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2022.01.12

令和3年度第11回講義:本間 明子さん(H7卒)「技を磨き、感性を研ぎ澄ます〜根底にあるもの〜」

講義概要(1月12日)

 

○講師:本間 明子氏(平成7年商学部商学科卒/アイ・タップ株式会社 代表取締役)

 

○題目:「技を磨き 感性を研ぎ澄ます〜根底にあるもの〜」

 

○ 内容:

ウィンドウズ95が発売され、インターネット普及元年とも言われた1995年。就職氷河期の入り口で社会人となった私は、その後ずっとIT業界でキャリアを積んできた。システム開発の現場を動かすための発想や手法を紹介しながら、私にとっての個人とチーム、個人と仕事の成り立ちを解説して、後輩たちのキャリア形成へのヒントを提供したい。

 

 

 

何を見て何を感じるか。そしてその先に続くことは何か

 

 

本間 明子氏(平成7年商学部商学科卒/アイ・タップ株式会社 代表取締役)

 

 

 

 

 

インターネット普及元年に、NTTに就職

 

 

1995(平成7)年に卒業した本間明子です。卒業以来ずっとITの世界にいて、一昨年、まずアルバイトで入った、システム開発と業務コンサルティングをなりわいとする会社のトップに就任しました。今日は主に、私が体験的に磨いてきた仕事への考え方や、その進め方についてお話しします。ITという狭い分野に限らず、皆さんの物事の発想や考え方のヒントになれば良い、という気持ちでいます。

 

私は秋田に生まれ、小樽に来るまで、家の都合でなんと10回も引っ越しをしました。そして1991(平成3)の春、秋田の公立女子校から小樽商科大学に入学したのです。知らない土地でのはじめての大学生活。不安とわからないことだらけでしたが、最初の合同オリエンテーションで頼もしい先輩に出会って、ずっと良くしていただきました。そしてその方がアメリカンフットボール部のマネージャーをしていました。「本間さんもやってみない?!」と誘われるままに部に入って、その後この部活が私の学生生活の軸になります。地獄坂の途中にある内山下宿さんにお世話になり、坂を行ったり来たりしていたのが、私の大学生活です。下宿から正門をすぎてそのままグラウンドに登ることも多く、青春の日常は、夏は日焼けのグラウンド、冬は半地下のトレーニング室で繰り広げられました。選手やマネージャーの先輩、後輩たちから、私は学生生活のすべてを教わり、しごかれました。

3年になると、高宮城朝則先生のマーケティングのゼミに入ることができました。勉強は一生懸命取り組みましたが、先生や同級生とテニスやボーリングで遊んだことも良い思い出です。また、先生が取り組まれていたご著書のお手伝いでアンケートの集計などに関わり、そのとき初めてMacWindowsの世界に触ることができました。

 

私が入学した1991年は、北海道ではまだバブル景気の最終盤で、先輩たちは就職活動で苦労することはほとんどありませんでした。でも私が卒業する95年は全国で就職難で、いわゆる就職氷河期のはじまりに当たります。まわりは金融をめざす人も多かったのですが、「地方」出身の女性(親元にいない女性)が金融に進むにはハンディキャップがある、などと言われていました。自分には何ができるのか。自分は何をしたいのか—。迷いながら、苦しみながら、自問自答の日々でした。

 

部活の先輩のアドバイスや応援もあって、NTTに入ることができました。全国一社の時代で、同期は800人だったと記憶しています。

東京で入社式に出て、その日に辞令が出ます。つまりその時点まで、自分がどこに配属になるかはわからない。私のスタートは、函館でした。1年半勤務して、その後札幌に移りました。新社会人としても右も左もわからないスタートです。あらゆることを現場で学びました。まず配属されたのが、「116オペレーター」。ヘッドセットをつけて、NTTの商品に対する総合的な窓口を半年務めました。それから営業職へ。車でまわって、ISDN回線を函館のご家庭や企業などに売るのが仕事です。ISDNといっても皆さんはわからないでしょうが、電話の回線がアナログからデジタルに変わっていく時代の商品です。NTTという大看板があって、女性の営業も珍しかったので、実力で販売したというより「じゃあ買ってあげるよ」という感じで取引きしてくださるお客さまが大半だったのかと思います。営業職のあと、いわゆる内勤の事務職も経験しました。

 

