2025.11.26
令和7年度第8回講義:平尾 由佳子さん(H17卒)「AI時代に生き残る凡人戦略―顔の見える誰かに届けるということ」
講義概要(11月26日)
○講師:平尾由佳子氏(2005年小樽商科大学商学部社会情報学科卒業/北海道テレビ放送株式会社総務局総務人事部副部長)
○題目:「AI時代に生き残る凡人戦略―顔の見える誰かに届けるということ」
○内容:小樽商大時代に私が最も熱中したのは、プレクトラムアンサンブル(マンドリンオーケストラ)だった。マスコミ志望で、ドラマを作りたいと願ってHTBに入局したが、番組制作の現場は私に、自分の個性や置かれた位置を厳しく教えてくれた。約20年の経験をもとに、ごく普通の人間がどのようにプロとしてやってきたのかを話して、後輩たちに学生生活や将来へのヒントを提供したい。
大人の自分は、子ども時代からの小さな気づきや癖の延長
平尾由佳子氏(2005年小樽商科大学商学部社会情報学科卒業/北海道テレビ放送株式会社総務局総務人事部副部長)

テレビっ子がマンドリンオーケストラに熱中
私は2001年に小樽商科大学に入学しました。江別から1時間半くらいかけて通っていました。皆さんの中にもいるかもしれませんが、江別からの通学は、たいへんですよね(笑)。
今日は「AI時代に生き残る凡人戦略」、という少し大げさなタイトルをつけました。私が現在まで20年ぐらいテレビ業界で働いた経験を基に、ごく普通の人間がどうやってプロとしてやってきたのか、そしてこれからやっていくのか、というお話です。
会社に現役の小樽商大生のアルバイトさんが来てくれていて、その子に「エバーグリーン講座ってどういう講義だとみんな楽しんでくれるのかな?」と聞いたところ、「会社説明会みたいな内容だとちょっと眠いです」、なんて言われてしまいました。私はだいたいその方向で考えていたので、あわてて複数のAIと相談しながら、会社説明ではなく私個人を軸にして、構成を改めたところです。
私は1982年に江別市に生まれました。物心ついた1990年代は、(皆さんわからないと思いますが)いわゆるトレンディドラマの全盛期で、小学校2年生くらいの私は、親に隠れてこっそり不倫のドラマなんかを観ている、おませな子どもでした。また当時はコント番組も全盛期で、ウッチャンナンチャン、とんねるず、ダウンタウン、ナインティナインなど、ゴールデン帯でコント番組が観られる時代でした。コント番組では演出としてスタッフの楽しそうな笑い声がつきものです。私はここで勘違いをしました。テレビ局の仕事って笑いながらお給料がもらえるんだ!なんて最高の職場だろう、と思ったのです。
2001年に小樽商大に入ります。
ゼミは、杉山成先生の心理学ゼミ。そしてサークルが、プレクトラムアンサンブル(マンドリンオーケストラ)。マンドリンは大学で始めた楽器なのですが、コンミス(コンサートミストレス)として青春を捧げたこのサークルでの活動が、学生時代のいちばんの思い出です。実はこれはウソみたいなホントの話なのですが、入学して間もなく、母に「私マンドリンサークルに入るよ」と言うと、とても驚かれました。そして、押し入れの奥から古びたマンドリンを引っ張り出してきて、自分もやっていたんだよ、と言うのです。さらにはお母さん(私の祖母)もそうだった、と。それまで全く知りませんでした。
就活ではマスコミを志望しました。
みなさんそもそもマンドリンという楽器をご存知ですか?私の鉄板ネタなのですが、マンドリンという楽器は、ココナッツを縦に半分に割って、ソロバンを付けたような形をしています。私はこのネタ一本で面接を勝ち抜こうとしました。でもある新聞社の最終面接では、社長さんに「なんだかよく分からない」、と一蹴されてしまいます。ともあれ、北海道テレビ放送(HTB)に入ることができました。ここからもわかるように、HTBというテレビ局はややゆるい会社で、私もゆるさにかけては人後に落ちないのです。私は面接のときに「ドラマを作りたいです!」、と言いました。面接官たちは「あぁまたこういう子が来たか」、と苦笑いを浮かべていたのでした。
その後念願かなってドラマの監督も務めることができ、現在は総務人事部というセクションで、人事や福利厚生などの仕事をしています。
凡人の自覚
会社の紹介を手短にします。
北海道テレビ放送(HTB)は、1968(昭和43)年に札幌の南平岸で開局しました。同業他局はみな札幌都心に本社を持っていますが、弊社の本社は都心から少し離れた平岸の高台でした。それから50年後、2018年の9月に都心のさっぽろ創成スクエア(北1条西1丁目)に本社を移転しています。社員数は160人ほど。ギリギリみんな名前と顔が一致するくらいの社員数です。
東京のキー局とはちがうローカル局って、一体どんな役割をもっているのか。それを説明します。ローカル局ってキー局の子会社なんでしょ?と思っている方もがいるかもしれません。でもキー局とローカル局は経営がまったく違い、ローカル局は単独の企業体です。北海道には179の市町村がありますが、ローカル局の最大の役割は、これらの地域の暮らしや産業、行政をつなぐメディアとして機能することです。災害時には、道民の命を守る情報インフラとしての使命も担っています。
