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教員インタビュー 藤本健太朗准教授

  • <担当科目>
  • 歴史学 歴史と社会 小樽学 基礎ゼミナール 研究指導(ゼミ)

藤本健太朗 准教授
FUJIMOTO Kentaro


「過去との対話」を通して現在を考える

 国際政治学者であり歴史学者のE.H.カーは、『歴史とは何か』という書籍で、「歴史は、現在と過去のあいだの終わりのない対話である」と述べています。

 歴史を研究する際、私たちは当時の人たちが当時のことについて記したもの(史料)を読んで解釈します。ただし、人がある出来事について言語で説明するとき、完全に客観的になることは不可能なので、史料には必ずそれを書いた人の主観が入っていることになります。さらに、その史料を読んでいる私たちも、完全に客観的に史料を読むことはできません。

 「完全に客観的な事実の解明」は、少なくとも人間が認識する世界で不可能である、という前提のもと、様々な史料を対照しながら読むことで、当時の人たちが「主観的に」どのように出来事を経験して何を考えたかを理解しようとします。歴史学の醍醐味は、過去の人物の思考を高い確度で理解する、つまり複数の史料を読んで「この人、この時にこう思った/考えたよね」とわかる瞬間だと思います。

 その上で重要なのは、そこで得られた理解を、現在生きている社会に対して自分自身が抱いている問題意識とリンクさせることです。それによって我々は、現在の社会や人間に対する理解をより深めることができます。この「現在とリンクさせる」ことなしでは、過去の事象は「歴史」になりません。「自分たちもこういう傾向あるよな/自分たちにはこういう考え方はなかったな」と思って何らかの教訓を得ることができれば、カーのいう「対話」が成立します。その対話を「終わりなく」繰り返すことで、現代社会や人間に対する理解を無限に深めていけるということが、歴史学の面白さであり、また歴史学が社会生活において重要である理由です。

ロシア・ソ連を通してアジアの中の日本を見る

 私自身は、20世紀の極東地域をめぐる日露関係史を大きな関心として、戦前におけるソ連極東政策と、戦後における日ソの自治体間外交の2つを主なテーマに研究しています。2つのテーマは一見すると無関係なようですが、隣国でありながら文化が全くと言って良いほど異なるロシア(ソ連)の人々、特に政治家たちが、日本やアジアをどのように捉え、そこにどのような秩序を構築しようとしたか、という視点で見れば、同じような問題として捉えられます。

 普段我々が見ている、北を上にした地図では実感しにくいですが、ロシア側から見ると、日本列島はロシア人の太平洋への出口をすっぽりと覆う蓋のような位置にあります。加えて、大陸部の南には中国という、これまたロシアと歴史的に非常に複雑な関係を有する集団が常に存在します。このような地理的状況下で、アジア太平洋地域におけるロシアの安定や利益、そしてその中における日本の位置付けについて、ロシアの政治家たちがどのような政策議論を行なっていたのかを検討しています。そうすることで、現在のアジア太平洋地域における日本の位置付けや、ロシア人の日本観をより深く理解するための、材料の一つを提供できればと考えています。

小樽の歴史はいかに現在と「対話」できるか?

 地域の問題解決のために歴史を考えるとき、「過去との対話」は非常に重要な視座を与えてくれます。小樽の歴史、と聞いて、多くの人がまず初めに思いつくのは、市内各所に存在する歴史遺産でしょう。実際、小樽の歴史は、観光資源でもあるそれらの歴史遺産の来歴、という文脈で語られることが多いです。それ自体もちろん重要ですが、小樽の歴史には、それ以外にも現在と「対話」できる要素がたくさんあります。

 例えば、有名な小樽運河も、民間による運河保存運動だけでなく、行政による道路港湾開発が同時に行われて初めて、小樽が観光地として発展するきっかけになったと言えます。小樽運河自体の来歴を知ることももちろん価値のあることですが、運河が観光資源になる過程での、官民それぞれの思いや計画、双方の粘り強い交渉の過程を明らかにして、当時の人たちの経験が現在とどのように「対話」できるかを検討することで、小樽の現在の社会問題を考えるための視座を得ることができます。

 私自身は現在、国際都市小樽の諸相を明らかにすべく、その一端として小樽とナホトカの姉妹都市協定の成立経緯を研究しています。そこから出発して、今後はもっと様々な側面から小樽の経験たちと「対話」し続けたいと思っています。

大学で歴史を学ぶということ

 商大に限らず、大学の歴史学はぜひ受講してほしいと思っています。決して私が人気者になりたいからではなく(笑)、皆さんが卒業後、この混迷する社会の諸問題に取り組んでいくにあたって、歴史学の考え方は必須であると信じているからです。

 1991年にソ連という巨大な共産独裁国家が崩壊した後、F.フクヤマは『歴史の終わり』という書籍で、資本主義に基づいたリベラルな民主主義が人間社会の向かう最終地点であり、今後は世界中が民主化されていく過程である、という見解を示しました。しかし現在、そのリベラルな民主主義の限界(あるいは混乱)を表す出来事が各地で起こり、世界は再び社会の根本について考え直す必要性に迫られていると言えます。そしてそれは、過去と現在における人間の経験についての深い理解なしでは不可能です。

 私自身はとても小さな存在ですが、学生の皆さんと一緒であれば、多くの有益な「過去との対話」ができるのではと考えて、様々な授業で、私自身の意見を話すだけでなく、学生さんたちの意見を表明してもらい、全体での経験の共有ができるように取り組んでいます。授業では多くの学生さんが毎回熱心に自分の意見を表明してくれています。その姿勢が商大の学生さんの素晴らしいところだなと感じています。

実学のための「教養」と「遊び」

 小樽商大は実学を重視しています。実学という言葉は「すぐに役立つ知識や技術」を指すと思われがちですが、商大が定義する実学とは「現代社会の複合的、国際的な問題の解決に貢献しうる広い視野と深い専門的知識及び豊かな教養と倫理観に基づく識見」です。大学で専門知識を身につけるのは当然として、その専門知識を社会で役立たせるには、教養に基づく識見(判断力)が必要である、という理念です。
 教養の定義は様々ありますが、私の考える「教養」とは、誰とでも語り合うことができ、誰にでも自分の専門を説明でき、誰とでも協働できる能力です。当然、専門をただひたすら勉強するだけで教養は身につきません。自分の専門以外の考え方にも広く触れ、理解していくことが必要です。もちろん私自身もその道なかば(どころか序盤)です。
 大学の一般教育の授業はそのためにあるものですが、それだけではなく、可能な限り世界を広げて、多くの考えに触れてください。そのための時間の猶予を与えられているのが大学生という身分で、商大では他の大学よりもその猶予が大きく保証されているように思います(実際にそう感じるかどうかには個人差があるでしょうが)。世の中にはさまざまな情報が氾濫していますが、少なくとも大学生のうちは、変に「賢く」振る舞おうとせず、自分の感性を大切にして、思うままに過ごしてみてください。


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