- <担当科目>
- 刑法
菅沼 真也子 准教授
SUGANUMA Mayako
犯罪の成立と行為者の心理状態――故意と錯誤
私の研究分野は刑法です。刑法とは、「どのような行為が犯罪なのか」ということと、「その行為にはどの程度の刑罰が科されるのか」ということが規定されています。刑法の中でも、私は特に故意論と錯誤論に関心をもって取り組んでいます。刑法は故意犯処罰を原則としており、法律に「過失により」と書かれている場合を除いて、必ず故意がなければなりません。それゆえ、故意があるか否かが、犯罪が成立するかしないかの分かれ目となることがあります。
たとえば、殺人は「人を殺すと分かっていて人を殺すこと」を指します。森の中の茂みがガサガサ動いたので、熊だと思って鉄砲を撃ったら、茂みの中にいたのは熊ではなく人間であった、という場合には、この行為者は「熊を殺す」という認識だったのであり、「人を殺す」という認識がないので、その鉄砲の弾に当たって人間が死亡したとしても、この行為者の行為は殺人罪には当たりません(過失致死罪)。「人を殺す」という認識を故意と呼び、「人を熊と勘違いした」という認識状況を錯誤と呼びます。「熊を人だと思った」という勘違いでは殺意は認められませんが、「Aという人だと思ったらBという人だった」という場合はどうでしょうか?「AかBか」という点に勘違いはありますが、「人である」という点には勘違いがないので、通説では殺意が認められるとされています。このように、錯誤論においては、どの程度の勘違いなら故意があったとしてよいのか、ということが議論されています。
近年の判例で故意の有無が争点となった判例としては、オレオレ詐欺の事案があります。詐欺罪が成立するためには、故意として、行為者が「自分の行為は詐欺である」という認識をもっていなければなりません。Xは、知人から「ここのマンションの〇号室に行って待機し、そこに届く宅配便を受け取って、それを箱のまま○○という場所でBという人に渡してほしい。謝礼として1万円払う。」という仕事の依頼を受けてこれを引き受け、実際にこのような行為を何回か行って謝礼も受け取りました。実際には、Xが受け取った宅配便は、オレオレ詐欺の被害者が騙されて送った物であり、中身は詐欺の被害品(現金)でした。この場合、このXには、「詐欺を行っている」「詐欺に加担している」「自分の行為は詐欺かもしれない」という認識があるといえるでしょうか?もし詐欺の故意があるといえるとしたら、それはどのような理由でしょうか?
このように、実際の判例や裁判例を通じて、いかなる認識があれば故意があるといえるのかを理論的に明らかにする、というのが、私の現在の主たる研究テーマです。
たとえば、殺人は「人を殺すと分かっていて人を殺すこと」を指します。森の中の茂みがガサガサ動いたので、熊だと思って鉄砲を撃ったら、茂みの中にいたのは熊ではなく人間であった、という場合には、この行為者は「熊を殺す」という認識だったのであり、「人を殺す」という認識がないので、その鉄砲の弾に当たって人間が死亡したとしても、この行為者の行為は殺人罪には当たりません(過失致死罪)。「人を殺す」という認識を故意と呼び、「人を熊と勘違いした」という認識状況を錯誤と呼びます。「熊を人だと思った」という勘違いでは殺意は認められませんが、「Aという人だと思ったらBという人だった」という場合はどうでしょうか?「AかBか」という点に勘違いはありますが、「人である」という点には勘違いがないので、通説では殺意が認められるとされています。このように、錯誤論においては、どの程度の勘違いなら故意があったとしてよいのか、ということが議論されています。
近年の判例で故意の有無が争点となった判例としては、オレオレ詐欺の事案があります。詐欺罪が成立するためには、故意として、行為者が「自分の行為は詐欺である」という認識をもっていなければなりません。Xは、知人から「ここのマンションの〇号室に行って待機し、そこに届く宅配便を受け取って、それを箱のまま○○という場所でBという人に渡してほしい。謝礼として1万円払う。」という仕事の依頼を受けてこれを引き受け、実際にこのような行為を何回か行って謝礼も受け取りました。実際には、Xが受け取った宅配便は、オレオレ詐欺の被害者が騙されて送った物であり、中身は詐欺の被害品(現金)でした。この場合、このXには、「詐欺を行っている」「詐欺に加担している」「自分の行為は詐欺かもしれない」という認識があるといえるでしょうか?もし詐欺の故意があるといえるとしたら、それはどのような理由でしょうか?
