2025.12.24
令和7年度第12回講義:平井 智博さん(S62卒)「税理士試験にチャレンジしてみませんか?」
講義概要(12月24日)
○講師:平井智博氏(1987年小樽商科大学商学部商学科卒業/榮光税理士法人代表社員)
○題目:「税理士試験にチャレンジしてみませんか?」
○内容:サッカーに明け暮れていた私の商大生活だったが、山本眞樹夫先生の会計学のゼミに入ることで、税理士への道を見すえることができた。時代は日本経済に勢いがあった1980年代終盤だったが、私は先輩のアドバイスもあり、あえて就職をせずに税理士試験の勉強に打ち込むことにした。そして商大卒業の翌年に資格を取得することができた。税理士をめざした私の考えや税理士の仕事について解説しながら、後輩たちの将来へ何らかの示唆を与えてみたい。
自分の裁量でキャリアを重ねていく、税理士という生き方
平井智博氏(1987年小樽商科大学商学部商学科卒業/榮光税理士法人代表社員)

税理士の仕事とは
1987(昭和62)年卒業の平井です。
在学中はサッカー部で、一生懸命勉強に励んだというよりも、大いに大学生活を楽しんだ、という記憶の方が強く残っています。私は卒業の翌年に税理士資格を取得して、以来ずっと税理士を仕事にしているので、そうした経験を皆さんにお話ししたいと思います。
皆さん1年生、2年生が多いですね。税理士や会計士を目指している方はいらっしゃいますか?(数名挙手)。
ありがとうございます。目指している方はもとより、そうではない方にとっても、私のお話が自分の進路選択のなにかの参考になれば良い、と思っています。
まず税理士は何をしているのか。皆さんまだあまりわからないのではないかと思います。
ひと言で言うと、「申告納税方式を採用している税金について、税務相談に乗ったり申告書を作成したり、税務調査で代理人として納税者をサポートする」、といった仕事です。申告納税方式の税金とは、所得税や法人税など、納税者が自ら税額を計算して申告・納付する税金です。
もっと具体的に職場で何をしているか。
朝8時過ぎに事務所に入って、まずパソコンを立ち上げます。いろんな相談事がメールで飛び交ってくるのでそれをチェックして、必要なものは返信します。いま言った目的に沿って、複雑な案件であれば、こういう資料をいただけませんか、などと折り返したり、電話でやりとりをします。税務相談は、こういう日常のやりとりの積み重ねです。
会社では必ず年に一度決算という事務があります。一般には3月決算が一番多いのですが、その決算のときにクライアント企業を訪問して帳簿を確認したり、納税額を下げられるような特例がないのかなどを確認しながら、適正な会計処理がなされていることを確かめて税務署への申告書を作成します。
また、国税局の税務調査が3年とか5年おきにあります。その際、国税当局からの指摘に対して納税者の代理人として税務申告書類が適正であることを説明する仕事があります。私たちの仕事は、ミスなく正確に結果を出すことが当たり前です。間違ってしまうと大変なことになります。その意味で、厳しい仕事だと言えるでしょう。さらに経済の状況や時代の政策に合わせて、税制には毎年細かな改定があります。そうした動向にキャッチアップしていくことも欠かせません。
商大時代の学び
商大時代のことを少しお話しします。
学生時代の私は、「税理士の主な仕事は企業ために帳簿を作成してあげることだ」と思っていました。しかしいま私たちの税理士法人では、その種の仕事は一切ありません。
1980年代の学生生活は、おそらくいまとはかなり違うと思います。私たちの時代は、あまり授業に出なくても試験でそこそこの点数を取れば単位がもらえました。人気のある先生は、
学生が飽きないように最初の10分くらいは面白くつかみの話をしてから授業に入り、最後は少し早めに切り上げる、というスタイルです。そんな「古き良き」時代に私は、毎日サッカー部の練習に明け暮れていました。
