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2019.12.18

平成31年/令和元年度第10回講義:「多文化共生社会の到来に向けて-世の中は多様性に満ちている—」

講義概要(12月18日)

 

○講師:斉藤 顕生 氏(平成元年)商学部商学科卒/独立行政法人国際協力機構北海道センター所長)

 

○題目:「多文化共生社会の到来に向けて-世の中は多様性に満ちている—」

 

○内容:

商大卒業後、私は東京銀行で国内、海外の拠点勤務を経験した。そこからプロジェクトファイナンスや政策金融の世界に引かれ、国際協力銀行(JBIC)、そして国際協力機構(JICA)へとキャリアを進めた。後輩たちの進路の参考となることを願い、30年ぶりに札幌に帰ってきて、これまで取り組んできた仕事と、国際協力を通じたSDGsへの貢献について話したい。

 

 

 

豊かさの値を、多様性で計る時代へ

 

 

斉藤 顕生 氏(独立行政法人国際協力機構北海道センター所長)

 

 

 

 

 

なぜODA(政府開発援助)が必要なのか

 

 

 

私は商大を卒業して銀行員を12年務め、それからJBIC(ジェイビック・国際協力銀行)とJICA(ジャイカ・国際協力機構)で合わせて18年仕事をしてきました。今日は、私が取り組んできた仕事を通して、JICA業務内容や存在意義を皆さんに知ってもらい、それを自分のキャリア形成の参考のひとつにしてくれれば良いと思っています。

緑丘会では「緑丘」という会誌を年に2回出しています。私は今年(2019年)の最初の号にエッセイを寄せたのですが、そこでずいぶん紋切り型のことを書いてしまったな、とあとで思いました。その内容を少し修正する意味でも今日のお話することを考えました。

 

今年、日本の国際貢献の分野で重要な仕事を重ねてきた人物がふたり亡くなりました。ひとりは、12月に亡くなった、アフガニスタンで活動されていた医師の中村哲さん。そして10月には、我々は、かつて私の上司でもあった緒方貞子さん(元JICA理事長)を失いました。緒方さんは長く、国連難民高等弁務官を務めて国際紛争や内戦が生み出す難民の問題に取り組んで来ました。緒方さんが訴え続けたのは、「人間の安全保障」という考え方でした。
人間の安全保障とは、国と国とのあいだの安全保障の前に、まず人間ひとりひとりの安全や福祉が重要なのだ、という理念です。JICAの事業もこの考え方の上にあります。

 

さてJICAが担う国際協力について話します。
国際協力とは、国境を越えた援助や協力活動のことですが、豊かな国が貧しい国に手を差し伸べます。実は戦後復興から高度成長へと離陸するまで、いまは先進国を自負する日本も、援助を受ける側の国でした。東海道新幹線や東名高速道路、黒四ダム(黒部川第4発電所ダム・富山県)など、日本は世界銀行からの融資を受けて31ものプロジェクトを実施しました。そしてすべての融資の返済が終わったのは、日本がすでに先進国の仲間入りを果たして久しかった、1990年のことだったのです。

日本政府による国際協力活動を、政府開発援助、ODA(Official Development Assistance)、と呼びます。ではそもそもなぜ日本は国際協力活動を行っているのでしょうか。
世界には明日食べるものもおぼつかない人たちが数十億人もいます。このような貧困、そして紛争、エイズ、気候変動、教育を受けられない子どもたち—。多くの途上国はさまざまな問題を深刻に抱えています。そしてこれらはどこか一国だけの問題ではなく、地球的規模の課題(グローバルイシュー)なのです。途上国の安定と繁栄を支援することは、国際社会、特に先進国の使命でもあります。

しかしODAを実施している理由は、もうひとつあります。
それは、途上国の安定と繁栄は、実は先進国の安定と繁栄にも直結しているということ。経済や政治、環境、食糧、エネルギー問題など、グローバル化が進展した現在では、先進国も途上国のさまざまな営みなくして豊かさを享受することはできません。これを「相互依存関係」と呼びます。
日本もまた、途上国を抜きにして人々の生活は維持できません。ODAによって途上国も、そして日本も恩恵を受ける—。日本政府がODAを実施している意義と必要性はここにあります。ODAは、国際社会と日本が共存していくために必要な手段なのです。

