CLOSE

エバーグリーンからのお知らせ

2016.01.20

平成27年度第12回講義:「我が国の対アフリカ外交について」

講義概要

 

○講師:佐藤 盟信(さとう とものぶ) 氏(平成7年商学部企業法学科卒)

 

○現職等:前・在タンザニア日本国大使館 一等書記官・経済協力班長

 

現・外務省北米局北米第二課 課長補佐(カナダ班長)

 

○題目:「我が国の対アフリカ外交について」

 

○内容1.講義の目的

 

私の外務省での業務に関する説明を通じて、国際関係についての関心を高めてほしいと思います。私のアフリカなどでの仕事経験・生活経験を聞くことで、キャリア選択としての外務省についても関心を抱いてくれたらうれしいです。日本とアフリカはいま、政治・経済・文化の多面にわたる長年の友情関係があるとともに、これからの関係強化がいっそう望まれる時代にあります。皆さんにとって、今回の講義がこれから世界各国・地域を知ったり経験するための何かのきっかけとなれば幸いです。

 

講師紹介

 

1972年札幌市生まれ。1990年札幌市立藻岩高等学校卒業。同年小樽商科大学入学。1993年ニュージーランド・オタゴ大学留学(文部省交換留学制度)。1995年小樽商科大学商学部企業法学科卒業。同年北海道大学法学部大学院修士課程入学。1998年外務省入省。2000年英国ロンドンスクールオブエコノミクス政治学部修士課程修了。2001年英国ケンブリッジ大学国際関係学部修士課程修了。同年在オランダ日本国大使館。2003年在ウィーン国際機関日本政府代表部。2005年外務省経済局経済統合体課。2009年在英国日本国大使館。2012年在タンザニア日本国大使館(経済協力班長)。2015年より北米局北米第二課(課長補佐・カナダ班長)。政策研究大学院大学博士課程在学中(開発経済)。

 

外交官という仕事

 

私は中学生のころから英語が好きでした。札幌藻岩高校のときに、札幌市がポートランド市(アメリカオレゴン州)と行っている交流プログラムに応募したのですが、狭き門で、残念ながら選にもれてしまいました。でも商大在学中に、商大の派遣プログラムでニュージーランドのオタゴ大学(ダニーデン市)に留学することができました。この留学経験が自分の針路に大きな影響を及ぼしたのだと思います。
その後、北大法学部の大学院で学んでから、1998年に外務省に入省しました。英語の外務省専門職という職種になります。最初の年は経済畑のセクションに配属されて、1999年からは2年間、研修として英国に留学しました。その間、ロンドンスクールオブエコノミクスで政治思想を、ケンブリッジ大学国際関係学部で国際関係論を学びました。そ
の後は、オランダの日本大使館、ウィーン(オーストリア)のIAEA(国際原子力機関)の日本政府代表部に勤務しました。2005年から4年間東京の外務本省で再び経済局に勤めた後、2009年秋からは英国の日本大使館で勤務しました。英国時代には東日本大震災(2011.3.11)が発生しました。私は大使館で緊急援助の窓口担当でしたので、英国の人々がいち早く集めてくれたさまざまな支援を日本につなぐ仕事の一端を担いました。
特に、震災直後に英国政府が東北に向けて緊急支援機を飛ばしたときは、離陸の直前まで英国政府との調整を担当しました。その後、2012年秋からは東アフリカのタンザニアに移り、日本大使館でODA(政府開発援助)を総括する仕事を担当しました。その後、6年間の海外勤務を終え、昨年秋からは東京の外務本省の北米第二課という部署に勤めています。
 
こう見ると、今年で外務省に入って17年になりますが、そのうち12年間は日本の外で仕事をしていることになります。そういった中で、私が特に最近強く感じているのは、お世話になったある人の「出会いは偶然ではなく、必然」という言葉です。
そういったことも含めて、本日は、直前の赴任地であり、私自身いろいろ得がたい経験をしたタンザニアを中心にお話できればと思います。
 
