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教員インタビュー 西永亮教授

     

  • <担当授業> 社会思想史Ⅰ、社会思想史Ⅱ、基礎ゼミナール、現代思想、現代社会と歴史論

西永亮 教授
NISHINAGA Ryo


全体主義の時代における哲学と社会の関係

 西洋の社会・政治思想史について、とくに20世紀ドイツを中心に研究をしています。1933年のナチ党による権力掌握以降、ドイツのユダヤ思想家たちの多くはアメリカに亡命を余儀なくされ、そこで重要なテクスト群を著した結果、いまでも世界的に影響を与えつづけています。私の研究対象はそのなかでもレオ・シュトラウス(Leo Strauss, 1899-1973)の政治哲学です。
 
 日本のシュトラウス研究は彼について次のようなイメージを定着させてきました。例えば、事実と価値を区別して事実のみを記述する実証主義に対して、自由、平等、正義、善い社会、といった価値をめぐる問いを社会科学に復活させた規範理論家、あるいは、近代化による価値相対主義の弊害に対して、人間の自然本来のあり方を教えた古代ギリシア哲学への回帰を主張した古典的自然法論者、など。
 
 私自身は、そうした先行研究を踏まえつつ、近年話題になっている中世のイスラーム・ユダヤ哲学からシュトラウスへの影響に注目しています。そこでは、哲学はひとつの「生き方way of life」であり、しかも哲学者は社会に役立つよりもそれと緊張関係にあったようです。

先生や仲間たちからの刺激

 きっかけは学生のときに受けた今村仁司さん(1942-2007)の講義でした。そこで彼は「暴力」や「排除」をキーワードに人間や社会(そして学生たち)を舌鋒鋭く批判していて、とても衝撃を受けました。
 
 それから藤原保信先生(1935-1994)のゼミナールに入ったことも大きな契機となりました。藤原先生はもっと人間を信頼する、いや信頼に値する社会の実現を目指す、そのような思想史家でした。そこで出会ったゼミ生たちからも多くの刺激を受けました。
 
 思想史研究は基本的に文献の収集・整理・読解といった地味な作業ですが、学会や研究会といった意見交換の場もあります。しかしそれ以上に、同じテクストを気の合う仲間たちと輪読する機会もあり、これが私には一番楽しいと感じられます。互いに違った解釈をもちよって同じ方向に進んでいく瞬間には、先生・学生といった社会的地位、先輩・後輩といった経験や年齢、あるいは性別や国籍などはまったく関係ありません。この瞬間こそ最大の魅力だと思います。

社会に役立つためにも社会と距離をとる

 学問は社会に役立つものでなければいけない、とよく言われます。私もそう思います。しかし、社会に「役立つ」とはどういうことか、少し考えてみる必要はないでしょうか。
 
 既存の利益や価値観にただ適応するだけが役立つことでしょうか。もし既存のものが人間や社会に損害を与えうるものだったらどうでしょうか。むしろ、既存のものがこのまま推進されるべきものなのか、それとも修正が必要なのか、これについて一定の見識にいたることもまた、社会への学問の貢献の仕方ではないでしょうか。そのためには、そもそも人間や社会の「利益」=「善」とは何なのかを考えなければならないでしょう。社会思想史や政治哲学は、まさにこうした問いに取り組みます。
 
 本学で教育を受けた人たちが、やがて社会運営上の意思決定を迫られるとき、より善き方向に舵を取るためには、「今、ここ」だけではなく、「今、ここ」を包括する「全体」からの視点が不可欠であるように思います。(拙編著『シュトラウス政治哲学に向かって』小樽商科大学出版会、2015年、序論参照。)

基礎ゼミナール

 本学には新入生向けの「基礎ゼミナール」があります。大学での学習に必要な基礎づくりを目指すもので、少人数で行われます。内容は担当者によって異なりますが、私の場合は、使用教材を輪読する形をとっています。学生に担当箇所についてプレゼンテーションをしてもらい、そこからグループあるいは全体でのディスカッションに移行し、最終的には議事録を作成してもらいます。
 
 これまで使用した教材には、E. H. カー『歴史とは何か』、今橋映子『フォト・リテラシー―― 報道写真と読む倫理』、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』などがありますが、最も多く使用し、また学生からの反応もよいと思われるのは、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』とジョージ・オーウェル『一九八四年』です。

リベラル・アーツ

 本学の特色はリベラル・アーツに力を注いでいる点にあると言われます。個人的には、商学の単科大学で理数系の教育をしっかり受けられることにとても価値があると思っています。
 
 吉野『君たちはどう生きるか』はタイトル通り倫理(正しい生き方)を問うわけですが、人間や社会のあるべき姿について考えるためにも、物理学や天文学などの知識・視点が重要だと論じています。つまり、社会を構成する個人を、自然界における分子、あるいは宇宙のなかの天体に見立てるのです。自然や宇宙に運動の法則があるように、人間の社会や歴史にも何らかの構造があり、それによって諸個人は規定されながら、ともに自らの正しい生き方を模索するのだ、というのです。
 
 主人公のニックネームが「コペル君」なのも、そのあたりに理由があります。


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