今年はクマの出没が大きな問題になっていますが、市街地にクマやシカが出ると担当チームがカメラを持って慌ただしく出発していく、なんていう風景は日常です。また地域文化の発信という仕事もあります。おいしいお店だったり、楽しいイベントだったり。ファイターズに代表されるスポーツもそうですね。こうした地域のニュースや話題を道内外に発信することで、地域の生活文化の向上に参画しています。
今回の事前課題は、ローカルテレビ局の役割や、テレビ放送はオールドメディアであるか否か、といったテーマで用意しましたが、私は皆さんが提出されたものを全て読ませていただきました。忖度のない指摘ばかりで、大変ありがたいと思い、襟を正した次第です。なかでも9割くらいの方が、テレビはオールドメディアだ、という認識でしたね。
多くの方が、テレビはインターネット以前に確立された技術や視聴のスタイルだから、一方向的なもので即時性に劣るとか、視聴者はあくまで受動的な存在であるとか、プログラムに決められたスケジュールがあるので時間が縛られる、という指摘をされていることが印象的でした。若者のタイパ重視の生活に合っていないという意見もあって、これはまさに私が思っていることでした。そういう世界で私がどういうふうに仕事をしてきたのか、ある意味で戦ってきたのか、というお話ができればいいなと思っています。
まず第1章は、「凡人の自覚」としました。
これは、自分がそのことを痛感した出来事にちなみます。私は2005年に入社しました。ドラマが作りたいです、と面接で言った私ですが、配属されたのは営業局の営業推進部。ちょっと面喰らいました。ただ部長がすごく先鋭的な人で、新しいイベントをさまざまに実現させました。札幌ドームで「トヨタビッグエア」というスノーボードの国際大会を開いたり、2007年にはさっぽろ雪まつりの会場(大通公園)に巨大なジャンプ台を作って、そこでスノーボーダーやフリースタイルスキーのスキーヤーたちが息を呑むようなパフォーマンスを繰り広げました。そういう大型のイベントをどんどん立ち上げて、私も現場の一員としてずいぶん鍛えられました。ちなみにその部長も小樽商大出身でした。
そこから3年後、社会情報部という部署に異動になります。夕方の情報生番組「イチオシ」のディレクターになりました。
そしてその3年後ぐらいに、総合制作部という、バラエティ番組を主に担当する部署に異動になりました。メインでは「ハナタレナックス」という番組のディレクターを務めました。この番組、観たことがある方いらっしゃいますかね?大泉洋さんたちからなるTEAM NACSが5人集まる北海道で唯一のバラエティ番組です。
この「ハナタレナックス」の作り方ってかなり変わっていて、同じくHTBの「水曜どうでしょう」(鈴井貴之さん大泉洋さんらによる旅番組)もそうなのですが、出演者には一切台本がありません。スタッフやMCのアナウンサーにはディレクターが書いた分厚い台本が渡されますが…。ですからここで大泉さんがこういう発言をしたらこうしよう、安田顕さんがこう言ったならこっちに進めよう、とか、進行上の分岐がいくつもあります。だからリハーサルからして時間も手間も2倍かかります。台本通りいかない中でのハプニングを作り手も楽しんで、あとで編集してお届けするわけです。これはHTBのバラエティ番組の独特な作り方だと思います。キー局ではありえません。キー局で、「すみません撮れ高悪かったんで来週の放送は休止させてください」、なんて絶対に言えないでしょう。私はそんな世界で育ちました。
ディレクターも5年目ぐらいになって30代に入り、私は勢いづいていました。そして社内でドラマの現場に行きたい、監督やりたいと触れ回っていたこともあり、ついに憧れのドラマの現場に参加することになったのです。でもここで私は、衝撃的な言葉を投げかけられることになります。
屋台骨の小さいローカル局のドラマの現場では、東京などから制作プロダクションのプロの方を呼んで混成チームを組みます。そこに参加されていたフリーの映像作家さんが、「ドラマの監督をやりたい!」ってずっと言っていた私に、「エッ、僕は息を吐くみたいに映画作ってるけど?」、と言ったのです。
どういうことかというと、私はその方が、「そんな作りたいんだったらさっさと作ればいいじゃないか。なんで作らないの?」。「安定した職場があるサラリーマンやっててそんなこと言ってるだけじゃ、何も始まらないよ」、と言っていると受け止めました。
そしてかなり恥ずかしかったのです。自分はとことんぬるい場所にいるんだな、と痛感しました。会社員として守られていて、給料は安定して毎月入ります。もし失敗しても、会社がフォローしてくれる。一方で、フリーの映像作家さんたちは、作品の出来がそのまま自分の仕事に直結する厳しい世界に生きています。そうか、サラリーマン制作者を選んだ時点で、自分はプロのクリエイターじゃないんだなって思い知らされまして。つまり凡人なのです。