タンザニアは、人口が5千万人に迫る勢いで増加しており、経済も年率7%成長を続けている、現在「右肩上がり」の国です。私がいたのはインド洋に面した港町であるダルエスサラームという事実上の首都になる都市です。
タンザニアの北部には皆さんも知っているマサイ族が暮らしていますが、スライドの写真にように、ダルエスサラームはそういった地方とは様相が全く違っていまして、高層ビルが建ち並ぶ人口400万人超の大都市です。この写真は我が国が支援したODAの式典での一コマです。私の右横にいる人はタンザニアの大統領(当時)でして、左横の人は現在の大統領(当時は建設大臣)です。このように、アフリカのような途上国では大使館員であれば大統領のような要人と直接会うことも珍しくありません。
また、時間の感覚も「アフリカ的」でして、だいたい、大統領のような偉い人は予定の時間通りには到着しません。アフリカでは遅れてくることがすなわちステータスですから、3時間くらいはふつうに遅れて登場するのです(笑)。そして、その間待っている人たちは歌ったり踊ったりして待ち時間を過ごします。
この式典の現場にいる日本人は私ひとりですし、私もそういう意味で日本を代表しているので、写真のように、いっしょに踊ったりします。それも外交官の「仕事」と言えるのかもしれませんね。昨年と一昨年、毎年7月にタンザニアで開催されている同国最大の国際商業フェア(ダルエスサラーム国際商業祭:通称「サバサバ」)において、日本企業だけのパビリオンを開設しました。自動車、電気機器、医療機器、化粧品、アニメなど、すぐれた日本製品、コンテンツをPRするのが目的です。昨年は日本文化も知ってもらおうと、日本企業から予算をいただいて「日本文化祭り」を開きました。多分、タンザニアでは初めての試みです。日本からミュージシャン、マジシャン、パントマイムなどのアーティストを呼びました。このときも、人手が足りないので私はバンドのギタリストとして参加しました(写真参考)。
海外で現地の人とうまくコミュニケーションをとろうとするとき、楽器が弾けたりスポーツができると好都合です。手品も良いでしょう。一芸が大事なのです。

 

 

日本とアフリカを結ぶTICAD

 

日本政府は、TICAD(Tokyo International Conference on African Development :アフリカ開発会議)という大きな会議を定期的に開催しています。これは、アフリカ諸国の首脳と開発のパートナーである日本との間のハイレベルな協議の枠組みとして、1993年からはじまった国際会議です。
アフリカにはいま54の国がありますが、そのほとんどの国の首脳レベルがこの会議のために訪日し、アフリカの開発に関する包括的な議論を行います。ジェトロやJICA等の政府機関や民間企業、NGO、国際機関、大学、研究機関などがブースを出して、アフリカ開発に取り組んでいる事業を紹介する場もあります。
私がタンザニアに赴任していた2013年の5月から6月にかけて、第五回のTICADが横浜で開かれました。アフリカの51カ国(39名の元首・首脳級)及び国際機関、NGO、ドナー国(援助国)から400〜500名以上の参加がありました。ホストを務めたのは安倍首相です。会議で日本は、官民で最大3.2兆円(ODA1.4兆円含)の成長支援(出資)をすることを発表するとともに、開発マスタープラン、専門家派遣の政策を説明しました。
 
私は、会議前後の約ひと月間、タンザニアのキクウェテ大統領(当時)のリエゾンオフィサーとしてタンザニアから日本に出張(帰国)しました。仕事の内容としては、日・タンザニア首脳会談をはじめとしたさまざまな行事の調整役です。キクウェテ大統領の一行は60名にも及び、政策スタッフはもちろん、料理人やドクター、服装係までいます。
そうした皆さんの面倒を見るための日本側の窓口は私ひとりです。大統領の行動予定はセキュリティのために直前まで詳細は知らされないのが原則です。しかし私は側近の警護スタッフと仲良くなり、こっそり教えてもらいながら、ほぼ全ての日程管理に携わりました。安倍総理との首脳会談にはじまり、経済産業大臣やJICA理事長、国連事務総長などとの会談や、日本の大手商社、メーカー幹部たちとの面談、会場のさまざまなブース(パシフィコ横浜)への訪問のほぼ全てに同行しました。
大統領の日程の中で興味深かったのは「PRIVATE PROGRAMME」とあるものです。私も「これは何かな~」と思っていたのですが、側近の人たちはなかなか内容を教えてくれません。直前にわかったのは、大統領は実は横浜のデパートにある眼鏡屋さん(「東京メガネ」)に行きたかったのです(遠近両用の眼鏡を買いたかったのでしょうか)。でも、側近の人たちはタンザニア人ですから場所がわからずとても困っていました。そのため私もうまく案内できず困ってしまいました(笑)。今では笑い話ですが、そのときはハラハラドキドキの経験をしました(苦笑)。

