたくさんのツアーが組まれて、前後して『私をスキーに連れてって』(1987年 原田知世主演)という映画が大ヒットした時代でした。そこで英語を使う機会もありました。1980年代の小樽はまだ今日のような観光都市ではありませんでしたが、いろんな方と接したスキーツアーのバイトは、大人の世界を垣間見せてくれた経験でもあり、シャイだった私の性格を少しずつ変えてくれました。

 

学生時代の英語学習に関しては、語学系の部活に所属しなかったので(入れば良かったと、今となっては思います)、2年生と3年生のとき、春休みと夏休みを使って、イギリスのケンブリッジの語学学校で3週間ほど英語を学びました。最初に行ってとても良い経験をしたので、また行こうと思いました。同級生の女子学生の中でそんなことをしたのは、当時は私が女子で初めてで、友人たちも続いて、ちょっとした語学留学ブームを巻き起こしたのでした(笑)。

単位は3年生までに全部取ってしまったので、就活で忙しくなる前の4年の夏までは札幌の英語スクールにも通ったり(いまと違って当時の女子の就活開始は4年になってからでした)、いろいろなことを楽しみました。英検一級にも挑戦したのですが、このときは目標達成できませんでした。

 

英語は、中1の最初は実は得意ではありませんでした。でもがんばって勉強して、いつのまにか得意科目になっていきました。映画や海外ドラマを字幕なしで観られるようになりたいな、などと素朴に思うようになりました。『大草原の小さな家』とか『刑事コロンボ』など、アメリカのテレビドラマが日本でも人気でした。

 

 

 

男女雇用機会均等法の第1世代として

 

 

インターネットがない時代の一般的な就活は、送られてくる分厚い就職雑誌を見て、希望する会社に、雑誌についているハガキを出すことからはじまります。すると企業から説明会の連絡が来ます。また先輩たちがリクルーターとして大学に来て、企業説明や相談にのってくれたりもしました。雇用において男女の平等をめざす男女雇用機会均等法が1986年にできて、私はその第1世代にあたります。

でも男女差は現前としてあり、特に地方の大卒女子にとってはまだまだ厳しい時代です。女子の採用は短大卒まで、と限定していた企業もけっこうありました。男子には企業から連絡がふつうに来るのに、女子の場合はこちらから問い合わさなければ説明会にも行けないこともありました。

就職しても女性は結婚すれば退職するもの、という風潮が一般的でした。でも80年代の後半は日本の経済にとても活気があった時代で、最終的に私は住友商事に就職することができましたし、友人たちも有力企業に就職が決まりました。

 

住友商事では自動車の輸出に関わる部門に配属されました。総合職の男性のアシスタント的な仕事ではありましたが、英語を使う機会もあるのがうれしかったです。やりがいもそれなりにあり、華やかで活気にあふれていて楽しい職場でした。でも3年ほど経つと忙しさにやや疲れてしまい、札幌に戻りました。ほどなくして、通訳につながる人生が、札幌から始まっていきます。

 

ここで今日のテーマである「ライフシフト」についてお話しします。

この言葉はイギリスの組織論の研究者リンダ・グラットン教授の日本語版著作のタイトルです。人生が7080年くらいのものと考えられた昔なら、会社勤めの人が60歳くらいで定年を迎えたら、あとはゆったり余生を楽しむといった生き方が一般的でした。でも100年となると、余生が長すぎます。ひとつの組織に雇われることを軸にした生き方だけでは幸福にはなれません。だから人生をマルチステージとして考えて、時代やキャリアが変わることに合わせてもっと主体的に生きることが求められるでしょう。途中で学び直したり、新しいことを吸収したり(新たな技能やスキルを学ぶことを最近では「リスキリング・Reskilling」といいますね)。また地域の活動に取り組んだり、家族や友人たちとの時間を豊かにすることも大切になります。そのための基盤になるのは、生活力であり、心身の健康です。