このように、実際の判例や裁判例を通じて、いかなる認識があれば故意があるといえるのかを理論的に明らかにする、というのが、私の現在の主たる研究テーマです。

刑法と人権・自由
私が刑法に興味を持ったのは、大学2年生のときに履修した刑法総論の講義がきっかけでした。その講義が面白かったので3年生のゼミでも刑法ゼミを選択し、もっと勉強したいという気持ちで大学院に進学して恩師に師事し、今に至ります。
刑法の細かい内容は国によって異なりますが、大きく2つの系統に分けることができます。大陸法系と英米法系です。刑法については大陸法系を採用している日本では、犯罪と刑罰はあらかじめ法律によって定められていなければならない、という理論が基礎にあります。これを「罪刑法定主義」といいます。
もし法律に定められていない行為でも犯罪として処罰されるとしたら、どうでしょうか?私たちが何か行動しようとするときに、常に「この行為は犯罪として処罰されるかもしれない」という考えが頭をよぎり、「犯罪になるかもしれないからできない」という結論になってしまいます。中世の時代はこれが許されていました。市民は、時の為政者がいつ自分のことを犯罪者として訴追してくるかわからず、自由な行動が制限されていました。このような理不尽な自由の制限、理不尽な刑罰の付与という過度の人権侵害に怒った市民たちが立ち上がって達成されたのが、フランス革命です。罪刑法定主義というのは、フランス革命によって市民が勝ち取った原理であり、近代の刑法において最も根幹となる重要な原理です。あらかじめ「犯罪」として定められている行為以外の行為は、犯罪として処罰されることは絶対にない、という原理があることによって、私たちは日常生活において自由に行動することができます。人権や自由というのは憲法でよく登場する理念ですが、刑法とも深いつながりがあるのです。
刑法の細かい内容は国によって異なりますが、大きく2つの系統に分けることができます。大陸法系と英米法系です。刑法については大陸法系を採用している日本では、犯罪と刑罰はあらかじめ法律によって定められていなければならない、という理論が基礎にあります。これを「罪刑法定主義」といいます。
もし法律に定められていない行為でも犯罪として処罰されるとしたら、どうでしょうか?私たちが何か行動しようとするときに、常に「この行為は犯罪として処罰されるかもしれない」という考えが頭をよぎり、「犯罪になるかもしれないからできない」という結論になってしまいます。中世の時代はこれが許されていました。市民は、時の為政者がいつ自分のことを犯罪者として訴追してくるかわからず、自由な行動が制限されていました。このような理不尽な自由の制限、理不尽な刑罰の付与という過度の人権侵害に怒った市民たちが立ち上がって達成されたのが、フランス革命です。罪刑法定主義というのは、フランス革命によって市民が勝ち取った原理であり、近代の刑法において最も根幹となる重要な原理です。あらかじめ「犯罪」として定められている行為以外の行為は、犯罪として処罰されることは絶対にない、という原理があることによって、私たちは日常生活において自由に行動することができます。人権や自由というのは憲法でよく登場する理念ですが、刑法とも深いつながりがあるのです。
ドイツでの研究
日本の刑法は明治40年にドイツ刑法を参考にして条文が作られました。なので、刑法学者のほとんどがドイツ刑法との比較法研究をしています。ドイツ語を勉強してドイツの論文を読むというのは、刑法学者としての私のライフワークでもあります。2024年秋~2025年秋の1年間は、ドイツ・ハンブルクに留学し、現地でドイツ刑法を学びました。学んだといっても身分は客員研究員なので、大学生のように講義を受講するのではなく、ドイツの刑法学者や刑法を専攻する大学院生と交流したり、ドイツ人やドイツ社会での物事の考え方と実際に接したり、研究報告をして意見交換をする、というのが主な目的です。街の雰囲気や治安状況を自ら体験することによって、理論刑法学や判例に表れている事実に対する理解を深めることもできます。幸い、人とのめぐり逢いに恵まれ、非常に面倒見のいい教授のところでお世話になり、何人かの研究者と知り合う機会を作っていただき、その教授の下で研究する大学院生たちとも親密に交流することができました。今回のドイツでの研究での成果やご縁を今後の自分の研究生活に生かせるよう、引き続き研鑽していきたいと思います。