 

タンザニアという国について

 

タンザニアは、はじめてアフリカに行く人にとっての「ビギナーズカントリー」といわれます。アフリカ初心者の入門国という意味です。
タンザニアをはじめとするアフリカの国の多くは、60年代に独立した後、植民地時代からの外国系企業の多くを国有化するなど、「大きな政府」として、社会主義体制の下で国造りを進めてきました。しかしながら当初の期待に反して、きちんとした産業も起こせず、だんだんと対外債務が増えていきました。タンザニアの場合は社会主義経済に失敗して、80年代に入ると破産状態となり、IMFなどの国際機関から融資を受ける条件として、政府部門の縮小などの「指導」を受けることになりました。しかしながら、タンザニアは21世紀に入ってからは政治の安定性を背景に、天然資源に加え、製造業、建設、金融、観光、通信といった分野がバランス良く成長する成長軌道にあります。
現在は、こういった成長中の産業をより大きな産業するために取り組んでいる最中です。アフリカ全体のGDPは、まだ世界の3%くらいしかありません(日本は12%、アメリカで20%、EUで30%くらい)。しかし申し上げたとおり、アフリカは人口と経済が同時に成長していて、あと50年たったら今とは全く違うアフリカになると思います。
それにつれて産業も段々と高次化していくでしょう。現在、タンザニアの一人あたりGDPは千ドルに近づいており、人口は約5千万人います。他方、経済規模でいえばタンザニアは日本の島根県くらいしかありません。しかし、成長率は2000年代から国全体で約7%で推移しています。特に都市部ではもっと高い成長率になります。人口も急増しています(マーケットとしても拡大しています)。
 
近現代において、北アフリカや西アフリカの国の多くはフランスやアラブ諸国の支配下にありました。そのため、フランス文化やアラブ文化の影響が色濃く残っています。これに対して、東アフリカに位置するタンザニアは、インド洋に面しているため、古くはアラブ・中東の文化・文明、その後は、宗主国となったドイツや英国の影響を受けています。
また、古くよりインドからさまざまな文化や物品が流入してきた歴史もあります。ダルエスサラームは、ちょうど百年前に隆盛の一途にあった小樽のように、内陸への物流基地として発展してきたのです。タンザニアについては、90年代はじめくらいまでは伝統品目(農産物)が主要な輸出品でした。
最近では、発見された天然ガスに注目が集まっています。今後近い将来に沖合の天然ガスの生産が開始し輸出できるようになれば、年間で25億ドルほどの外貨を獲得するとの試算があります(スライド参照)。これはだいたい現在の国家予算の四分の一にもなります。これは、これまで国家予算の約20%を外国からの援助でまかなってきたタンザニアが、天然ガスの輸出によって、援助がいらない国になる可能性があるということを意味します。もちろん現状に目を移せば、いまだに地方道路や輸送の主力となるべき鉄道といったインフラが未整備だったり老朽化しています。国としての経済発展のための足腰はまだまだ弱すぎます。そして、そこに援助のニーズやビジネスチャンスがあるのだと思います。
 