私自身のことに引きつけていえば、私は変化に応じて自分を変えていって、自分が変わることで新たな世界が広がりました。

 

住友商事をやめて札幌にもどり、しばらくして結婚して娘が生まれます。夫が仕事でカナダのトロント大学に留学することになり、家族で1年3カ月ほど暮らしました。外国での子育ては大変だなとは思いましたが、私は絶好の機会に恵まれて、向こうの語学学校にも通おうと思いました。娘が小さいので保育所を調べてみると、外国人にも門戸を広げたチャイルド・ケア(保育所)がちゃんとあり、週2、3回預けることができました。

語学学校は市が運営する学校がたくさんあり、しかも無料で通うことができました。さすがは移民の国だな、と思いました。クラスは1015人くらいで、いろんな国籍の人がいます。とても刺激を受けました。そしてトロントで、日本から来ているある人と出会い、それが縁で、帰国後、ECCジュニアのホームティーチャー(幼児・小学生〜高校生・大人向け英語講師)になりました。1997年、次女が生まれた年です。

 

ホームティーチャーの仕事は放課後から始まるので、日中に家事や育児・PTAや趣味の活動もしながら無理なく働けて、自分なりのワークライフバランスがうまく取れたと思います。カナダで出会った方が、そういう働き方ができるよ、と誘ってくれたのでした。

英語の講師は、その後20年も続けることになります。やはり子どもたちを教える楽しさがありました。アルファベットも読めなかった子が、いつのまにかみんなの前で堂々と英語で話せるようになったり…、講師でありながら保護者のような気持ちでも教えていました。子どもたちも、学校と家の中間にある私の存在を頼ってくれるようになり、楽しくやりがいもある充実した仕事でした。

 

私はいま、「英語講師」と並行して「通訳者」と「通訳案内士」としての仕事をしています。「講師」については少しお話しましたし大学生ならなじみのある仕事だと思います。今日は後者のふたつについて特に紹介したいと思います。具体的な説明はこれからしていきますが、この3つに求められることは共通しています。

まず英語ですね。それと、臨機応変な力や、ホスピタリティ。また、もっと深いところで3つに共通しているのは、「人を何かにつなぐ」、ということです。ビジネスでも交友でも、人と人をつなぐ。さらに観光の文脈で言えば、人(ツーリスト)と土地。教育でいえば、英語を教えることで人とその未来をつないでいるのだ、と思っています。

 

 

 

通訳者にライフシフト

 

 

ホームティーチャーをして156年たったころ、子育ても落ち着いてきましたし、生徒さんにハッパをかけるだけでなく、自分でももっとスキルアップしたいな、と思うようになります。そんなとき通訳者を育成する学校があることを知って、通ってみたい! と思いました。最初はあくまで英語のブラッシュアップのためで、通訳者になろうと思っていたわけではないのです。英検1級の二次試験対策のコツを学ぶため、通訳者はどんな勉強をするのか知りたい、というのが最初の動機でした。でもそこで講師のプロの通訳の方々と出会ってインスパイアーされたのです。かっこいいな!自分もやってみたい、と強く思いました。

そうして通訳案内士の資格を取って、アラフィフで、私は新たなステージに「ライフシフト」したのでした。全国通訳案内士として仕事を始めたのは、2014年です。

 

通訳の仕事はイレギュラーでスポット的に入るので、スケジュールが前もって決まっているホームティーチャーの仕事がしづらくなったので徐々に縮小して辞めました。以後、仕事の中心は通訳と通訳案内士になりますが、その後、新たに非常勤的な英語講師の仕事もいただけるようになり、この3本柱で仕事をしています。

コロナ禍で外国人が入国できずに通訳の仕事が途切れたときでも、英語講師の仕事だけは無くなりませんでした。その意味で英語講師も続けてきて良かったな、と思いました。

 