そして、待てよ、じゃあ凡人はどうやって戦えば良いのか—。凡人はどう働けば良いかを考えよう、と思いました。

凡人、もがく
そんな凡人の自覚をした私が、そのあとどんなふうにもがいてきたのか。そのさわりをお話しします。
転機となったのがこちらです。2017年、「夜のお楽しみ寝落ちちゃん」という深夜の新番組。
私はプロデューサ兼務のディレクターになりました。プロデューサーは番組の大きな方向性を決める役割で、ディレクターはその中身の演出をするわけです。ざっくり言うとこの番組は、テレビっぽくないテレビをやってみようという実験番組でした。事前課題でも多くの方が、テレビは一方向で視聴者が参加できないのが古い、などと書いてくれていました。まさに当時の私たちもそう思っていて、テレビに双方向性をどう持ち込めるかが課題でした。若者のテレビ離れ、なんていうことが盛んに言われ始めているころでした。
私たちは、テレビは単体で成立しているものではなく、あくまでモニターのひとつとして位置づけて、スマホといっしょに観てもらう。つまりテレビはサブモニターなんだと考えて、見ている方にスマホと共に遊んでもらえるような企画を練りました。
ちなみに、「夜のお楽しみ寝落ちちゃん」ってすごく変な名前だと思いますが、制作側が付けたものではありません。この前身番組で視聴者の皆さんと生放送で対決するという企画があり、局が負けたら皆さんの好きなように番組の名前をつけてください、という趣向でできた名前です(番組名ごと視聴者のオモチャにしてもらいました)。
それで初回は名前にちなんで、札幌ドームから深夜の生放送で、「全日本寝落ち選手権男子個人」という企画を実施しました。夜更けの生放送中に寝落ち(入眠)の早さを競うのです。6人の寝落ち猛者たちが参加してくれました。
それだけでは番組になりませんから、視聴者の皆さんにTwitter(現X)でリアルタイムに反応をもらって、いいね!やリツイートの数で選手に妨害が発動されるという仕組みでした。
順位を決めるのは、脳波の測定機器。脳波解析のプロを東京からお呼びして、きちんと寝たかどうかを判定してもらいました。
頭上でヘビメタを熱唱したり、バズーカ砲みたいなクラッカーが炸裂するなど想像よりも早い勢いで妨害が入って、なかなかいいぞ、と思っていたのですが、放送が進むにつれて私はアレッ、と気づきました。CMを入れる回数を勘違いしていたのです。その結果時間がずれて、妨害のネタであるタカが選手の頭上を飛んだ瞬間に番組終了となりました。
これはもう放送事故であり致命的なミスでした。我々のあいだではタカ事件と呼ばれるトラウマになっているのですが、プロデューサーとして立ち上げた新番組の初回でこのざまです。私には生放送を回す技術も、プロデューサーとしての経験も足りていませんでした。
ものすごいお叱りのクレームを覚悟したのですが、ただ不思議なことも起きました。Twitterでざわつく視聴者の方に、別の視聴者の方が「落ち着け、これがHTBだ」、とフォローをしてくれたのです。
上からはもちろん怒られました。しかし同時に、HTBならこれくらい突き抜けたバカバカしさは許されるという、長年諸先輩方が積み上げてきてくれたHTBのバラエティー番組への信頼(?)に助けられた、と思いました。もしかしたら、双方向でいっしょに遊んでもらう仕掛けをしたことで、ちょっと味方になってくれる人もいたのかな、と思いました。
半径5メートルの誰かを想像する
2018年、HTBは開局50周年を迎えます。それを機に、豊平区の南平岸から札幌の中心部へ本社屋を移転することになりました。50年間お世話になった南平岸のまちを離れることは、地域の人にとっても、そして働いている私たちにとってもとても大きな出来事でした。
社屋移転のためには、一度電波を止める必要があります。その停波直前の番組、深夜2時25分スタートですが、その番組を私が担当することになりました。南平岸からの最後の放送(本篇4分)、「南平岸最後の放送~50年間の感謝と別れの想いをこめて…」をご覧いただきます。
番組では、50年にわたって本社を構えてきた南平岸の歴史への感謝と別れをテーマにして、過去のアーカイブ映像もたくさん使い、旧本社と地域との関わりを振り返りました。
ご覧いただいて、気づいた方もいらっしゃるかもしれません。テレビ局はマスメディアなので、広い社会に向けて番組を作るものです。私が出した事前課題への応答でも、視聴率重視のあまりターゲティングに弱い、という指摘がありました。でもこの最後の放送となった番組
に限っては、ターゲットを極端に狭くしました。南平岸で50年間仕事をしてきた人間たちが、南平岸に住んでいる皆さんに向けた手紙のような番組にしたのです。地域に暮らしていない人が見ると、ピンとこないかもしれない。共感も湧かないかもしれないと思ったのですが、でもそれが、ドイツの国際映像コンペティション「ワールドメディアフェスティバル2019」のニュース部門で、銀賞を受賞することができました。