日本との関係でいえば、タンザニアが最初に参加したオリンピックは、独立後まもない東京オリンピック(1964年)でした。また初めて参加した万国博覧会は、1970年の大阪万博です。日本とタンザニアにはこのような歴史的つながりがあります。日本は、タンガニーカが1961年にイギリスから独立するとすぐ承認をしました。その後63年にザンジバルも独立し、64年にタンザニア連合共和国が誕生しました。以来、半世紀以上にわたり、日本はタンザニアとの友好関係を築いてきました。ですから、タンザニアの人たちが日本にもっているイメージはとても良好です。
彼らと付き合ってみるとすぐわかることですが、みんな日本に大きな期待を抱いています。私は、オランダやイギリスで勤務していた時代、仕事面では、さまざまな問題で四六時中競い合うような先進国同士の競争関係を強く意識させられました。
でも初めて赴任した途上国であるタンザニアでは、これまでの日本からの長期にわたる開発支援を背景に、いろいろな人が日本への感謝の気持ちを何度も示してくれています。外交官としてこれはまったく新鮮な初めての経験でした。これは、帰国後もいつかまたタンザニアで仕事をしてみたいと強く思った理由のひとつになっています。貿易でいえば、現在、日本はタンザニアにとり世界第4位の輸出先、世界第5位の輸入元になります。2001年からの10年間で、輸入は248%増、輸出は264%増というデータがあります。タンザニアが日本から輸入する品目は、自動車、プラスチック製品類、鉄鋼製品、機械・電気機器等です。他方、輸出する品目は、貴金属、コーヒー豆、ゴマ、タバコ、冷凍魚等となっています。コーヒーのメインブランドは、皆さんよくご存じの「キリマンジャロ」です。また、日本のファストフード・チェーンのメニューにある白身魚のフライには、内陸のビクトリア湖(タンザニア、ケニア、ウガンダにまたがる)で取れるナイルパーチもあります。

 

 

世界の人気を集めるアフリカ

 

いまアフリカは世界の人気者です。なんといってもアフリカは「最後の成長大陸」なのです。
その中でタンザニアに強い関心を抱いている国としては、伝統的なドナーである欧米先進国(元宗主国の英国、そして米国、欧州各国)に加えて、中国、多くの印僑がいるインド、最近では新興諸国のトルコやブラジルもいます。これらの国々は、アフリカとの関わりを深めていくために、日本のTICADに続き、同様の首脳・閣僚フォーラムを実施しています。中国に関しては、タンザニアが社会主義国家として独立した時代から、つまり、ニエレレ初代大統領と毛沢東国家主席の時代から続く、長年の友好的な政治関係があります。
近年、急激な経済成長をとげた中国としては、アフリカとの関係強化には資源の確保という観点もあります。これは中国だけに限りませんが、アフリカには54もの国がありますから、国際社会での発言力を高めていくためにも、一つ一つの国と良好な関係を築いていくことは重要です。そういった中、習近平現国家主席が2013年に国家主席に就任して最初に外遊した国のひとつがタンザニアというのは何か象徴的な意味があると感じます。そしてその年の夏にはアメリカのオバマ大統領もタンザニアを訪問しています。オバマ大統領の父親はアフリカ出身のケニア人ですから、オバマ大統領がタンザニアで大歓迎を受けたのはいわば当然ですね。
 
先ほど申し上げたとおり、この2013年には、日本はTICAD Ⅴを横浜で開催しています。つまりこの年は、日本、アメリカ、中国がタンザニアと深く関わった年といえます。その中で、この年の8月には、TICADのフォローアップとして、日本より茂木経済産業大臣(当時)がタンザニアを訪問されています。そのときの現地の新聞に、とても興味深い政治マンガが載っているので紹介します(スライド参照)。これは、3人のサンタ(日本、米国、中国の三カ国を指します)が「贈り物」の袋をかかえてタンザニアという家に入ろうとしている絵です。興味深いことに、そして日本人としてはありがたいことに、日本のサンタが持つ「袋」がいちばん大きく見えるのです。思うに、これはタンザニア人の日本に対する期待の大きさを表しているのではないでしょうか。
このように、国際社会の中では、アフリカ諸国と関わりたいと願う「ライバル」やステークホルダーは少なくありません。そしてその中で、アフリカの人たちは日本に対する底堅い信頼感、期待感を持っていると思います。そのため、私たち日本人は、彼らの期待に応えるために、今日的なアプローチを考えていく必要があると思います。それは従来盛んに行ってきたODA一辺倒の援助だけではなく、例えば官民連携としてのインフラ事業等への参加、民間から民間へのビジネス(B to B)、人材交流を通じた技術協力ではないかと思っています。また、アフリカとの関係では、大企業ばかりでなく、きらりと光る技術をもった元気な日本の中小企業が参入できる余地が大きいとも思っています。