私が通訳をしている現場の写真を少し見ていただきながら紹介します。2019年にラグビーワールドカップのゲームが札幌でも行われましたが、それに先立ち、オーストラリアのレジェンドと呼ばれるスター選手が視察に来たときのひとコマです。小学生との交流イベントです。またこちらは、京都で行われた博物館の学会後の一連のイベントのうち、スピンオフのエクスカーションです。研究者の皆さんが平取(日高管内)の二風谷アイヌ文化博物館を訪れたときのようすです。

 

通訳の形式には、「同時通訳」、「逐次通訳」、「ウィスパリング通訳」と、大きく3つがあります。同時通訳とは、皆さんもイメージできると思いますが、発話者の言葉をその場でよどみなく訳出して、聞き手はイヤホンなどを通してそれを聞きます。放送でも行われますが、これにはとても高度な技術と深い経験が必要です

一方、私の仕事はほとんど、「逐語通訳」。発言者がある程度の長さで話したことを、一区切りごとに訳していく、一般的な通訳です。また、「ウィスパリング通訳」は、同時通訳の一種で、通訳が必要な人がごく少ないときに、その方の耳元で「ささやくように」行うのですが、こちらは私もすることがあります。

 

通訳者の仕事場としては主に、会議やビジネスの現場になります。働き方としては、私のようなフリーランスと、企業に直接雇用されてその企業のために通訳業務を行うインハウス通訳者がありますが、知る限りでは、エージェントさんから手配された仕事を案件ごとに担当するフリーの通訳者が多いです。

通訳者の仕事は、その現場だけで発生するのかといえば、全く違います。仕事を成功させるためのもっとも重要なファクターは(語学力はもちろんですが)、「準備」です。準備8割、9割とも言われます。その仕事の5W1H (日時、場所、人物, テーマ、通訳形態)の確認が欠かせません。その現場のあらましや歴史も知らずにその場所の仕事をすることはできません。あるいは通訳する人の固有名詞はもとより、役職や経歴、過去の発言、有名人であればネットに講演やインタビューが載っていたりするので、どんな方か、発音の個性などもチェックしておきます。

さらに、当日のテーマのリサーチも当然重要です。スピーチをされるのであれば、事前に原稿を見せていただきたいところです(原稿通りにスピーチするわけではないにせよ)。こうして準備をして当日にのぞみ、たいていは打ち合わせのあと、本番を迎えます。

通訳の役割は、発話者の内容や意見を正確に訳すことで、原則、「何も引かない、何も足さない」。通訳者はあくまで黒子なのです。

 

 

 

 

 

通訳案内士の仕事

 

 

これに対して、先に触れておきました「通訳案内士」は、同じ通訳でも少し違います。

通訳案内士は自分の知識や話術を駆使して、外国人観光客の安全で楽しい旅行のお世話をするのが仕事です。国土交通省の定義では、「外国人に付添い、外国語を用いて、旅行に関する案内を行う職業」、とあります。民間外交官という側面もあるでしょう。
おもてなしの精神をベースに、日本の文化や風習、その土地の魅力などを伝えながら、楽しい日本旅行を楽しんでいただきます。ですから、人生経験が生きる仕事ではないかと思います。実際、年齢の割合でみると、40代以降の女性が多いです。男性は、定年後の60代以降が多いです。

 

通訳案内士の仕事ではまず、FIT(Free Individual Traveler・海外個人旅行)のお客さま相手、そして団体旅行や、クルーズ船の寄港地周辺のエクスカーションなどがあります。皆さんは1〜2年生ということで、もしかしたらコロナ禍前の小樽観光の活気を知らないかもしれません。勝納埠頭にあのダイヤモンドプリンセス号のような大型客船が入ると、港から小樽市内(運河や天狗山など)や札幌、余市方面などにエクスカーションが組まれました。多分、来年(2023年)にはまたその光景が見られると思います。

 

また平取町のアイヌ民族博物館のことにふれましたが、世界の各界の研究者が学会で来道したときにも、エクスカーションが行われます。さらに近年では、アドベンチャー・ツーリズムと呼ばれる、地域の自然や文化に深くふれるオーダーメイドの旅もあります(2023年秋にはアドベンチャーツーリズムのワールドサミットが北海道で開催されます)。