 

日本も世界の国々と深く結びついているという現実は、例えば2011年の東日本大震災と原発事故からも見てとれます。この年、実は日本は世界で最も寄付が集まった国となりました。モノやお金だけではなく、世界の人々からたくさんの心(応援メッセージ)をいただきました。このことを忘れてはなりません。こうしたことから私は、先進国が途上国を助けてやるんだという、上からの目線で国際協力を考えることは厳に慎みたいと考えています。ODAは施しではありません。

 

 

 

JICA(国際協力機構)の業務とは

 

 

 

ODA(政府開発援助)には大別してふたつの種類があります。「二国間援助」と「多国間援助」です。多国間援助とは、国連や世界銀行、アジア開発銀行といった国際機関へ日本がお金を拠出すること。
これに対して日本が相手国を直接援助するのが2国間援助で、技術協力、有償資金協力、無償資金協力、市民参加協力などいろいろな分野がありますが、こちらはJICAが一元的に行います。知っている人もいると思いますが、海外でのボランティア活動である「青年海外協力隊」は、この市民参加協力という枠組の中の事業です。

以前の2国間援助では国際協力銀行(JBIC)や外務省もそれぞれに実施していましたが、2008年の組織統合を経て、2国間援助はJICAがまとめて実施することになりました(私はJBICで円借款業務を行っていましたが、この円借款業務がJICAに統合され、2008年にJICAの中東欧州部欧州課長というポジションにつきました)。
その結果JICAは、年間事業規模が1兆円を超える、世界最大級の援助機関(ドナー)となりました。JICAは世界中に96カ所の拠点を持っており、それら拠点を窓口としてこれまで世界中150以上の国と地域で事業を展開しています。

商大なので少し財務の話をしましょう。
JICAが使う予算には二つの勘定区分が設けられています。「一般勘定(運営費交付金)」と、「有償資金協力勘定」です。
一般勘定は、JICAから途上国へと一方的に流れる資金。これが年間で3100億円ほどあります。
有償資金協力勘定は、途上国へ融資して返済される勘定で、それが再び融資に回ります。つまりこの部分は銀行と同じです。有償資金協力勘定はいま13,600億円ほどの規模があり、年間の支出予算は1,100億円ほど。この有償資金協力勘定を用いて、円借款と海外投融資業務を実施しており、いずれも低率ながら金利をつけた融資なので利息収入があります。
円借款とは、相手国政府を対象にした長期で低金利の、円による貸付けです。海外投融資は民間企業などが実施する事業が対象です。
日本の一般会計ODA予算は1997年度がピークで、1兆1,687億円ありました。それが2018年度では5,538億円ほど。いま言った一般勘定の3100億円と5,538億円の差額は多国間援助に回っています。ODAに対する国内の認識はどのようなものでしょうか。ある世論調査があります(Japan Institute for Global Healthとビル&メリンダ・ゲイツ財団が2015年に共同実施)。それによると、「貧しい国への開発援助について、政府は大いに援助すべき」と考える国民の割合は、日本では44%。イギリス16%、アメリカ14%、フランス13%といった国に比べるとずいぶん大きなものになっています。
つづいて、一般会計予算に占めるODA予算の割合に関しての問い。日本の国家予算の内、ODA予算は1%以上を占めていると考えている人は、96%。さらには、日本の国家予算の1%以上をODA予算に割り当てるべきと考える人は、98%もいます。
ここで注意してほしいのです。例えば2018年度の日本の一般会計予算は約977千億円で、この年度のODAの割合は、一般会計予算の0.57%にすぎません。私たちとしては、1%を超えていないという事実をもっと知らしめて、この、ある種の誤解をあらためていく広報活動などが大切だと考えています。

 

 

 

JICA事業の具体例

 

 

 