 

 

私がタンザニアで出会った印象的な日本人

 

最期に私がタンザニアで出会った印象的な日本人の方々を紹介したいと思います。

一人目は、小田兼利(おだ かねとし)さんです。この方は日本ポリグルという大阪の中小企業の会長さんで、世界各地で安全な水のための浄化事業を展開されています。開発協力の世界では途上国支援(BOP)ビジネスの第一人者とされています。
これまで多くのメディアに出られていますが、国際社会では、一昨年の国連総会での安倍総理の演説において、途上国における女性の活躍支援の好例として紹介されています。地域としては、バングラデシュ、ソマリアで事業を行っていましたが、最近はタンザニアに展開し、外務省支援事業の一環でもあったため、お会いしおつきあいする縁に恵まれました。北海道でも講演されており、小樽商大でも講演されたとお聞きしています。この小田さんは出身は熊本ですが本当に関西の元気なおじ(い)ちゃんという感じで、既に70歳を越えていますが、とっても元気な方です。アフリカまでエコノミークラスで移動されたりします。
小田さんの事業で重要だと思うのは、これがあくまでも「ビジネス」ということです。BOPビジネスですがあくまでもビジネスなので、単なる援助ではなく、持続可能な事業でなくてはなりません。そして、ビジネスを通じて現地の雇用を創出すること、相対的に低い社会的地位におかれている女性に対して職を提供することでエンパワーメントを行うことが肝(きも)なのです。これが小田さんのビジネスモデルが注目に値する理由です。

二人目は、「革命児」島岡強(しまおか つよし)さんです。島岡さんについては本日、授業前のお昼時間にTV局による特集番組を流してもらいました。島岡さんは若いときに「アフリカ独立革命」を志にアフリカに渡った人です。それ以来27年間、タンザニアにある独立島「ザンジバル」という国で活躍されています。ザンジバルでは島岡さんは本当に有名です。
例えば、市内で「カクメイジはどこ?」と聞けば誰もが知っている名前になっています。日本語の「カクメイジ」で通じるのです。「カクメイジ」が現地語になっているわけです。島岡さんはザンジバルの柔道のナショナルコーチをされています。武道の普及のためにザンジバルで「武道館」を作り、後進の指導にあたられています。そのほかに現地の産業を興して雇用を創出するために、コーヒー、絵画(「ティンガティンガ」といいます)などの輸出事業を展開されています。
重要なことは、アフリカから原材料をそのまま輸出するのではなく、現地で加工し、産業品とした上で、すなわち付加価値(=収入)をつけた上で輸出することです。こうすることで、現地経済の発展につながるのです。
「革命」と聞くとなにやら怖いイメージかもしれません。でも、島岡さんが進める「アフリカ独立革命」ですが、これは私なりに理解しますと、「外国の援助に依存しない、アフリカの経済的・精神的自立」になります。経済的自立は加工品の輸出を通じた外貨の獲得で行い、精神的自立は柔道などのスポーツ、武道の普及を通じて行うのです。
そして島岡さんご本人、すなわち「革命児」の定義ですが、これは「縁もゆかりもない人々のために全力で立ち向かう」ということだと、ご本人から聞いています。島岡さんですが、北海道にも来られています。最近では、11月に札幌中心部で「ティンガティンガアート・原画展」を主催されました。私も冒頭挨拶で参加させていただきました。島岡さんの半生については、奥様・島岡由美子さんの著書「我が志アフリカにあり」で読んでいただければと思います。とても心を揺さぶられる好著です。
 
さて、これまでは皆さんより上の世代の方を紹介しましたが、皆さんに近い年代の方もアフリカで活躍しています。スライドにある金城拓真さんです。本日は(アフリカにいる)金城さんとうまく連絡が取れなかったので、写真だけの紹介ですが(笑)。金城さんは沖縄出身の方で、韓国で大学生をしていた若い時期にアフリカに渡り、起業しました。
最初は中古車の輸出から始まり、そこから事業に必要な保険などの周辺産業も開始し、現在は(著書によると)年商300億円の事業を展開されています。金城さんと私との縁ですが、(「飲み友だち」という関係に加えて〈笑〉)、昨年と一昨年に「ダルエスサラーム国際商業祭」で日本企業だけを集めた「ジャパンパビリオン」を企画運営したときに、大きな力となっていただきました。具体的には、建物の建設、イベントの運営など全般面で多大な尽力をいただいたのです。「ジャパンパビリオン」の写真をご覧ください。