通訳案内士の七つ道具には、参加の皆さんに私の居る場所をつねに知ってもらうための旗幕(フラッグモール)とか、集合時間をしっかり知らせるボードなどがあります。

 

通訳者の仕事と同じように、通訳案内士の仕事も、その現場だけで発生するわけではありません。仕事の準備は、受けた日から始まります。お客さまはどんな方々でどこへ行って何をしたいのか。下見や訪問先への連絡が欠かせません。地図など配布物も用意して、現地の解説の用意をします。そして当日ご案内して、その場所や日本に良い印象を持っていただけるように説明とおもてなしに努めます。ツアーが終わっても、報告書の作成や経費の精算など、やることはたくさんあります。

 

例えばクルーズ船のショアエクスカーションの場合。

「小樽半日コース」なら、11:00 小樽港勝納埠頭出発、11:20 旧青山別邸 (50) 12:30 天狗山 (60)13:45 小樽運河散策(90)15:30 小樽港到着、という具合です。

クルーズ船の場合はまだ仕方ありませんが、このように小樽観光というとまだまだ日帰り・半日観光が多いのです。個人的には小樽観光ではやはり小樽に一泊して欲しいと心から願います。もっとじっくりこのまちを味わってほしいですね。

 

 

 

大変さとやりがい

 

 

通訳者にしろ通訳案内士にしろ、大変さとやりがいは共通項が少なくありません。

大変さでいえばまず、コロナ禍がありました(まだ進行中ですが、人の動きは以前のようには止まらないでしょう)。厳しい時期、私たちは結束力を高めて、情報交換を綿密にして、オンラインでの勉強会もたくさんしました。

コロナ禍で痛感したように、観光など人が広く動くことには、災害やパンデミック、紛争など世界の情勢が大きな影響を及ぼします。

また異文化をつなぐ仕事ですから、いつも膨大な勉強が必要ですし、緊張感もあります。現場では、相手がしゃべる英語が全然聞き取れない、などという悪夢のような事態も起こりえます(笑)。実は先ほど写真でご覧いただいたラグビーW杯関連では、オーストラリアのレジェンド選手の英語が極端なオーストラリアなまりで、途方に暮れました。でも、なんと同席していたネイティブのアメリカ人の通訳者も全然聞き取れない、と頭を抱えていたのです。ホッとしました(笑)。そして全身を耳に集中させて聞いているうちに、彼の英語がだいぶわかるようになりました。

 

さて、ではやりがいは何でしょう。

通訳には、言葉や文化の橋渡しができる喜びがあります。発話者の意図がちゃんと伝わり、ビジネスの関係が繋がったときの満足感や、仕事が終わったときの充実感は何ものにも代えられません。身体の中でなにかがジュワーッと満ちていくような気がします。そして、仕事をするたびに自分の視野も広がります。ちょっとミーハー的な楽しさには、有名人や著名人に会えたりもします(笑)。

通訳者や通訳案内士に向いている人はどんな人でしょう。

まず好奇心が旺盛な人。そして勉強が好きな人。そして体力がある人だと思います。私自身に当てはまるかというと、かなり疑問も残りますが(笑)。

 

 

 

 

 

異文化理解の大切さ

 

 

異文化マネジメントの専門家エリン・メイヤーさんという方の『異文化理解力』という本に、「魚は水を見ることができない」という言葉が出てきます。

そこには、「魚は水の外に出てはじめて水の必要性を認識する。私たちにとっての文化とは、魚にとっての水のようなものだ。私達はそこに生き、そのなかで呼吸している」、と書かれています。

私も最初にイギリスのケンブリッジに行ったとき、日本のことをたくさん聞かれて、まともに答えられない自分に驚くやら失望するやら。無知な自分が恥ずかしくて仕方がありませんでした。なので、この表現を読んだとき、まさにその通り!と昔の自分を思い出しました。

 

海外からいらした方々をご案内すると、しばしばこんな質問を投げかけられます。

「地震や台風など災害が多いのに、どうしてこの土地に住んでいるの?