私が海外で関わった事業を具体的に紹介します。
まず、インドのデリー市内の地下鉄の建設です。協力期間は1997年~2020年(現在期分けのフェーズ3に協力中)で、円借款による借款契約額は約3,748億円(総事業費約6,667億円)。2002年に一部運航がはじまり、1日あたり約300万人の利用者数を記録しています(東京メトロは約680万人、大阪市営地下鉄約230万人)。この事業では、日本の高い土木技術と安全に納期を守るといった工事文化が高く評価されました。一方でデリー市民はそれまで交通マナーとは無縁でしたから(そういう機会がありませんでした)、当初は整列乗車がまったくできなくて各駅は大混乱をきたしました。しかし当局の努力もあってやがてマナーが生まれ、いまでは地下鉄は市民の誇りになっています。

この事業の背景も興味深いものです。インドとパキスタンは、1990年代後半に核実験を行いました。それに対する非難と抗議の姿勢として、日本は円借款の供与を止めました。しかし2001911日に全てが変わりました。そう、アメリカでの同時多発テロの勃発です。私はその翌月の10月、商大卒業以来務めていた東京三菱銀行(入行時には東京銀行)からJBIC(国際開発銀行)に転職して、インド班に配属されました。このころ日本政府は、「インドとパキスタン両国の3年間の核実験モラトリアムを評価」するとともに、「テロとの戦いにはパキスタンの安定と協力が極めて重要」との判断から、インド、パキスタンの両国を支援することになりました。プロジェクトの段階ごとに複数回に分けた融資契約が結ばれました。つまりここのポイントは、国際援助という事業は、国の外交政策にのっとって行われるということです。

次はブラジルのセラード開発。
これは私が東京銀行から海外経済協力基金という政府系機関に出向していた1998年に関わった事業で、東京銀行時代に私はブラジルでの経験があったのでお鉢が回ってきました。
セラードとはブラジル中央部に広がる広大な(34.5万㌶)強酸性土壌地帯のことで、畑作ができる降水量はあるものの灌木しか生えない不毛の大地でした。土壌改良を進めながらここに入植者を募り、彼らを支援して、品種改良した大豆やトウモロコシを植え、大規模な農業生産地を作りだしていったのです。日本からの技術協力と開拓農家向けの低利融資が、広大な農業地帯を新たに生み出しました。世界の食糧需給の安定化に貢献したとともに、日本から見れば、穀物の輸入先の多角化にもつながりました。

銀行員時代に経験したブラジル(199295年)は、ハイパーインフレの最中にありました。年利はなんと3000%。月利にすると45%くらいで、ひと月ごとに物価が1.5倍になります。
「インフレは格差を拡大させる」ということを知ってください。どういうことか—。スーパーなどの小売業者は、低賃金で働く労働者たちの給料日の前日に値上げをします。つまり労働者たちは、出たばかりの給料で毎月わざわざ高い買い物をしなければなりません(それ以前に買っておくには家計の余裕がありません)。これに対して余裕のある富裕層はいつでも買い物ができますから、安いうちに買っておくことができる。こうして私の目の前で格差が広がっていきました。

 

 

 

トルコでのインフラ投資

 

 

 

トルコでは、円借款によるボスポラス海峡を横断する地下鉄整備事業に関わりました。この海峡は古代からヨーロッパとアジアを隔てる境界で、両岸にはトルコ最大の都市イスタンブールが広がっています。大きな橋が2本架かっていましたが、これに加えて地下鉄を整備するもので、海峡をトンネルで結びたいという願いは150年前からの悲願でした。
最大の課題は、最深部で60メートルの水深がある海峡に、列車が無理なく走れる3%以内の勾配でトンネルを設けること。安全な深さを維持して通常のシールド工法で掘ると工期がかかりすぎて、トンネルの総延長や地上の出入り口と駅との垂直距離も不経済に伸びてしまいます。そこで日本のゼネコンは、海底でコンクリートブロックを繋げる「沈埋(ちんまい)トンネル」いう難しい工法に挑みました。世界でも例のない深さと、強く速い潮流、海上には世界有数のレベルで船が行き交っています。日本の高い技術が最大限に発揮される大工事でした。