この放送から7年経っている去年のことですが、いまだにこの録画を見返しているんです、という地元の方からのお声をいただきました。私はこの経験から、社会に深く刺さるということには、マスメディアの対極にあるような視座になりますが、半径5メートルくらいの人を想像するっていう方がむしろ有効じゃないか、という学びを得ました。
たくさんの人に届かなくても良い。ターゲティングを狭くすればするほど、逆に広まっていくこともある。例えば皆さんレポートを書くときに漠然と〇〇教授に向けて、と想像するのではなく、〇〇教授の内面や思考を高い解像度で見すえて、先生が何を熱く語っていたかな、というところまで想像してレポートを書くと、教授に刺さるようなものが書けるのじゃないかと思います。
このように例えば半径5メートルの相手を想像して、何度も何度も考え抜き、加えて制作側にいない人にも一回見てもらう。できれば対象となるその相手に見てもらうのが一番いいと思うのですが、見てもらって冷静な指摘をいただいて、さらにブラッシュアップしていく…。そんな仕事が、凡人ならではの、凡人なりの技になるんじゃないかなと、このとき気づきました。

コロナ禍での凡人の生存戦略
新社屋の移転直後に、私は夕方の情報番組のチーフディレクターに異動になりました。番組のコンセプトはまったく違いますが、タカ事件で大失敗した、例の生放送の現場です。これはリベンジだな、と期するものがありました。凡人なりの技として考え抜くという思考が板についてきたな、というふうに思っていた矢先。しかし、あの時代に突入します。
2020年の2月、北海道独自の緊急事態宣言が出ました。コロナ禍への突入です。
この日のことはすごくよく覚えているのですが、 17時半からの企画のリハーサルをしている最中に、行動制限を伴う通達が日本で初めて北海道知事から出る、という情報が入ってきました。リハーサルを取りやめて、その後のプログラムを全て緊急会見に差し替える判断をしました。
翌日の2月の29日土曜日の昼の札幌駅の写真をご覧いただいていますが、まちは、ふだんの週末とは全然違うディストピアのような空気感に包まれていました。道民ってこんなに素直に従うんだな、というふうにも思いましたが、それだけ誰もが、その未知なるウイルスがどんなものかわからずに怯えていたわけです。
夕方の情報番組でも、冒頭からどこの地域で何人感染者が出たとか、そういう人数を伝えるような毎日でした。凡人のあり方として考え抜くという技を身につけた、なんて言っていたのですが、この未知のウィルスを相手にしては、世界中の誰が考え抜いても正解がわからないのです。
毎日視聴者から不安の声が届きました。今日の感染者数を見るのが怖いとか、マスクをしていない人を見るとイライラしてしまうとか、誰とも話さない日が続いている、など。
皆さんどうでしたか?このときは中学校の3年生とか高校1年生とかの方が多かったでしょうか。修学旅行とか卒業式とか入学式とか、本当はできたのにどうしてできないんだろう、といった不条理な気持ちを抱えていた方もいるのではないかと思います。
視聴者の皆さんからの声で、社会に分断が広がっているな、と感じました。不安を抱えているという視聴者の方が多くて、私たちが一体何を伝えるべきなのか。ニュースをストレートに発信する報道部とは違った立ち位置で、役立つ情報を届ける現場として、人々の気持ちを少しでも和らげていくにはどうしたら良いか—。
私は恩師の杉山成先生にメールを出しました。先生が取り組んで来た心理学や社会心理学の知見ではどんなことが言えるのか、教えていただきたいと思いました。返信には、こうありました。
「連帯や絆といった、これまで災害を乗り越えるために有用だった人間の智慧が使えないことが問題です」。
なるほどそうなのです。例えば東北の大震災のときはほかの地域の人々が現地に行ってボランティアとして被災者を支えることができました。でも今回はできません。そもそも世界のみんなが同時に同じ状況にあるのですから。さらには、感染予防のために人と人とのコミュニケーション自体を断つことが推奨されていました。
私は正確な情報だけを伝えるのではなく、視聴者の声をできるだけ聞くような企画を増やしました。例えば、朝の「イチモニ!」では、コロナ禍で学生生活をどうおくっていますか、とアナウンサーが取材に出向いたり、専門家の先生に素朴な質問とかを聞くコーナーを作ったり。あるいは体育の授業もオンラインになった、というようすを紹介したりしました。
いま始まっている新しい生活様式を、それぞれがどういうふうに工夫しておくっているか、この生活をどのように受け止めているかを共有できるようなコーナーを作ったのです。
ただ、コロナ禍も長引き新しい生活様式が広がり始めると、うまく順応できずに半ば置いてけぼりになっている人も出てきたな、と感じていました。分断はもっと広がっていくんじゃないかと不安でした。張りつめていた糸が切れたように、スタッフの中にもメンタルの調子を崩す人もいました。