自分の将来に直結する勉強について、しっかりとした記憶があるのは、3年生になってゼミに所属するようになってからです。それまでは、試験前に友だちの下宿にみんなで集まって模範答案を一生懸命暗記するような勉強しかしていませんでした。せっかく授業料を納めて学びの機会を得ているわけですから、実にもったいないことをしたと、いまは反省するばかりです。とはいえサッカー部の先輩後輩たちとの出会いは、現在までつづく付き合いを生んで、OB会などでずっと親交をあたためています。これは勉強の世界を超えて、自分にとって人生を豊かにしてくれるかけがえのない財産となっています。皆さんも、そんな人との繫がりの始まりになる場として、学生生活を考えてみてください。
私が税理士になろうと思い立ったのは、3年生になって山本眞樹夫先生のゼミに入ったことがきっかけです。山本先生は会計学がご専門で、のちに第9代の学長も務められました。
私は山本ゼミの2期生で、一期上の先輩に40代後半の方がいました。会計事務所に勤めながら、短大から編入した方でしたが、クレスタという、トヨタの当時の高級車で商大に通っていたのです。会計事務所って良い給料や賞与が出るんだな、と思ったことを覚えています。私は、なるほど会計の世界の仕事は面白そうだ、と考えました。
それと、私の父親は警察官だったので、転勤がたくさんありました。私は小学校時代に4回転校しています。ですから自分は転勤のない仕事に就きたいな、と考えていました。当時、あるいは今もそうだと思いますが、転勤がいやだから札幌市役所を受ける、という就活生が一定数いましたが、私も理屈としてはそうなります。私は、卒業後は転勤のない税理士か公認会計士のどちらかの資格を取って地元の札幌にいようと決意したわけです。
とはいえそのころの私は、先にふれたように、税理士や会計士が実際にどんな仕事をしているかについては、ほとんど分かっていませんでした。税理士であれば「会社の帳簿を付ける仕事」。そして公認会計士は、「会社法で定める、資本金5億円以上か負債200億円以上の会社は監査を受けなければならない、という決まりに基づいて監査をする仕事」、という辞書の定義程度です。北海道には監査を受ける会社(被監査会社)はどのくらいあるかも知りません。ただ、マーケットとして考えれば、公認会計士が顧客とする会社よりも税理士の顧客の方が多いだろうと思いました。
私は税理士試験にチャレンジしようと決めました。
進学も就職もせずに税理士をめざすことを決断
税理士になろうと思って、まず何をしたか。
サッカー部の活動は4年生で引退するまで普通に続け、試合にも出ていましたが、それ以外では目的を絞りました。ゼミでは財務諸表論を輪読しましたが、加えて簿記学や会計学、監査論、原価計算、経営分析など、税理士の仕事に関係ありそうな科目は絶対「優」を取ってやるぞと思って、一生懸命勉強しました(当時は「優」が最高評価)。そしてその他の科目は、とりあえず単位がいただければ良いと割り切って、一夜漬けのような勉強を繰り返したわけです。
先輩たちからは、4年生に単位を残すと卒業が大変になるから、理想としては3年生で全部取っておいた方が良いぞ、という話を聞いていました。そこで私は3年生で必要な単位をすべて取って、4年生では税理士試験の勉強に集中しようと決めました。
税理士試験は毎年8月の頭にありますが、私は4年生で受けて、必須科目のひとつである簿記論にまず合格することができました(全部で5科目必要)。
先ほど話したゼミの先輩に、「平井君、これから税理士の仕事は間違いなく良い仕事になる。でも試験は難しいから、就職しないで受験に専念した方が良いと思うよ」、と言われます。私はなるほど、と思いました。親には、「卒業はするけど就職せずに税理士試験を目指したい。良いですか?」、と相談しました。両親はまあしょうがないね、がんばりなさい、と言ってくれました。
一方で山本先生に相談すると、「もし受からなかったときのために、大学院に行った方が良いのではないか」、とおっしゃいました。そして大学院修了だと科目免除があります。その選択肢は考えていませんでした。大学院生の生活はどのようなものかと先生に聞いたところ、週4コマしか授業を受けなくて良いが、授業のためにみっしり予習をしなければならない、とおっしゃいます。小樽商大の大学院は院生の人数が少ないので、ほぼマンツーマンで指導を受けるから楽ではないのです。