夏の最初のボーナスで、発売されたばかりのウィンドウズ95を搭載したパソコンを買いました。インターネット接続機能が組み込まれたOSで、日本ではここからインターネットが一気に普及していきます。といっても常時接続などは夢の話で、ダイアルアップ接続で夜ごとモデムをピーヒョロ言わせて(つながるときにこういう音が出ます)ネットサーフィンを楽しみました。「日経パソコン」など、パソコン雑誌を愛読していました。これから世界は、まちがいなくインターネットが動かしていくんだ。ワクワクしながらそんなことが確信できた時代です。

 

 

 

システム開発の現場に放り込まれて

 

 

NTTで働いて2年も経っていなくて、まだキャリアの進路もちゃんと見えていなかったころなのですが、ある方に声をかけていただいて、(職場の皆さんやそれまでにお世話になった方々には大変ご迷惑をおかけしましたが)、無鉄砲にもNTTを退社し、上京することにしました。ただ、いきなり今の会社に入った訳ではなく、知人の会社にお世話になる形でアルバイト生活を1年弱ほど続けました。その後まもなくして、今の会社の元代表の方と出会います。この会社はその方がひとりで立ち上げたシステム開発の会社で、まず時給1200円のアルバイトで働きはじめます。それが今の私に直結するキャリアのスタートでした。

といってもプログラムを書いたこともありませんし、ソフトウェア開発の現場も初めての世界。最初は雑用です。調べていたIBMの資料に「IT」という言葉があって、なるほどこれからはこういう世界になるんだ、と納得したことを覚えています。1997年とは、まだそんな時代です。

 

3カ月くらい経つとあるシステム開発のプロジェクトに放り込まれました。エクセルだけはそこそこできるかな、と思っていたので、エクセルを使ってスケジュール管理をはじめ、システム開発の工程ではたくさんのドキュメンテーション(情報の記録、体系的整理)が必要ですから、主にその分野を担当しました(いまではエクセル以上に適したツールはいろいろありますが)。仕事が深夜に及ぶこともしょっちゅうで、サーバー室に泊まる、なんていうこともありました。これを繰り返すと、やがて一生懸命稼動しているサーバーの気持ちがわかるようになりました(笑)。システム開発は、設計やコーディングだけが重要ではなく、開発して実際に運用していくまでの進捗管理(プロジェクトマネジメント)が肝なんだ、と実感しました。

 

そんな経験を積みながら、3年目くらいのときに、クライアントのオフィスに入ってヘルプデスクを立ち上げる仕事を担当しました。このとき、クライアントの業務の全体を正確に理解して、どのようにコミュニケーションを取っていかなければならないのか、ということを肌で学びました。

システム開発でいちばん重要なのは、業務をする人の立場を理解すること。お客さまは何のためにどんなゴールを目指しているのか。お客さまのお客さま(一般ユーザー)は何を求めているのか。開発者とクライアントの間で、ここがぶれていては成果はあがりません。顧客の業務用語を、開発者のシステム用語に翻訳して正確に伝えることが私の仕事になりました。

28歳のとき、全国展開する企業のシステム開発と運用を受注することができました。Webブラウザーベースのシステムが先進的なものとして注目を集め始めたころです。県域ごとにサーバーを据えて、各地のオフィスの総勢1万人くらいのユーザーがPCのブラウザーで業務を行うシステムを設計して、データベースを構築しました。

全国行脚しながら、各地の出先にシステムと業務の運用方法などを説明していきます。相手は4050代の幹部の方々で、正直、IT用語を使っても話が通じません。開発者のシステム用語を顧客の業務用語に翻訳することの難しさややりがいを実感する日々でした。そして、あらゆる場面で「進捗管理(プロジェクトマネジメント)が肝なんだ!」ということをさらに学びます。開発側の事情や条件の前に、クライアントが達成したいことは何なのか? それをつねに自分に問いかけながら仕事をしていました。

 

進捗管理に使われる表をガントチャートと呼びますが、当時のそれをちょっとお見せします。縦軸にやるべきこと、横軸に時間の流れがあります。私は、「やるべきこと(タスク)」と「時間」と「人」の関係を、「空間(時空)」として俯瞰することを意識していました。そうすると、どこに歪みが生じているか、新たに必要なことは何か、関わる人たちが課題を正確に共有しているか、といったことが見えてきます。それは例えば、最初に計画したタスクだけでは足りない、このスケジュールでこの工程を収めるのは無理だ、といったことです。すべてを動かすのは、言うまでもなく「人」です。