念願のドラマ監督に
そんなとき2021年の秋。廊下でたまたま出会った女性の先輩に声をかけられました。
「ねぇドラマ監督やってみない?」
開局55周年(2023年)記念のドラマの企画をプロデュースする立場の方でした。これは北海道の小さなお弁当屋さんが舞台の小説を原作としたドラマで、「弁当屋さんのおもてなし」という作品(全4話×2シーズン)です。
情報番組の中で、正確な情報を伝えることだけでは気持ちを支えることはできないかもしれないと限界を感じていたときでもあったので、「はい、やらせてください!」と応えて、いっしょに作ることになりました。
「弁当屋さんのおもてなし」は、傷心で東京から札幌に転勤してきたヒロインが小さなお弁当屋さんの魔法のような弁当と出会い、いろいろな人との交流を経て元気づけられていく物語です。グルメドラマなのですが、グルメドラマって世の中にいっぱいあります。私たちが作る意味はどこにあるのか。コロナ禍で元気を無くしがちな人でもなんとなく見続けられるような、シリアスすぎないポップなテイストを大事にしようと思いました。そして観てくれる方は道民なので、北海道民あるあるみたいなことを詰め込みます。甘納豆の赤飯とか、ほっけのフライ、山わさびおにぎりとか。北海道の人たちだけがわかって、楽しんでもらえればいいかな、と。
もうひとつ実は裏テーマがありました。声をかけてくれたプロデューサーの女性は当時癌を患って、入退院を繰り返していたのです。食べることは生きることですから、先輩にも食欲を湧かせてほしい、という願いを込めました。
放送後、ある視聴者の方からこんな声が届きました。「外出する気力が湧かなくて閉じこもっていたけれども、たまたまテレビでドラマを目にしました。久々に明日外に食べに行こうかなと思います」、と書かれていました。
ここで最初のテーマに少し戻ります。あの事前課題である方が書いてくれていました。「YouTube は個人に最適化されるけれども、テレビは偶然の出会いがある」、と。本当にそうで、私もすごくそれは感じているのです。
いま紹介した視聴者の声なんかがまさにそうなのですが、バイアスがかかっていたりレコメンドされないものを偶然見て、探していたわけではなかったけれども出会って良かった、ということが起こる。それがオールドメディアとも言われるテレビにまだ残っている価値のひとつなんじゃないかな、と。
仕組みや構造は確かにオールドなのですが、コンテンツの役割としてはオールドではありません。私はそう信じています。
最後に凡人としての自分の戦い方をちょっとご紹介したいと思います。私は音の間にこだわる癖(へき)がありまして、これはマンドリンオーケストラで培ったものなのです。そしてもうひとつ、表情を読み取る癖。心理学ゼミの中で、人の表情を読み取る心理テストみたいなのがありました。十人ぐらいの外国人の顔が次々に映されていく中で、いまこの人の心理は喜怒哀楽でいうと何でしょう?みたいな問いに答えていきます。全問正解だったのはゼミ生の中で私だけでした。もしかしたら私、表情を読み取るのが癖として好きなのかな、と思った覚えがあります。それと、妄想みたいな癖は昔からありました。子どものころから本を読むのも自分で物語を想像することも好きだったのです。
何が言いたいかというと、それぞれただの変な癖だと思うのですが、それが南平岸の特番だったりお弁当屋さんのドラマに、ある意味で結実していきました。癖や志向のいろいろな点をつなげて編集していくと、一本の線になるんだ、ということを皆さんに伝えたいのです。
皆さんにもきっと何気ない癖みたいなのがあると思います。特別な才能ではまったくないけれど、日常の中でなぜか気になってしまうとか、目に留まるもの。皆さんのセンサーに何か引っかかるようなものやコトがあれば、ぜひそれを大事にすると良いと思います。
AIは意味を、人間は温度を作ります。皆さんもいま、 AI をたくさん使っていると思うのですが、私も今日のこの講義の構成はいろんなAIといっしょに作りました。AIって、だんだんすごく褒めてくるじゃないですか。平尾さん良いですね、最高です、とか。
いやいや待って!そんなおべっか要らないからもうちょっと厳し目にお願いしますって言っても、やっぱり忖度してくるんですね。
だからAIやAIが繰り出してくるおべっかに負けずに、皆さん自分の癖を大事にしてください。ちょっと変わった癖ほど武器になります。そんなことも意識しながら、ぜひこれからの大学生活を楽しんでください。

<平尾由佳子さんへの質問>教員より
Q)今日の事前課題で平尾さんは、テレビはオールドメディアか、といったテーマを設定してくださいました。その事前レポートのすべてに目を通してから今日の講義があったのですが、学生諸君のレポートを読んで気づいたこと、あるいは考えさせられたことなど、コメントをいただけますか?