深い雪に包まれた厳しい寒さも夏の蒸し暑さも、私たちには当たり前であり、風土の大切な個性です。そうした上に活火山もあり、だからこそ豊かな温泉の恵みがあり、独特の自然景観があります。そんな日本列島に、太古から人々は営々と暮らしてきました。

「なぜいちいち靴を脱がなくては行けないの?

これを不思議に思う人は少なくありません。でも、日本のこの風土で生きてきた人々は、内と外の分別やその境界に深い意味を持たせてきたのです。そのことが現在の日本社会を作っています。いちいち靴を脱ぐことを強いられて苛立っている外国人にも、こういうことをちゃんと説明すると、わかってもらえます。そして、なるほどそんな異文化を味わってみよう、と思ってくれたら大成功なのです。

 

 

 

語学力を身につけるために

 

 

通訳者がどのように英語力を磨くか、また日々どういうトレーニングをしているか、一端をご紹介します。

まず、単語やフレーズ、文を聞いてすぐ口頭で訳す「クイック・リスポンス・Quick Response」というトレーニングがあります。そして、テキストを見ながら音声を聞き、発音や抑揚などをシンクロさせて音読するのが「オーバーラッピング・Overlapping」。

また、発音・抑揚などをマネしながらすぐ後ろから影のように発話する「シャドーイング・Shadowing」という方法も有効です。集中力を高めて、聞こえてくる英語のすぐあとを追いかけるのです。これでリスニング力、ひいてはスピーキング力も鍛えられます。

単語を覚えるために、エクセルで自分なりの単語帳を作り、それを使って「クイック・リスポンス」にも利用します。「シャドーイング」に関しては、私は毎日、BBCのニュースやNHKワールドのニュースなどを聞いて練習しています。

 

また英語学習一般としては、インターネットを使えばいろいろな学びができます。皆さんもよく知っているPodcastYouTubeTwitterInstagramVoicyなども、英語学習に楽しく活用できます。

翻訳のツールもgoogleDeepLVoiceTraなど無料のものがたくさんがあります。英語だけでなく、特に他の言語にも役立ちますよね。

Flash cardsアプリを単語帳のように使うのも良いでしょう。それからやはりNHKの語学講座無料アプリ、「NHKゴガク」はすばらしいと思います。スマホにいれておくだけでいつでもどこでも聞けるのですから。自分にあったコンテンツを探してみましょう。

辞書なら、英辞郎やWeblioですね。アプリをいれておくとすぐに使えますよね。

 

 

ここでちょっとおまけのお話です。

L」と「R」の発音は、日本人の永遠の課題と言われるのを耳にしますよね。

日本人の主食は「お米=Rice」ですが、「Lice」だとシラミになってしまうとか。文脈でわかるのでは?と思うことも、無きにしもあらずですが。

これは私が遭遇したエピソードなのですが、ある場所で、英語が少し話せる日本の方が外国人に目の前の花咲ガニのことを説明するのに、「レッドクラブ」と言いました。確かに、花咲ガニって真っ赤(=red)ですよね。でも残念ながらLeddo Clabuと聞こえてしまって、全然通じていませんでした。日本人なら、レッドクラブと聞こえたら”red cra”=「赤い色のカニ」と理解できるので、そんな些細な違いで意味が通じないなんて想像できませんが、ほんとにわかってもらえなかったのです。典型的ないわゆる日本人英語(の発音)のために通じなかった例なのだと思います。

 

 

一方で、いま言ったことと少し矛盾することを言います。

世界の人口(80億人)のうちおよそ4人に1人(20億人)が英語を話すと言われています。さて、ではそのうちネイティブの割合はどのくらいいると思いますか?