 

 

 

「WBS」の探求

 

 

システム開発では、プロジェクト計画時に「WBSWork Breakdown Structure・作業分解構成図)」を作ります。これから始まる複雑で膨大な作業を、分解して構造化するのです。WBSは体系立てられた学問ともなっていますが、プロジェクトマネジメントの世界に留まらず、たくさんの分野で応用が利くと思うので、ここでは考え方として大枠を説明します。

キーワードは、「分解と構造化」です。つまり、例えば旅行を計画するとき、目的地を決めたら交通手段やホテル、持っていくもの、いっしょに行く人との役割分担などを決めていきますよね? 頭で考え、メモに起こすでしょう。WBSは、こういうことを体系的に整理する考え方であり、手法です。

目的(成果物や達成ゴール)を決めたら、工程の段階ごとに成果物を分解して、構造的に並べ替えて、かたまりに仕上げていきます。分解するといっても、担当者ごとにその大きさ(粒度)はちがいます。そして分解したものを階層的に構造化していきます。大きなシステムでは膨大な工程と階層がありますから、「ゴールはどこか?」、「皆が達成したいことは何なのか?」という根本の自問を繰り返すことが欠かせません。そのために必要な資源、「人、モノ、予算、情報、時間」を正確に把握することも重要です。私は仕事の現場で、特に「時間という資源」をいかに効率良く使うか、を心がけてきました。繰り返しますが、WBSはシステム開発の世界だけに役立つものではなく、あらゆることに応用が聞く、複雑な事象の正確な捉え方です。WBSについてはたくさんの書籍も出ていて、ネットでもいろいろなことが学べますから、興味を持った方は、ぜひ調べてみてください。

 

さて、WBSに書き起こし、ガントチャートもばっちりできた。これであとは工程を着実に進むだけ! となっても、現実はそんなに優しくはありません。

ガントチャートで進む時間は、現実の時間とはちがいます。WBSは、すべての要素を可視化できるわけではなく、さらには、そのつど新たな局面で起こっている変化を捉えることはできません。「目的の定義(ゴール)」に立ち帰り、リソースの増減を確認して、すべての要素がちゃんと可視化できているかを検討します。

つまりWBSは必要条件ですが、十分条件たり得ないのです。人はこの勘違いの罠にはまってしまいます。プロジェクトの空間自体を立体的にちゃんと把握しているか。見えているモノを見るのではなく、見えないモノまで見ようとしているか。そのチェックが欠かせません。時間は人間の預かり知らないところで勝手に流れるだけですから、失敗の連続の中を進みながら、試行錯誤がつづきます。

また、見えない変化と見えないモノをちゃんと見通すことができても、それが他人に正確に伝わらなければ何にもなりません。ガントチャートひとつにしても、色使いや文字の大きさなど、いかにわかりやすく、皆の動機づけを盛り上げるように魅力的に仕上げるかが問われます。つまり「見えているものを魅せる」のです。

 

プロジェクトマネジメントの仕事は、見えていないものを見つけること、とも言えるでしょう。プロジェクトにはたくさんの人が関わります。人はそれぞれ、「知っていること」が異なります。「理解力」も異なります。さらに「価値観」が異なり、各人が個人的に見すえている「ゴール」も異なります。

当たり前ですが、世界は目に見えるモノだけではできていません。氷山の一画という言葉をイメージするとわかるでしょう。海上をただよう氷山は、海面下に巨大なかたまりがあって、その体積は海上からは計り知れません。海上に浮かぶプロジェクトという氷山の海面下には、複雑な時系列がからまり、それぞれに因果関係や思い込みがあります。見えることを踏まえるのは容易ですが、見えないことを見つけていくには、観察力と洞察力を磨くしかありません。人間と物事をしっかりと見すえて、自ら進んで探しに行くのです。私はたくさんの失敗に学びながら、いまもなおそのことを強く意識しています。

こうした話はいまの皆さんにはちょっとピンとこないかもしれません。でも仕事の現場のキャリアが始まると、ああこれはあのとき聞いた話が当てはまるゾ、と思い出すと思います。

 

 

 

物事を立体的に捉えることから「SECIモデル」へ

 

 