A)先ほども少し触れましたが、視聴者をあまりセグメントしないことにいわゆるオールドメディアの良さがある、と書いてくれた方が何人かいて、20年この世界にいる私が近年自覚するようになったことを、あっさり分析してくださって驚きました。いまの情報環境では嗜好が細分化されすぎて、選択に疲れてしまう人がこれから出てくるんじゃないかと思います。能動的に調べることがちょっと面倒くさくなる、みたいな。観る側が何も考えなくてもただただ流れてくる…、テレビのそういう特性が逆に好ましく見えてくるかもしれません。
9割くらいの方がテレビはオールドメディアである、と答えていて、さすがにこの割合は私の予想を超えていました。ただ一方で、地域に根ざしたメディアとしての役割には一定の価値があると書いてくれる人も多かったので、その方向には未来があるとも感じました。
また、アルバイトで塾講師をしている方が、塾生である中学生には、ほとんどテレビとは無縁の生活をしている子も多いということも書いているので、その現実は受け止めなければなりません。
そうした流れに対して、例えば報道部だと、地上波で放送する前に先にホームページでニュースを流しちゃう、といった取り組みは以前から行っています。地上波ファーストではない時代だという認識は、現場にもあるのです。
Q)面接のときにドラマを作りたいと言った平尾さんですが、実際にドラマを担当してみていかがでしかた?想像していた通りの世界でしたか?
A)例えば、思っていたよりも脚本ってすごく練られて作るんだな、と感じました。私が演出したドラマには原作があったのですが、それをこういう筋立てのドラマにしたい、というプロットを私が作り、それを脚本家の方といっしょに作り上げていきます。
脚本はそのドラマの精密な設計図です。ドラマの現場には演出家(監督)がいて助監督がいて、技術でいうと撮影部や音声部、照明部、さらに衣装部やメイク部、俳優部などが関わります。皆さんは俳優さんがいちばんエラいと思われるかもしれませんが、ドラマの現場では俳優さんもたくさんある部の一員です。脚本をもとにして、それぞれの力をどうしたら最大限に発揮してもらえるかということに取り組むのが監督になります。
Q)今日の講義のタイトルには「凡人」というワードが入っています。そうお考えになった背景や狙いをあらためて伺いたいのですが?
A)私はふつうに自分を本当の凡人だって思っていますが、みんなで熱中して仕事していると、ちょっと勘違いが入ったりします。自分たちは時代の先頭を走るクリエイターである、みたいな。悪い意味でそうなってくると独り善がりになって、他者の意見に耳を貸さなくなったり、自分と異なる考え方の人との接触が減って、小さな世界に閉じこもってしまうでしょう。なるべく低いところに自分を置いた方が、いろんなものを受け取る量が多くなるかな、と思っています(自信が足りない、という見方もあると思いますが)。

<平尾由佳子さんへの質問>学生より
Q)いままでで一番難しかった仕事は何ですか?
A)かつて(2010年代)札幌ドームで、トヨタビッグエアという、スノーボードの国際競技会がありました。アリーナに大量の雪を運び入れて巨大なジャンプ台を作ります。世界からトップ選手たちが集まって、そこで大ジャンプの難易度や美しさを競うのですが、準決勝とか準々決勝の前に、会場を盛り上げる1、2分映像を流すのです。その制作を担当したことがありました。
ふつうならその分野を得意としているプロダクションに発注するのですが、社内でやってみよう、と。私なりにがんばって作ったのですが、会場を一気に盛り上げていくはずの私の映像で、会場のテンションは一気に盛り下がってしまいました(笑)。リズムやテンポ感が、スノーボード競技の世界観と全然合っていなかったのですね。しばらくうなされました(笑)。
Q)一番楽しかった仕事、手応えを感じた仕事は何ですか?
A)やっぱり一番面白かったのは、とても大変ではあったのですが、ドラマの監督の仕事です。原作があるもので、私は脚本のプロットを書いて、現場の演出をして、編集もさせてもらいました。ただそれまで監督なんてやったことがないので、役者さんの演技指導に苦戦しました。例えば「泣いてください」、「悲しい表情で」、などと指示を出したときに、その悲しい顔が行き過ぎていたり泣く演技が泣きすぎていても、そのことをうまく言葉で伝えられないのです。
このくらいの感じ、と言っても人によって「このくらい」は違います。そして泣くシーンの芝居って、何回もできるものではありません。一発本番です。尊敬する監督の先輩からは、「その役者さんの過去の体験を具体的に思い出させるような、そういう声かけをすると良い」、と言われたのですが、難しいですね。正解のない世界です。まだまだ勉強中です。
撮影の現場には全部で40人くらいのスタッフいます(ほかに背後に、広報や営業や編成に関わる人がいます)。キー局であればこの人数も予算も桁が違いますが、それでも監督へのプレッシャーはすごいものです。テキパキと演出の指示を出す監督が多いと思いますが、私は合議制をとりました。「みんな、ここどう思う?考えを聞かせて?」、と。先輩からはそんな人いないよ、と言われたのですが(笑)。
Q)平尾さんが関わった番組への視聴者からリアクションなどで、印象に残っているものはありますか?