ゼミでの討論
菅沼ゼミでは、検察と弁護に分かれて、実際の判例をベースにした事案についてそれぞれの見解を主張し、どちらの主張が妥当と思ったか傍聴者が投票する、という形式で討論を行っています。ゼミの雰囲気は学年ごとにかなり色合いが異なる印象ですが、ゼミの時間以外での予習・各チームの立論の相談・レジュメの作成など、授業時間外にかなり勉強しないとついていけない(勝てない)ので、どの学生も時間をかけて真剣に取り組んでくれています。
刑法の知識を深めることそれ自体は、将来の仕事や資格試験のために直接的に役に立つわけではありませんが、自分たちの主張がなぜ正当なのかを理解してもらわないと票が入らないので、傍聴者に向けて、理論的整合性があり説得力のある主張をしなければなりません。検察・弁護討論を通じて、文章(事例)を正確に理解する能力、人が理解しやすい文章を書く能力、与えられた問題を解決する能力、周囲を納得させ、自分の考えを適切に伝えることができる能力等を獲得することが本ゼミでの目標であり、2年間本ゼミで勉強した学生はこれらの能力を身につけることができているように感じます。
刑法の知識を深めることそれ自体は、将来の仕事や資格試験のために直接的に役に立つわけではありませんが、自分たちの主張がなぜ正当なのかを理解してもらわないと票が入らないので、傍聴者に向けて、理論的整合性があり説得力のある主張をしなければなりません。検察・弁護討論を通じて、文章(事例)を正確に理解する能力、人が理解しやすい文章を書く能力、与えられた問題を解決する能力、周囲を納得させ、自分の考えを適切に伝えることができる能力等を獲得することが本ゼミでの目標であり、2年間本ゼミで勉強した学生はこれらの能力を身につけることができているように感じます。
小樽の街と大学
私は東京出身で、商大に着任して初めて出身地以外の街に引っ越しました。小樽は住みやすく、おいしいものも多くて、とても気に入っています。海と山に囲まれていて、夏は過ごしやすく冬はパウダースノーが降り積もる、豊かで美しい街ですよね。また、国内外から多くの観光客が訪れる人気の観光地であり、この街で働いている外国人も多く見かけるので、国際的な街でもあると感じています。小樽商科大学は、規模は大きくはありませんが、このような地の利に恵まれた素晴らしい環境の中で学問を修めることができる大学だと思います。大学から海が見える、そんなキャンパスはそうたくさんはありません。
法学のみならずどんな学問も、「それは正しいのか?」「これはどういう意味を持つのか?」と疑問を持つことから研究が始まります。私の研究も、「故意とは何なのか?」という疑問からスタートしています。このような疑問は、何かに真剣に取り組んだ結果として生じるものです。大学で勉強することは、知識を増やすだけでなく、学問に真剣に取り組み、自分が何を知らないかを把握し、そして自分が何を知りたいかを見つける作業でもあります。小樽商科大学でみなさんが多くの知識を身につけ、自分なりの疑問を見つけられるよう、私たち教員がしっかりサポートします。
法学のみならずどんな学問も、「それは正しいのか?」「これはどういう意味を持つのか?」と疑問を持つことから研究が始まります。私の研究も、「故意とは何なのか?」という疑問からスタートしています。このような疑問は、何かに真剣に取り組んだ結果として生じるものです。大学で勉強することは、知識を増やすだけでなく、学問に真剣に取り組み、自分が何を知らないかを把握し、そして自分が何を知りたいかを見つける作業でもあります。小樽商科大学でみなさんが多くの知識を身につけ、自分なりの疑問を見つけられるよう、私たち教員がしっかりサポートします。

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