WBSもガントチャートも、実際の経済がまわる三次元の世界の事象を二次元(モニター画面やペーパー)に変換して表現したものです。そこには、現実世界を二次元で表現する技やセンスが必要です。WBSの思考と運用には、立体的な空間と、そこを満たす時間の流れ、「時空の認知」が欠かせません。

 

私の仕事は、クライアントがやりたい業務を、システムに変換すること。別の言い方をすれば、クライアントがやりたいことをシステムで表現することにほかなりません。これが、システム開発の核心です。つまりシステム開発は奥行きのある「空間表現」なのです。

もともと建築やアートに興味があった私は、一時デッサン教室に通ってみました。モノと空間の捉え方を実際に紙に表現してみたかったのです。デッサンには、徹底した観察が欠かせません。良いデッサンを起こすために、自分が対峙する静物や現象との真剣勝負からは、得ることがたくさんありました。また、同様の興味から、華道の世界にも入ってみました。花をどの瞬間にどのように見えるように造形していくか、という課題は、物事を時空間という構図において考えることにも通じています。

こうしたことは、私が実務を通して感じてきたものですが、もっと広くさまざまなことにも通じる考え方だと思っています。

 

ここでもうひとつ、理論を上げてみます。「SECI(せき)モデル」です。

「SECIモデル」とは、経営学の野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)が提唱したナレッジ・マネジメントの基礎理論で、辞書的に説明すれば、「社員が個人的に持っている知識を全社的に共有することで、企業の力を高める手法」、と言えます。

私がこのモデルを知ったのはまだ2年ほど前のことにすぎませんが、以来、WBSともリンクさせながら学び続けています。野中先生は、日本の企業が欧米の企業に恐れを抱かせるほど絶好調だった1980年代のモノづくり(新製品開発)を研究する中で、これを理論化しました。

 

新製品開発のプロセスには、まず「開発工程が順次処理される『リレー型』」があります。Aの工程が終了すると次にB工程に進む、というオーソドックスなもの。そしてそれが洗練されていくと、「前後の工程が折り重なった『刺身型』」となります。さらに日本の製造業では、「複数の工程がオーバーラップする『スクラム型』」が実践されていて、先生はこうしたスクラム状態で行われてきた組織的な知識創造を、「SECIモデル」と名づけたのです。組織がゴールに最適に進むために大切な概念ですから、詳しくは、先生の著書にぜひふれてみてください。

 

SECIモデルでは、「暗黙知」と「形式知」がキーワードとなります。

言語化されていなくても経験や直感から導き出されるのが「暗黙知」。例えば職人の世界ですね。これに対して「形式知」とは、言葉や構造で客観的にとらえたり伝達することができる知識。マニュアルの世界です。

SECIモデルでは、暗黙知がやがて形式知に変容していって、それがまた暗黙知に転換されていくというスパイラルが鍵を握っています。

個々人の内面に得られた暗黙知から共同体での暗黙知に変化するステップが、「共同化(Socialization)」。共同化によって得た暗黙知を形式知に変換するステップを「表出化(Externalization)」といいます。表出化によって変換された形式知を、ほかの形式知と組み合わせるステップを、「連結化(Combination)」。そして表出化と連結化のプロセスを経てまとまった新たな形式知が、個人的な暗黙知へと変わっていく段階を「内面化(Internalization)」と言います。自分のものになった(内面化された)この新たな暗黙知は、やがて共同化によってほかの人に伝わり、そこからまた同じサイクルが組織の成長を実現させていくのです。

 

 

 

仕事の現在をSECIモデルから考えてみる

 

 

私は、自分の仕事をSECIモデルから考えてみました。

システム開発を行うチームには、すぐれた暗黙知が自然に共有されていく「共同化」が欠かせません。そして、共同化を自然に育むものは、「共感」だと思います。共感とは、理解とか納得の前に必要な、生きたコミュニケーションの基盤になるものです。

業務のマニュアル化は、もちろん大切です。でも多くの場合、作ることが目的化していて、出来上がって満足しちゃうのです。そもそも読み手は多様だし、作り手と読み手で共感を抱くポイントが異なります。システム開発では、立ち上げたメンバーと途中参加の人では、動機や熱量も違い、議論が噛み合わないこともあります。