A)M-1グランプリで優勝して、いまは大の人気者になっている漫才コンビ錦鯉の長谷川さんがまだピンで活動されていたころに、密着する番組を作ったことがありました。10年以上前なので当時はまったく売れない芸人さん。東京で家賃3万円くらいのすさまじく古アパートに住んでいて、彼が10年ぶりに帰郷してお母さまと再会する、という企画でした。その方は子供のころからお母さんに手紙を書くのが習慣としてあったようで、大好物だったお母さんのカレーライスを食べたあとに手紙を披露するひと幕があり、翌朝、東京に戻る芸人さんを駅まで見送りに来たお母さんが、ドアが閉まる直前にあわててお握りを渡します。芸人さんはJRのエアポートの車内でそれを食べながら大粒の涙を流します。それに合わせバックに感傷的なテーマ曲が入る、という流れなのですが、編集した素材をいっしょに編集室で見ていた40代の男性の同僚が、「俺もうダメだ!」と号泣したのです。びっくりしました。視聴者に届く前に局内でとびきりの反応をもらってしまって(笑)、いまでもよく覚えています。
Q)テレビ業界に入って良かったこと、悪かったことは何ですか?
A)良かったことは、子どもの時に思っていた「笑いながら仕事をして給料もらえるなんて良いな」、ということがある程度は本当だったことでしょうか。報道部などではそれほど単純な話ではないと思いますが、私はバラエティの分野にいたので。
悪かったこと…。テレビ業界といっても、局によって個性はさまざまですね。私はいま採用担当の仕事もしているので、テレビ局志望の学生さんから話を聞くこともあるのですが、ある方には「○○○局さんはもっとちゃんとしていましたよ」、などと言われたことがあります。ちょっとギョッとしました。弊社はゆるいところもあるので自分もゆるすぎる大人になってしまったのかも?ただ、やるときはやるっていうメリハリが社風にはなっています。一方で「テレビ局の常識=社会の非常識」という面もあるので、社会の感覚とのズレにはいつも気をつけています。
Q)テレビ局の仕事は残業続きでハードなのかな、というイメージがありますが、実際はどうですか?
A)そういうイメージをもたれがちですね。しかし特に近年は、きちんとしすぎているくらいきちんとした働き方が行き届いています。私が入ったころの制作の現場は、編集などは夜の作業が当たり前でしたが、いまは違います。特に内勤の人、事務系の仕事は9時〜5時が基本です。報道では、事件や事故に対応するためにそういうわけには行きませんが、そのぶん休みはしっかり取ります。男性で育休を取ることもふつうです。皆さんどうぞご安心ください。
Q)いわゆるテレビ離れ、という言説を目にしますが、平尾さんご自身はどうお考えですか?
A)皆さんのレポートを読ませていただいて、おそらく考えていることはだいたい一緒だな、と思いました。つまり淘汰されるところはやっぱり淘汰されていくと思います。ただ、ローカル局としては、地域メディアとしての役割は間違いなく残っていくと思います。とりわけ報道ですね。皆さんのご指摘にありましたが、発信の仕方は変わっていく余地がありますが、役割は揺るぎなく残るのではないでしょうか。
また弊社はとくに、マスの広告だけによらない営業、平たく言うと稼ぎ方をすごく研究していていろいろな取り組みを行っています。例えばキャラクターの「onちゃん」の稼ぎはとても優秀で、ついに1億円プレイヤー(グッズの年間売上)になりました。そういった2次コンテンツ、地上波に付随するグッズやイベントで稼ぐ売上げも伸ばしています。将来的にテレビ局は、エンターテインメントの総合商社みたいなビジネスモデルになっていくのではないか、と個人的には思っています。
Q)テレビ放送は必ず編集の工程を経て視聴者に届くと思います。その方向や方針が議論を呼ぶこともあると思います。とくに民間放送の場合はスポンサーの意向が影響を及ぼすのかな、とも想像します。実際はどうなのでしょうか?
A)提供スポンサーによって成り立つキー局の番組とちがって、ローカル局では実はそういうことはあまりないのです。CMにはタイムCMとスポットCMがあります。タイムCMは、スポンサーさまが明確にこの番組を買いますということですが、スポットCMの場合は、企業さまが1日のタイムテーブルの中で視聴率何パーセント分を買います、ということになります。ですからどの番組でどのスポンサーさまのCMが流れるか、というのは流動的なのです。ローカル局の売上の多くはスポットCMということもありますが、ローカル局がスポンサーさまを過剰に忖度する、ということは基本的にありません。
ただ、テレビ局は広い視聴者を相手にしていますから、シンプルに要点だけをわかりやすく訴求します。複雑な事象を告げるニュースでも、それを1分でまとめなければならない、とか。余白のないそういうものが切り取られて拡散するリスクはどうしてもありますね。
Q)学生時代に心理学のゼミを選んだのはなぜですか?