 

最期に

 

今日は皆さんからツィッターでオンタイムでいただいた質問にも答えたいと思います。「国益とは?」との質問をいただきました。その時々の状況、置かれた立場によっていろんな見方があると思います。私の高校時代の同期で自衛隊で勤務している友だちがいますが、彼が守っているのも「国益」です。そういった中で、アフリカでの3年間での経験を通じて私が感じた私なりの「国益」のイメージとは、日本人がアフリカをはじめとする国際社会で、高い品質、約束の履行、規律・道徳の面で信用・信頼されること、そして、その信頼感をベースに経済活動、文化交流などを通じて一人でも多くの「日本の友人」を作っていくことなのではないか、と感じています。
こういった「国益」は定量化できるものでもあまり分かりやすいものでもないと思うのですが、国と国との長期的な関係強化を考えたときに、じわじわと「効いてくる」ものだと思っています。そして同時に、我々が日本国内で、日本がアフリカと関わる価値や可能性、すなわち私たち日本人にとってのアフリカとの関係での「国益」とは何かを考えていくことも重要だと思います。「なぜアフリカと関わるのか」という問いです。「国益とは?」という問いは、そのような営みの中で自然と明らかになっていくものではないかと思います。
 
以上、長々と話しましたが、最期までご静聴いただきありがとうございました。また、本日の商大の講演にあたり、準備段階よりいろいろとご尽力いただき、助けていただいた学内関係者のみなさま、緑丘会の方々、全ての方々に御礼を申し上げたいと思います。「ありがとう」はタンザニアのスワヒリ語では「アサンテ・サーナ」(Asante = Thank you、 sana =very much)といいます。それでは、アサンテ・サーナ!ありがとうございました。

 

 

<教員からの質問>

 

Q 経済の現場で、外交官という公共セクターだからこそできる仕事は何だとお考えですか?

 

A 公務員と民間人、民間企業にはそれぞれ役割分担があると思います。例えば、特に途上国であれば外交官だと比較的容易にその国の大臣などに会うこともできますが、企業人にはなかなか難しいときもあると思います。そういった面談の側面サポートを行うことが可能です。また、外交官であればある程度の長期間駐在しますので、滞在国に関する総合的な情報を蓄積して企業の方と共有することもできます。一言で言うと、日本の人や企業と外国との橋渡しをするのが私たちの仕事だと考えています。

 

Q 留学や針路で外国に興味をもつ学生たちの気持ちを刺激していただけますか。

 

A いま40代の自分の時代とちがって、留学制度も多様な現在の大学では、外国に行くチャンスはさらに広がっていると思います。商大でもそうだと思います。オススメしたいのは、欧米やオーストラリアといった知られた国ではなく、むしろ自分が知らない国です。その方がずっとおもしろいと思います。相談を受ければ僕も後輩たちにいろいろアドバイスできます。最初からネガティブなことを考える必要などまったくない。それが学生の特権だと思います。

 

<学生からの質問>

 

Q 留学を考えていますが、外国で友だちをつくる秘訣はありますか?

 

A 最初からあまりガンバリすぎないことが重要です。あせらずに、まず自分をその国の暮らしに慣らしていく。慣れてくるといろんなものが見えてきます。そこから自然に友だちができていくはずです。自分の感覚を信じて、何かが起こりはじめるのを待つと良いと思います。

 

 

Q 外務省で働きたいと考えた動機は?

 

A 中学のころから英語が好きだったので、海外で英語を使った仕事をしたいと思っていました。商大時代のニュージーランドへの留学中、向こうでできた友だちなどから、話し好きで外交的な君の性格は外交官向きじゃないかと言われて、そうかも知れないな、と思いはじめました。その意味で、最初の方に言った「出会いは偶然ではなく、必然」という言葉が当てはまりますね。

 

アーカイブ

月別

資料
請求