さきほど触れた氷河のたとえでは、海面下にある巨大なかたまりが「共感」になります。仕事の効果(成果)は、「クオリティ」×「アクセプタンス」と考えられます。この場合クオリティとは、変革(大きな課題)への解決策。アクセプタンス(受容)とは、人々が合意して変化を受け入れ、行動を変えること。

いくらすぐれた解決策を出しても、チームやクライアントにに対するアクセプタンスがなければ、効果はゼロです。また、強い思いやこだわりは大切ですが、それが人への押しつけになってしまっては(受容されなければ)、意味がありません。

 

アクセプタンスのベースが、人が人に共感を抱ける環境や状態、「共感性」です。思い込みにとらわれることなく、相手のニーズを正確に見定めて応えていくためには、人としての挨拶や相手に示す敬意からはじまって、心の動きまでを含めた一連のプロセスが大切です。

 

ダイナミックに変化を続ける現代は、予測不能のVUCAの時代とも呼ばれます(Volatility:変動性・Uncertainty:不確実性・Complexity:複雑性・Ambiguity:曖昧性)。そんな時代にどうしたらイノベーション(新結合)を起こすことができるのか。そのためには、何が本質なのかをチームで探求することが重要です。そこでは、知識や技術の前に人間としての生き方も問われると思います。

2020年に社長に就任したとき、私はふたつのスローガンを掲げました。

「プロフェッショナルであり続けること」。そして、「一人の人間として、心を添える」。

このふたつを繋ぐのは、「技と心の掛け算」という考え方です。

プロフェッショナルには、相手のニーズを相手の立場から理解できる力が重要で、芯をもって自分の技能をしなやかに磨き続けることが求められます。

そのベースになるのは、健やかな心。とりわけ何ごとにおいても敬いの気持ちを大切することだと考えています。

「思考は言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に、習慣は価値に、価値は運命に」なります。そして思考の根底には、心、愛情があるのです。

 

 

 

私にとっての仕事とは

 

 

仕事で行き詰まっていたとき、私は乗馬と出会って、馬という動物にとても惹かれました。初心者が、馬とどうコミュニケーションを持つことができるのか。言うまでもなく、非言語のコミュニケーションですね。そのことをずいぶん考えました。クラブの先生は、馬は強く押すと跳ね返してくるし、優しくさわると寄りそってくれるよ、とおっしゃいました。やってみるとなるほどそうです。それと、どんなときも馬は決して人を踏まないのです。そのため昔から、馬の蹄鉄が交通安全の御守りになっています。また、心にダメージを受けた人のためにホースセラピーがあったり、企業のマネジメント研修で馬とふれあうといったことがあるように、高い知能とやわらかな感受性を持った馬との関わりは、私たちにたくさんのことを気づかせてくれます。

 

アルバイトの雑用からはじまったのが私の現在の会社との関わりですが、当時の先輩や上司たちから教わったことはいまも心にありますし、自分なりにそれを言語化したり、ブラッシュアップしてきました。それは例えば、

  • とにかく自分ができることを一生懸命やる。
  • 頼まれたときの第一声は「はい」。
  • 何事も行動あるのみ。
  • 心の健康を保ち続ける。
  • 好きこそものの上手なれ。

といった、シンプルなことになります。

 

頼まれたらまず「はい」と返事! これはずいぶん言われました。社内でも、もちろんお客さまに対しても。無理難題を言われても、はじめから嫌な顔をしてはビジネスは進みません。

ただ考えているだけでは仕事は動かない、ということも基本です。そして会社全体でこれは強調しているのですが、人間は健やかでなければ仕事はできません。「技と心の掛け算」という考え方にふれましたが、健康と引き換えに仕事の成果を上げても、それは仕事ではありません。さらには、馬や華道のことに触れましたが、私自身も好きなことをいろいろやってきました。仕事以外に打ち込めるものがあれば、それは仕事や人生をさらに豊かにしてくれると思います。

 

 

 

 

 

<本間 明子さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 商大時代のことをもう少し聞かせていただけますか? 部活に、学業に、どんな学生生活を送りましたか?