人口稠密な大都市での工事にはさまざまな制約がありましたが、やがてさらなる難題が現れます。古代ローマ時代から営々と時を刻んできた都市ならではの埋蔵文化財です。なにしろイスタンブールの歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されています。当然予想はしていましたが、掘れば掘るほど予想を上回る発見が続出して、工期が大幅に伸びてしまいました。イェニカプというヨーロッパ側のターミナル駅の工事でビザンチン(東ローマ帝国)時代の港の跡と共に沈没船が20隻以上発掘され、シルケジという歴史地区のど真ん中にある駅では8000年前の住居跡まで見つかりました。工事関係者は切歯扼腕するしかありませんが、世界から集まった専門の考古学者にとっては夢のような出来事が連続したのです。
JICA(日本政府)は総額1,532億円の円借款で資金を支援しましたが、ユネスコや協調融資先との連携も重要でした。私は2002年からこの大事業に関わり、2013年の秋に開通したときはトルコの事務所長を務めていました。これだけの大工事を最後まで見届けられたのはJICA職員にとってはとても珍しいことで、大きな喜びでした。

 

 

 

SDGsとJICAの関わり

 

 

 

SDGs(Sustainable Development Goals・持続可能な開発目標)については皆さんある程度ご存知かと思います。20159月の国連総会で採択された、世界が未来に向けて掲げる目標で、貧困や飢餓、健康、ジェンダー平等といった17のグローバル目標と、169のターゲット(達成基準)から成り立っています。
SDGsの前には2000年に国連で採択されたMDGs(ミレニアム開発目標)がありましたが、SDGsの特徴は、援助機関や政府だけではなく、企業などの取り組みが期待されていること。SDGsはみんなで取り組む目標として、世界共通の規範になりつつあります。
さて、JICAのミッションとSDGsでは多くの共通点があります。
JICAは、「人間の安全保障」と質の高い成長を実現させることをミッションに掲げています。国家の前に市民を重視する「人間の安全保障」では、人々の「命、暮らし、尊厳」を守り、多様な脅威に対して「強靭な社会」を作ることをめざします。質の高い成長では、「包摂的」であることや「持続可能性」、「強靭性(レジリエンス)」が重要です。そしてこれらは、SDGsが訴える「誰一人取り残されない」「包摂的な社会」や、「持続可能」で、産業や社会インフラで求められる「レジリエント」な世界と深く響き合います。

日本のSDGsの達成状況はどうでしょう。
ドイツのベルテルツマン財団の分析によると、教育分野の達成には青信号が出ていますが、ジェンダー平等や気候変動対策などでは課題が大きいとされています。

 

 

 

北海道でのJICAの活動

 

 

 

JICAが北海道でどんな活動をしているかお話しします。
途上国の安定は日本の安定につながる、と言いました。私たち北海道センターでは、途上国と北海道を結ぶ役割を担おうとしています。さらにそれが、北海道が抱えるさまざまな課題解決にも貢献できると考えています。
本州以南とは歴史の成り立ちが異なる北海道は、わずか150年ほどで急速に近代化され、外国の技術を受け入れて新たに産業を興し、札幌などの大都市を立ち上げました。急速な開発がもたらした負の面も含めて、この歴史は、途上国から見るとまるで奇跡のようなモデルだと言えます。そこで私たちは、北海道が持っている「知」と「技」を世界で役立ててもらおうと、地域開発や農業、保健医療、教育などの分野で研修員を受け入れる事業を展開しています。研修員は主に、アフリカ、アジア、中南米など約100カ国にも及ぶ、現在国づくりを担っている行政官の人々です。その数は、年間で約千名。1995年から今年度までで1万6千人近くに及びます。研修では道内の自治体職員の方々などにも加わっていただき、それぞれの立場で刺激や動機づけを共有してもらいます。北海道の自治体の皆さんにとっては、自分の仕事の価値や意味をあらためて考え直すきっかけにもなり、とても好評を得ている取り組みです。上から下への施しではなく、互いに気づきや学びを交わすことに意義があります。

