- <担当科目>
- スペイン語I、スペイン語II、外国語上級(スペイン語)
豊平太郎 准教授
TOYOHIRA Taro
ホセ・オルテガ・イ・ガセットおよびスペイン語圏哲学史

オルテガは『大衆の反逆』や『芸術の脱人間化』で知られる20世紀のスペイン語圏最大の哲学者です。彼の思想はスペインはもちろん中南米を含めた20世紀のスペイン語圏の文化に多大な影響を与えました。スペインでは1936年に内戦が勃発し、その後は長くフランコによる軍事独裁政権が続いたため、オルテガの思想は1970年代後半以降のスペイン民主化まではフリアン・マリアスやルイス・ディエス・デル・コラールなどの「マドリード学派」と呼ばれる弟子たちの間で継承されるのみでした。同じスペイン語圏のメキシコなどでは内戦の際に、フランコと対立していた多くの共和国側のスペイン知識人を亡命者として受け入れました。その中には当時オルテガの最も忠実な弟子を自任していたホセ・ガオスなども含まれていたため、彼らを経由してオルテガの思想は『アメリカの発明(邦題: アメリカは発明された)』などで知られる思想家エドムンド・オゴルマンなどにも受け継がれました。
現在の研究テーマは「マドリード学派」やオゴルマンらの「メキシコ歴史主義学派」といった、オルテガ哲学から出発しながらもそれを独自に発展させた思想家たちに関するものです。
自由のための命題としての「私は私と私の周囲」
哲学を学ぶようになったのは父親から贈られた『ショーペンハウアー全集』を読んだことがきっかけでした。ただショーペンハウアーの哲学は(今でも根本的な点では彼の哲学は完全に正しいと思っていますが)あまりにも救いがないので研究対象にする気にはなれませんでした。
スペイン語圏の哲学史を研究するようになったきっかけは、アルゼンチンで4年ほど「自分探し(?)」をしていた時にオルテガの『大衆の反逆』を読んだことでした。これが「刺さった」ので、ひとまずオルテガを哲学の師匠ということに勝手に決めて、彼の思想を研究することにしました。
オルテガの哲学の根本命題は「私は私と私の周囲である Yo soy yo y mi circunstancia」ということです。この場合のcircunstancia というのは日本語に訳しづらいのですが、「私の周りを囲む全てのもの」を意味しています。この「周囲」には物質的な存在だけではなく、「挨拶の仕方」から「芸術」まで「私の生」に現れる全ての事象が含まれます。中期以降のオルテガはこれを「信念の体系」と呼び変えています。この「周囲」あるいは「信念の体系」には「人々」も含まれます。私は日本にいるときは軽く頭を下げて挨拶しますが、アルゼンチンではハグをして両頬にキスをしました。これは私が自分の意志でそうしようと思ってするのではなく、私の「周囲」の「人々」がそうしているから同じようにするだけの事です。オルテガは(思考も含めた)私の行為の大部分は私の「周囲」の「人々」の模倣と反復で成り立っていると指摘し、そのような「人々」の模倣と反復をしている限り、私は私ではなく「人々」と同化していると考えました。オルテガが『大衆の反逆』で描写したのは、生のあらゆる局面で「人々」と同化することが苦痛などころか快感であるような人間が支配的になった大衆社会の様相でした。
「人々」の模倣と反復から逃れ、自分自身の意思に基づく生を取り戻すためには、まずは「人々」の思考方法や行動様式を理解する必要があります。「人々」は「挨拶」に見られるように自分自身の思考や行為の中に潜んでいるからです。「私の周囲」を構成する「信念の体系」を理解することで、初めて「私」はそこから自由になる可能性を手に入れます。「私は私と私の周囲である」というのは「私」が自覚的に自らの生の一部としての「私の周囲」と向き合うことで、自分自身の意思で考え行動することができるようになるという、自由のための命題です。

「私の周囲を救わなければ私が救われることもない」

先程の「私は私と私の周囲である」という命題には、「私の周囲を救わなければ私が救われることもない」という続きがあります。
この場合の「救う」というのは「意味を与えること、理解すること」を意味しています。
オルテガから決定的な影響を受けたメキシコの思想家エドムンド・オゴルマンは「私の周囲」は「アメリカ(スペイン語では「アメリカ」とはアメリカ大陸全体を意味します)」であるとし、その意味を解明しようとしました。その結果、「アメリカ」とはヨーロッパが存在しないはずの「地の島の第4の部分」を受け入れるために複雑な解釈学的過程を経て作り出した概念に他ならず、ヨーロッパによる「発明」だと考えました。つまり「アメリカ」とはヨーロッパがその歴史的使命を達成するための「資源」であり、ヨーロッパの理想を実現するための「ユートピア」であるという意味を与えられ、その理想に応えることに汲々としていると考えたのです。オゴルマン自身は脱植民地主義的な思想家ではありませんでしたが、結果として彼の「自分の周囲」を理解しようとする努力によってその後のラテンアメリカの思想家たちは「アメリカ」という概念により自由に向き合えるようになりました。
スペイン語関連の授業を担当しています
スペイン語は母音の発音が日本語とほとんど同じなので、日本語話者にとっては身につけやすい言語です。またスペインだけではなく中南米の大部分でも公用語として使用されています。商学を学ぶ学生にとってビジネス面でも役に立つ言語です。
私たちのものの考え方は私たちが使用する言語に大きく依存しています。他の言語を学ぶというのは、自分とは異なる思考様式を学ぶことでもあります。スペイン語を学ぶことで日本語とは異なる世界の見方があることを少しでも実感してもらえればと思っています。

自分の頭で考えて大学生活を送ってください

大学生活というのは職業人として社会に出ていくまでに与えられた最後の猶予期間のようなものです。多くの人にとって、自分の人生についてじっくり考えて決断を下す(ほとんど)最後で最大のチャンスでもあります。またこの時期に経験したことはその後の人生に大きな影響を与えます。他人の大学生活について大したことは言えませんが、大学の教員も含めて周囲の人間の言うことをあまり鵜吞みにしないほうがいいと思います。私自身も含めて大学の教員は別に森羅万象の理を司る全知の存在でも、人生について知りつくした賢者でも何でもありません。専門家というのは専門外の領域ではただの素人です。当たり前のことですが、人生は一回きりです。一番大事なことは自分自身が納得のいく生き方をすることです。他人の言うことを参考にすることも有益なことですが、最後は自分の頭で考えて、この大切な時期をどう過ごすか決めてください。
小樽商科大学での大学生活がみなさんの人生にとって有益な経験であることを願っています。
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