 

 

A 部活は、少し触れたように、アメフト部のマネージャーでした。全員の目標は、もちろん、優勝。これははっきりしていました。アメリカンフットボールは、ポジションごとに役割がはっきりと分けられているとてもシステマティックでロジカルなスポーツだと思っています。オフェンスの要となるガードとか、司令塔のクォーターバックというように。そしてマネージャーの仕事も、そのひとつでした。練習では当時の重たいビデオ機材を使って、映像を見ながら作戦ボードで全員が真剣に議論を交わします。そんな経験が、かけがえのないものとしていまは愛おしく感じます。そして就職活動から今日まで、私は部活で出会った人たちに助けられ、刺激を受けてきました。

学業では、詳細は省きますが、ソ連の末期にゴルバチョフとエリツィンの対立や指導体制について自分なりに調べて(一般にはまだインターネットのない時代ですよ)、みんなの前で発表したことをよく覚えています。またゼミ(マーケティング)では、チーム論文に取り組みました。企業ヒアリングなども重ねて、仲間たちとああでもないこうでもないと議論を交わしながら、担当の章を書きました。原稿の受け渡しは、フロッピーディスクでした。

 

 

 

<本間 明子さんへの質問>学生より

 

 

Q 物事をつねに立体的にとらえるという考え方に興味を引かれました。ふだんの暮らしからキャリアづくりまで、どんなことを意識すればそういう考え方が身につきますか?

 

 

A シンプルな答えがひとつあります。それは、ゴールのイメージをはっきりと持つこと。何ヶ月後、何年後に自分はこうなりたい、と考えます。そして、そこから逆算していまの自分の位置ややるべきことを考えるのです。これをバックキャストともいいますが、プロセスにいろいろ悩む前に、まずゴールをしっかりとイメージすれば良いのです。そうすれば考え方は平面ではなく、自ずと立体になると思います。

 

 

 

Q 例えばゲームの世界などでは、無名の会社がいきなり大ヒットを飛ばすこともあります。ケースバイケースだとは思いますが、一般的に開発の工程では、作り手の思い込みや予想は、マーケティングの目線で見るとどの程度有効だといえるのでしょうか?

 

 

A 基本的に大ヒット商品は、いろんな試行錯誤に先にあるもので、思いつきでポッと登場することはほとんどないと思います。私は、ヒットにまぐれ当りはないと考えています。企業が有名か無名か。これはあまり関係ないでしょう。重要なのは、作り手がユーザーを深く見すえて、自分たちのこだわりがたくさんの人の共感を得られるかどうか。商品の核にあるものが、人間の思いや行動をちゃんと深く考えて作られているかどうか、ではないでしょうか。

 

 

 

Q 本間さんの講義から、形にないものを作ったり、見えないものを見つける、ということを考えさせられました。ご自身には、子どものころからそうした資質や適性があったのでしょうか? あるいは部活や仕事を通して鍛えられていったのでしょうか?

 

 

A 小学校のときクラスでなにかのゲームをしていて、それがなんだか行き詰まったことがあって、私は先生に「これはこうじゃないのかな?」、などとちょっと俯瞰的に意見を言ったことを覚えています。

でもそれ以上に、仕事上の問題や悩みと格闘するうちに身についていった考え方だと思いますね。壁にぶつかってもあきらめず、少しでも良い方に進もうとねばり強くやってきた。その過程で鍛えられたものだと思います。

 

 

 

Q 私はIT業界を志望しているわけではないのですが、今日の講義は、ITのシステム開発に限らず、いろんな分野でも有効な普遍的な内容だったと感じました。これからどのような学生生活をおくれば、本間さんがもっていらっしゃる発想法や考え方が身につきますか?

 

 

A 人との出会いと繋がりを意識すること。これに尽きます。初対面の人でも、ただ漫然と会うのではなく、その人から学ぶべきことがあれば、それを自分とクロスさせてみてください。また学生時代に、やはり何か自分がやってみたいこと、好きなことを見つけると良いと思います。何でも良いのです。好きなことがひとつあれば、そこからものすごい枝葉が広がって、思いがけないような新たな出会いや学びも生まれると思います。

 

 

 

<本間 明子さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 最後に後輩たちにエールをいただけますか?

 

 

A 私自身、今回(残念ながらリモートではありますが)講義をさせていただいて、その準備の過程であらためて自分のキャリアや考え方を整理することができました。母校には感謝しかありません。皆さんの人生には、これからも大小たくさんの浮き沈みがあることでしょう。でもどんなときでも、まず自分の身近な人を大切に考えてください。そういう気持ちが、あなた自身の心と体の健やかさを育んでくれるはずです。学生生活で得られるお友だちのことを、どうぞ大切にしてください。

 

 

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