A)在学中に友だちがメンタル疾患をわずらってしまい、産業カウンセラーの方に相談に行ったことがありました。メンタル疾患って脳のバグなので、私にとっては「なんでそんなこと言うの?」、ということでも、その人にとってはそれが正解なわけです。じゃあそこに対してどういうふうに対処したらいいんだろう、どういうふうに声をかけてあげれば良かったんだろうと考えていくうちに、杉山先生のところに行き着いたのでした。
実は杉山先生のゼミで習ったことを就職活動中に披露したことがありました。HTBの面接です。面接でよくありがちなことですが、面接官から「最後になにかありますか?」と投げかけられます。何を思ったか私は「はい、あります!」と手を挙げて、杉山先生から習った心理学のテストみたいな小話をそこで披露してしまいました。
なんか変なこと話し始めたぞっていう印象を面接官に与えたのですが、入社してからその場にいた幹部の人から、「あれって結局何だったの?」なんて聞かれて冷や汗をかきました(笑)。
それと、私は卒論のテーマもメディアをめぐるものでした。内容としては、同じことを、権威のある専門家が話すのと無名の人が話すのとでは、視聴者が受ける印象はどう違ってくるかという、マスコミ操作、社会心理学の分野の考察でした。
Q)いまの平尾さんに繋がるような学生時代の思い出について聞かせてください。
A)いちばん打ち込んだのは、マンドリンオーケストラ(プレクトラムアンサンブル)です。当時は
60人くらいいて、学内で2番目に大きいサークルでした。夏の合宿や演奏旅行などの楽しい思い出は尽きません。合宿では缶詰状態で一週間、朝から晩までマンドリンを弾き続ける日々でした。私はそれまで楽譜も読めなくて、楽器にも無縁でした。入学するとき、弓道部に入ろうかなと思っていたのですが、入学式のあとのサークル紹介で、プレクトラムアンサンブルがジブリの曲を弾いたのです。それが素晴らしくて、練習をちょっと見学に行ったらあれよあれよ、とマンドリンを弾き始めた私がいました。
私はずっと、ノンバーバル(非言語)の世界で感覚を拾っていくようなことに興味を持ってきました。AIを使うとき、私たちはやはり言語を入力します。ふわっとしたことであっても、言語化しなければならない過程が求められますね。ノンバーバルの世界って、AIもまだ追いついていないと思います。人と人、人と何かとのあいだにある空気感とか感覚を読み取るセンスや力を4年間のマンドリンオーケストラの活動の中で磨かれたかな、と思います。もっと直接に言えば、私は番組の編集で音楽の力を借りることが多いです。
Q)仕事を離れて、という訳にはいかないとは思いますが、視聴者としてテレビを見ているときに、どういうところをどういう観点でご覧になっていますか?
A)やはりすごくマニアックに、作り手の目線で見ちゃうかもしれないですね。とくにバラエティ番組だと。ドラマを作っているときには、ほかのドラマをみてすごく感心したり嫉妬したり。ちなみに私が演出した「弁当屋さんのおもてなし」(HTB開局55周年ドラマ)は、U-NEXTなどの配信サービスで観ることもできます。開局50周年企画のドラマ「チャンネルはそのまま!」にも私はキャスティングプロデューサーとして関わっているのですが、あれもNetflixで配信されています。また弊社の「hod」というオンデマンドサイトでは、昔のバラエティー番組も観られます。もしよろしければ、ご覧いただくとうれしいです。オリジナルのコンテンツを制作することも、ローカル局のビジネスの軸になっています。
一方で今日の私は、ここにいる後輩の皆さんがどんなテレビをどんな観点で観ているかがとても気になります。特に地上派のバラエティ番組を観てくださっているか否か。どうですか?
(比較的バラエティ番組を観るという男子3年生。テレビはオールドメディアだと思うが、ローカル局ならではの地域への価値やビジネスがあるのではないか、というコメント有り)
<教員より>
Q)自分の進路を定めつつある人、あるいは迷いながら模索している人、現役の学生諸君にはいろんな人がいると思います。最後に平尾先輩から、メッセージのエールをいただけますか?
A)「半径5メートルの誰かを想像する」ということを述べましたが、皆さんはいろんな他者とコミュニケーションを取ることを意識してください。損得抜きでそんなことが自由にできるのは、学生時代をおいてほかにありません。そしてそうして付き合った仲間のうち何人かとは、その後もずっとつきあうことができるはずです。私ももちろん、学生時代の友人たちといまも交遊しています。いま自分の近くにいる人、あるいはこれから出会う人と、たくさん話したり、議論してみてください(必ずしも言葉を介さない、ノンバーバルな付き合いでも良いでしょう)。ケンカすることもあると思います。逆に言えば、もっと大人になると、ケンカってなかなかできなくなるものです。ケンカするほど仲が良い、というのは素晴らしいことではないでしょうか。