私は先生に、「科目免除は魅力だけれど、それがなくてもちゃんと受かるようにがんばります」、と言って、4年の秋から大原簿記学校に通うことにしたのでした。私にはヘンな自信があったのです。
簿記学校では、財務諸表論と法人税法、そして相続税法。この3つの講座を受講しました。自分でもかなり勉強したと思います。そして卒業した年の夏の税理士試験でこの3科目を受験して、すべて合格することができました。4月から就職して、働きながら勉強していたら、この結果は得られなかったと思います。
いま札幌の大原簿記学校では生の授業をほとんどしていませんが(東京の人気講師による配信授業が中心)、当時は各科目に生の授業をする先生がいて、私は毎日昼間の講座を中心に受けていました。学友にはいろんな人たちがいました。例えば、親が税理士事務所をやっているので、後継ぎとしてなんとしても受からなきゃならない、という方。また、ふつうのサラリーマンだったのだが、看護師の奥さんに家計を支えてもらって、どうしても税理士になりたいと通っている人。専業主婦だけれど手に職をつけようと税理士試験に挑戦している方。そういう人たちは私と同じで一日8時間から10時間は学校にいて、授業の時間以外は自習していました。
夜は夜で、サラリーマンの方がたくさん来ていました。昼間は仕事しているわけです。税理士試験は、ほんとうにいろんな人が受験します。私はそういう環境でたくさんの刺激をもらいましたが、我々のように仕事をしないで勉強だけしている人は、昼間働いている人に比べれば勉強にかけられる時間には雲泥の差があります。その分、合格する確率も格段に違います。私は、先輩のアドバイスを受け入れて就職しないで挑戦したことが正解だったな、と思いました。
とはいえ、皆さんに私と同じようにやったらいかがですか、と言うつもりは全くありません。ふつうにまず就職をして、どこかに勤めながら税理士をめざすことも良いと思います。
またちなみに、商大の学友たちの就職はどのようなものだったかに触れておくと、1980年代終盤ですから、当時の日本経済は活気にあふれていました。大手銀行をはじめ、一流企業にどんどん就職していったのです。しかしあとで振り返れば、銀行に行った連中のほとんどは、10年くらいで転職していました。バブル経済が崩壊して、とりわけ金融は冬の時代を迎えたのです。実は私も大手銀行に就職した先輩から、就活生を集めた飲み会をやるから来てくれ、と言われたことがあります。行ってしまったら逃げられなくなると思って、行きませんでした(笑)。

官法合格を目指して
税理士試験では、会計科目2科目と税法科目3科目、これに全部受かると合格になります。これらはいっぺんに受ける必要はありません。科目ごとに合格を重ねて、5科目が揃ったとき、国の「官報」に名前が載るので、これを官報合格といいます。
私は卒業の翌年の試験で最後の5つ目の科目として、所得税法の試験を受けることにしました。
一科目の勉強に一年間かけるのは時間的な余裕がありますから、私は司法書士の勉強もしてみようと思い、札幌駅前のビルにあるLEC東京リーガルマインドという学校にも通い始めます。
なぜ司法書士に興味を引かれたのか—。
税理士の仕事は1月から6月ぐらいまでが結構忙しくて、夏場は暇なんだろうな、と思いました。一方で北海道の不動産は、冬場はあまり動かなくて夏に動きます。私は、税理士業務が暇なときに、不動産売買に伴う登記を担う司法書士の仕事ができれば良いと思い、がぜん勉強してみたくなったのです。
しかし実は私は商大では、法律の科目を受けていませんでした。司法書士の試験には当然、民法や刑法、商法、不動産登記法、会社法、民事訴訟法などさまざまな法律の勉強が不可欠ですから、とても難しかったのです。思い返せば、商大の教養の時代に法学概論さえ受けていませんでした。そういうものを少しでも勉強しておけばよかったな、と痛感しました。