実は、たったの4分の1なのです。

英語学習のひとつの目的には、標準的とされる英語を聞き取って話せるようになることがあるでしょう。それはもちろん正しいと思いますが、同時に、世界にはさまざまな英語があるんだ、ということも理解しておいてください(世界英語とかWorld Englishesなどという考え方の潮流です)。アジアの英語、アフリカの英語など色々あります。そうすれば、きれいで正しい英語を話さなければ、と必要以上に緊張する必要もなくなると思います。英語学習、特に話すことに関して自信がついてきますよ。

 

締めくくりに。

ここにいる皆さんの多くは、特に通訳者や通訳案内士になろう、とは考えていないと思います。ですから今日の話は、社会には通訳者や通訳案内士という仕事があり、その現場や英語学習のヒントを知るという意味で受け取っていただければ良いのです。

でも逆に、将来通訳者を使う立場になる人は、たくさんいるのではないかと思います。そういう場合への、通訳者の立場からのヒントをお伝えしたいと思います。それはまた、人と人のコミュニケーションの基盤に関わることでもあります。

まず、通訳者も人です。「通訳さん」よりも「〇〇さん」と、名前で呼ばれるとモチベーションも上がります。それから、早めに資料をくれると助かります。我々の仕事の8割9割は準備にあるので、パフォーマンスにつながります。”win-win”ですよね?さらには、発話者の言葉が聞きづらい場所や音響設備と出くわすことがあります。これも仕事の質を左右する問題です。

また、冗長であいまいな日本語は、うまく英語にできないことがあります。言いたいことを効率よく伝えると良いと思います。

 

今日は英語を軸にした私自身のキャリアを通して、ライフシフトと通訳の現場のお話をしてきました。私が自分のペースで長く仕事を続けてこられたのは、中学生の途中から英語が好きになり、商大時代から英語を実践的に学んできたからでした。子どもが小さいころは子育てに忙しくて、社会との接点が減って不安になったこともあります。でもその時代に気づいたこともまた、たくさんありました。

アラフィフで通訳者、通訳案内士という新たな道に進むことができたのも、英語というひとつのことに長く取り組んでいたおかげです。そしてそのきっかけや力になってくれたのは、いくつかの大切な出会いでした。軸を決めて長く続けていけば、ほかの道に入っても、きっとどこかでその経験はつながっていきます。そのことを意識してみてください。

それと、コロナ禍がどうなっていくかは見通せませんが、私の時代に比べればいまは、学生が海外にいくチャンスや就学支援の制度はずっと充実しています。そういう制度を貪欲に調べて、ぜひ活用してください。このことは、強調しておきたいと思います。皆さんが切り開いていく未来を応援しています。ありがとうございました。

 

 

 

 

<久住奈水子さんへの質問>担当教員より

 

Q 通訳の現場でたくさんの経験を積んでこられた久住さんですが、何かとりわけ印象的なエピソードをご披露していただけますか?

 

A これは通訳の仕事そのもの、というよりも通訳の役得の話になりますが(笑)、道立近代美術館で開催された「ゴッホ展」(2017年)で通訳を担当したことがありました。クーリエ(作品を貸し出す美術館の専門スタッフ)が作品群を搬入して、札幌の担当者が展示作業を進めるところから、ゴッホの弟であるテオ(テオドルス・ファン・ゴッホ)のお孫さんも出席したレセプションなど一連のプロセスで、通訳業の私の師匠といっしょに仕事をしました。なんといっても、梱包が解かれて本物のゴッホの絵が目の前で姿をあらわすことに感動しました。ゴッホの作品の裏には、作品ごとにそれがどんな美術館で展示されてきたかという履歴がわかるラベルが貼ってあります。現場でそういう世界にふれて、ドキドキしたことを覚えています。

 

 

 

 

<久住奈水子さんへの質問>学生より

 

 

Q 英語に加えてほかの外国語が使えれば有利ですか?