また、北海道から「青年海外協力隊」や「シニア海外協力隊」などを派遣して、道産子の力を途上国の力へと結ぶ取り組みも行っています。これらの累計は2600名ほどになります。
さらに、途上国の現状やボランティアの活動内容などを子どもや学生たちに伝える出前講座などを積極的に行っているほか、JICA北海道センターでのプログラムに年間3千名以上が参加していただいています。
道内企業にとって途上国への支援や協力は、社会貢献や奉仕の精神といった文脈に加えて、実は自社の技術を活かすことができる大きなビジネスチャンスでもあります。さらには途上国から人材を雇用することもできます。私たちは相談窓口を設けて、道内の技術や製品が途上国の課題解決のために役立つ可能性を調査したり、海外進出に向けたサポートも行っています。道内の中小企業のある社長さんは、北海道にいても技術と意欲で世界と関わることができ、社員の士気があがり、企業価値が高まった、と話してくださいました。

 

 

 

これからの世界の中の、これからの日本

 

 

 

SDGs は、世界の文明の営みが未来へと安定して末長く展開していくための、困難で大きな目標群です。ODA資金や政府関係者のノウハウだけでは、SDGsは到底達成できません。国内外の民間企業、大学、NGOなどとのいっそうのパートナーシップが求められます。SDGs達成のために必要な投資は、世界で5~7兆ドル(約500700兆円)といわれます。そこには当然、民間からの大規模な投資も欠かせません。
そして達成のためには、さまざまな産業分野でイノベーションが必要ですし、労働生産性の向上や地球環境への持続的な配慮が不可欠です。そこで巨大な経済がまわります。国連の開発支援機関であるUNDP(国連開発計画)では、SDGsは年間12兆ドルの市場機会に繋がると試算しています。

強調しておきたいのは、SDGs は日本が抱えているたくさんの課題の解決にも繋がることです。少子・高齢化、労働力不足、地域経済の疲弊といった困難な問題は、もはや日本人だけでは解決できません。JICAはSDGs達成のために、日本や北海道と途上国を結ぶ役割を果たしていくことを志向しています。私たちは、日本と途上国との結節点なのです。それは例えば、介護やIT人材など、外国からの高度人材の道内定着に向けた取り組みなどで活きると思います。

江戸時代が終わり、先住のアイヌの人々の歴史文化の上に欧米の技術や思想を大胆に取り入れて開発された北海道は、日本の中でも、外国人と共存する「多文化共生社会」をリードできる土地柄です。つまり北海道は、これからの世界規範であるSDGsを日本国内でリードできる土地であると思います。昨年(2018年)の春から30年ぶりに北海道で暮らして私は、農業や酪農をはじめとした食の分野の産業構造がもつ可能性や、外国からのツーリストがまちを行き交う姿を見て、確信を持ちました。
そうした与件を踏まえて私たちは今年度、道内在住の外国人の現状・課題調査を行い、外国人材の有効活用や、課題への対応策に貢献する事業の企画づくりに取り組んでいます。
冒頭で私は、緑丘会の会誌「緑丘」に書いた随筆に不十分なところがあって反省していると言いました。そこでは、社会の多様性をテーマにしながら、インドの人は牛を食べないとか、ずいぶんステレオタイプな描写をしてしまったのです。物事への解像度を上げれば、インドに1億人くらいいるイスラム教徒はふつうに牛を食べますし、世界はそんなに単純にできていませんね。
ラグビーのワールドカップで大活躍した日本チームは、いろんな出自をもつ選手たちが「ワンチーム」という精神のもとに結束しました。これはすごいことだと思います。日本人の定義が変わりつつあるのではないでしょうか。そんな時代に、ステレオタイプの発想に留まっていてはダメです。私たちの社会は、これからいっそう、深いところで起こっている変化を理解して、これを取り入れながら成熟していかなければなりません。