結果、司法書士の試験の合格はかないませんでした。でも得たものは少なくありませんでした。
私は常々思うのですが、社会で仕事をすると、人と人との繫がりの重要性を実感します。東京リーガルマインドで共に学んだ学友たちにはその後、司法書士や弁護士になった人たちがたくさんいます。彼らとは受験が終わったあとでも、お酒を飲んだりキャンプで遊んだり、いろんな付き合いがありました。中にはいまでも困ったときに相談にのってくれる人もいます。司法書士にはなれませんでしたが、そこをめざして学んだことは、私の大切な財産になっています。
そして本命である税理士試験は、最後の所得税法の試験に合格して、無事に官報合格(5科目合格)できました。それは商大を卒業した翌年(1988年)のことでした。
税理士試験の概要
税理士試験に受かった人はそのあと税理士事務所などで2年以上の実務経験を積んでから日本税理士会連合会に登録申請をして、登録後に税理士として仕事ができることになります。
私は縁があって、いまに続く事務所で実務経験をつけることになります。
そこは池田昇一税理士事務所(のちに徳田勲税理士事務所を経て現在の榮光税理士法人に)といいますが、国税出身の池田先生は昭和4(1929)年に小樽高商を卒業した大先輩でした。会計士も大勢いて、先進的な運営をしている事務所だったのです。会計士といっしょにたくさん仕事をしたことが、のちに私の財産になっていきます。
簿記を勉強し始めてからで数えると、実質3年ぐらいで税理士試験に合格できたのは、とても短期間ですんだ方だと言えます。これは、先輩から就職しないで免許に集中した方が良い、と言われたことがきっかけで、たまたまそういう環境というか境遇に出会ったからでした。仕事をしながらでは、やはり短期合格は難しいでしょう。
個人の能力としては、私は商大生ならがんばればみんな合格できると思います。問題は、勉強する時間をどの程度作れるか。税理士試験を受けてみようかなと思っている人、これから思うかもしれない人のために、税理士試験の概要にふれておきましょう。
先にふれたように、科目は5科目。会計学に属する科目(簿記論及び財務諸表論)の2科目と、税法に属する科目(所得税法、法人税法、相続税法、消費税法又は酒税法、国税徴収法、住民税又は事業税、固定資産税)のうち、3科目を選択します。ただしこのうち、所得税法か法人税法は必ず選択しなければなりません。税理士試験は科目合格制なので、一度に5科目を受験する必要はなくて、1科目ずつ受験してもよいことになっています。これも特徴です。
また、受験資格があります。私の時代は、大学2年までの教養課程で社会科学系の科目を取っている人が、全科目を受験することができました。しかし税理士試験も年々受験者が減ってきていて、近年は会計科目については受験資格をなくして誰でも受らけれるようになりました。結果、受験者が増えています。
税法科目については、従来通り大学3年生以上で、社会科学に属する科目をひとつ以上取っていれば受験できます。
ではもし大学に行ってない人の場合はどうなるでしょう。かつては、日商簿記の一級か全経簿記の一級に受かっていないと受験できませんでした。ですから大学生はすごく優遇されていたわけです。日商一級に受かる人はおそらく簿記論はすぐ受かるでしょう。
いまは会計科目は誰でも受けられるので、来年から皆さんやってみてはいいかがでしょうか。
令和7年度(2015年)の合格者から分析する受験科目
今年令和7年度の税理士試験の結果表をご覧いただいています。
大きく学歴別と年齢別に分けられていますが、年齢を問わない学歴別は大学卒が一番で、25,893人受けていて、そのうち5科目到達者は420人、一部科目合格者は4,957人。大学在学中も2,811人いますが、そのうち5科目到達者数はわずか9人。一部科目合格者は887人。
年齢別の数字を私流に解説します。
まず20歳以下が1,742名受験していて、一部科目合格が615人います。35%くらい。これはおそらく商業高校の人たちが多いと思います。札幌でいえば東商業とか啓北商業など商業系の科がある高校の優秀な生徒たちの中には簿記一級の合格者もいますから、そういう人たちが受けるとかなりの確率で合格すると思います。