 

A もちろんそうです。中国語やスペイン語、フランス語、ドイツ語など、世界的に話す人が多い言語をマスターすれば、需要もありますし差別化ができますね。私も韓国語をいっとき勉強していたのですが、通訳できるレベルまではほど遠いです。あるいはタイ語など、日本人でマスターしている人が少ない言語も狙い目です。

 

 

Q 異文化との橋渡しをする中で、あらためて日本の良さとか北海道の魅力を再認識することはありますか?

 

A いつも思っています。食べ物がおいしくて、治安も良いですね。一方で、日本が海外諸国と関わってきた歴史のことをもっと知らなければ、とも思います。とくに近代以降のアジアの歴史は複雑で、いろいろなことを聞かるときがありますが、安易には答えられません。日本人が英語をしゃべるのが苦手なのはなぜ? という問いの有力な答えのひとつに、「日本は英米の植民地にならなかったから」、ということがよく言われます。それも一面の真実だと思います。その歴史の背景を理解しなければなりません。

 

 

Q 世界にはネイティブの人の英語に限らないいろんな英語がある、というお話が印象的でした。若いときはシャイだったとおっしゃいましたが、そんな久住さんが堂々と英語をしゃべれるようになったのには、どんなきっかけや経緯があったのでしょうか?

 

A ホームティーチャーになるための研修で、大声で英語を話すトレーニングがあって、まずそのあたりからでしょうか。ずいぶん鍛えられました。商大時代に最初にイギリスのケンブリッジの語学学校に行ったときには、やっちゃいけないことの見本のように、はじめは日本人同士で固まって、もじもじしていました(笑)。それと、商大時代のアルバイトでスキーツアーのガイドをしたときも、人前で大きな声で話す経験を積むことができました。英語圏から来た外国の方もいらっしゃったので、良い機会に恵まれました。そしてある程度経験を積んでくると、場合によっては英語の方がずっとオープンに自分の気持ちを相手に伝えられることもありました。日本語だと照れて言えないようなことも、英語だと逆に言えたりするわけです。

 

 

Q ヒアリングの力をもっとつけたいのですが、おすすめのトレーニング方法がありますか?

 

A 私の場合は、好きな俳優の映画やドラマを繰り返し見ました。義務じゃなくて純粋に楽しみでできることですから、自然に上達すると思いますよ。

 

 

Q 通訳者の収入はどのくらいですか?

 

A 通訳専業で生活している人と、私のように家族(現在は夫と老犬)の暮らしを基盤にしながら、ワークライフバランスを考えた範囲でやっている人もいて、ピンキリです。高所得の方も稀にいらっしゃるでしょう。説明したように、通訳は準備や事後の報告などもあって、毎日仕事を入れるのはムリです。実働の自給でいえば、とても高いかもしれませんが。

 

 

Q AIの進化によって、将来は通訳が要らなくなる、という話も聞きます。どう思われますか?

 

A 部分的には人間の仕事をAIやアプリが代替することも当然あると思います。私もときどきDeepLなども使っています。ほんとに便利ですよね。でも通訳の現場では、話された言葉を単純に置き換えるだけでは足りないことが多いものです。その発言の文脈や文化の背景などを省略した直訳では、発話者の意図や発言の意味が通じないのです。人と人とのあいだのいきいきとしたコミュニケーションを橋渡しするのが通訳ですから、人間にしかできないことがまだまだ当分、たくさんあると思っています。

 

 

 

<久住奈水子さんへの質問>担当教員より

 

Q 大学生活はまだコロナ禍の暗雲の中ではありますが、社会では経済活動が復活して、海外への志向も回復しつつあります。そんな後輩たちの背中を押すようなエールをいただけますか?

 

A 学生時代には、社会人になってからでは得られない自由な時間があります。語学留学にしろ旅行にしろ、皆さんぜひ一度は海外に出て、いろんな経験を積んでください。なんといっても私たちの時代とは違うこれからの社会を作っていくのは皆さんなのですから、自分なりにたくさんの気づきや学びを重ねていってほしいと思います。

 

 

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