最後に少し先輩らしいことを言わせてもらいます。まず、自分の身の回り以外のこと、日本以外の世界各地で発生していることに興味や関心を抱いてください。私は商大時代、3年を終えてから1年間休学してアメリカに行ったのですが、動機はそんな思いや衝動にありました。留学ではなく、学校の授業の手伝いをする教育インターンとして働いたので、自分が何をしなければならないのかをよく考え、活動計画を立てて周囲の理解を求めながら暮らすという経験をしました。そしてそれは、「受け身でいては何も始まらない」ということを厳しく教えてくれ、やがてビジネスの世界に出るときの基礎力となりました。何かやりたいことがあるのなら、頭の中で思い悩んでいるのではなく、能動的じゃなければ何も生まれません。どんな仕事や経験でも、プラスにしろマイナスにしろ、たくさんのことが学べます。私は若い銀行員の時代、すばらしい先輩や上司と出会うことができましたし、こんな人にはぜったいなりたくない、と思わせてくれたひどいパワハラ上司とも仕事をしました(笑)。そのような反面教師に出会えたこともラッキーです。

今日私は、JICAの仕事や、国際協力を通じたSDGsへの貢献について話しました。といっても皆さんを、国際協力の世界へとぜひとも引っ張り込みたい、というつもりはありません。どんな仕事でも、社会の中で自分の役割を果たして税金を納めれば、立派な社会貢献です。
日本はこれからますます、多様な人々が力を出し合って動かしていく国になります。日本も、そして地球も「ワンチーム」なのです。そのことを意識してみてください。

 

 

 

 

 

 

<斉藤 顕生 さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 斉藤さんは、SDGsの達成のために日本が取り組むべきことは何かを考えよ、という事前課題を出されました。ご自身のお考えを聞かせていただけますか?

 

A これが正解だという答えは一つではありませんし、皆さんに引き続き考えていただきたいので、私がそのいくつかを言うことも控えますが、日本が取り組むべき課題は、現在の日本社会を客観的に把握すれば自ずと見えてくると思います。そして気づいてほしいことがあります。それは、お話したように、SDGsはビジネスチャンスでもあること。日本が遅れている分野には、そのぶん大きなビジネスの可能性が眠っていると考えてみてください。

 

 

 

Q 3年生を終えた時点で1年間休学してアメリカでインターンシップを経験したとおっしゃいました。そのことをもう少しお話しいただけますか。

 

 

A 英語の勉強を通して学外のいろんな人と交わるにつけ、もっと英語力を鍛えるためにも学生時代に一度は海外を経験したいと思っていました。青年海外協力隊にも応募したのですが縁がなくて、英会話教室の先生に、インターンになるという方法があることを教わりました。そこで、ミネソタ州のシビカという人口700人くらいのとても小さなまちの学校で、社会科の先生のアシスタントを務めたのです。幼稚園から高校までがひとつの学校で学ぶ環境です。白人ばかりの中で私は完全にめずらしい「外国人」でした。いちばん驚いたのは、日本に原子爆弾を落としたことが美談として語り継がれていることです。私は日本から原爆の写真集を送ってもらって、それをもとに頑固な大人たちとたくさん議論しました。このときに英語がたいへん鍛えられました。外国人になって外国に暮らす経験は私に、その後の人生に大きな影響をもつ気づきや学びをもたらしました。

 

 

 

 

 

<斉藤 顕生 さんへの質問>学生より

 

 

Q SDGsを学ぶための良い方法をアドバイスしていただけますか?

 

 

A ネットや書籍などからいろいろな情報は手に入れることはできますが、私がオススメしたいのは、今日お話したように、JICA北海道センター(札幌市白石区本通16丁目南4-25)に一度来ていただくことです。「ほっかいどう地球ひろば」という体験型の展示があって、「世界を知る」こと、「世界とつながる」こと、そして「世界を変える」こと、という3つのゾーンで現在の世界の状況や課題を体験的に知ることができます。とくにSDGsについては、「世界とつながる」ことを志向したゾーンでわかりやすく訴求しています。

 

 

 

Q JICAに就職するにはどうしたらよいですか?

 

 

A 新卒の採用もありますが、実は全体の7〜8割の職員は、私のように別のキャリアからの転職組です。それだけ組織の多様性を重視しているのですが、私たちがほしい人材の中心は、ビジネスの現場でお金をかせぐことの大切さや難しさを経験している人です。また、JICAのことをボランティアの組織のように思っている方もいるかもしれません。成り立ちとしてJICAはいわゆる政府系機関なので、雇用条件などは国家公務員に準じることになります。

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