21〜25歳の項目に入る人は、大学生とか卒業してすぐの人でしょう。6,752人受けて、科目合格者が1,921人。28%くらいが一部科目合格を手にしています。
20歳以下からはじまって5歳刻みで分けられている年齢別の統計ですが、41歳以上はひとくくりになっています。年齢とともに人間の頭はだんだん固くなっていって新しいことを学んでいくのは大変になってくるものです。41歳以上の受験者は11,632人いますが、一部科目合格者でも1,159人と、10%に届きません。
税理士試験は5科目合格するまでに何年かけても良いのですが、やはり比較的若い、頭の柔らかなうちに取り組んだ方が受かりやすいことが見て取れます。
科目別の合格率データを見てみましょう。
5年分を並べてみましたが、今年の合格率で特筆されるべきは、財務諸表論の合格率です。これが31.9%。もう誰でも受かるのじゃないのか、というレベルです。ちょっと言い過ぎに聞こえるかもしれませんが、実は税理士試験には、大した勉強もしていないけれどとりあえず参加することに意義がある、というオリンピック精神みたいなもので受験する人が半分ぐらいいるのです。それを考慮すると、こんな感想を持ちます。
財務諸表論は必修科目でもあるし、ここからまず受けてみようと考えている人がいるかもしれません。ところがこういう高い合格率が出た翌年の試験問題は一転して難しくなると思います。実は6年度の試験で財務諸表論の合格率は、わずか8%でした。これはまた低すぎるレベルで、その反動で今年は問題がかなりやさしくなったのだと思われます。
簿記論を見ると、去年の合格率17.4%に対して、今年は11.1%とかなり下がっています。ですから来年の問題は逆に少し易しくなるような気がします。
所得税法と法人税法は必須科目なのでかなりボリュームもありますから勉強するのは大変なのですが、どちらかを取らなければなりません。いまの受験者はたぶん法人税法が多いのではないかと思いますが、ふたつの合格率は同じようなものですね。
以下、いまは消費税法は知らないと仕事ができないような世の中ですが、消費税法の合格率は例年10%強くらいですね。そして特に東京などでしばしば求められるのが相続税に関する業務で、勉強する需要も高いのですが、相続税法の合格率は13.8%くらいで、比較的受けやすい科目ではあるでしょう。総論として整理すれば、実務的には法人税法、所得税法、相続税法、消費税法は必須の科目となります。

世代や男女別で見る税理士業界
次に、税理士業界とはどんな世界かについてお話します。
官報合格をしてから2年間実務経験を積んで、税理士登録を行うことで税理士の仕事をすることができます。そして税理士登録をした人は必ず税理士会に所属しなければなりません。
私が税理士登録をした年(1990年)の翌年(1991年平成3年)の資料を見ていただいていますが、私が所属する札幌西支部で20代はわずか2名で、うちひとりが27歳の私でした。札幌にはほかに中、北、南及び東の支部がありますが、市内5つの支部の税理士の中で20代が占める構成比は0.69%にすぎません。札幌以外の道内各都市においても同様で、1%にも満たないのです。これはなぜかと言うと、そもそも私のように就職しないで最初から税理士になろうと行動する人は、とても少ないからです。
私の同期で税理士になった人は4人いました。
そのうち私ともうひとりはいっしょに大原簿記学校で学びましたが、彼は父親が経営していた税理士事務所の後継ぎだったので、必死に勉強していました。一方で私は、転勤がある仕事はいやだから、などという理由で就職せずに税理士試験一本で学んでいたので、境遇はちがいます。
やはり一般には就職をした上で税理士をめざす20代がたくさんいることになります。だから30代、40代になると税理士登録者の数も増えてくるのですが、さっきの合格率からいくと、20代の税理士がもっといっぱいいてもいいはずですが、そうではない。やはり最初から真剣に税理士を目指すこと一本でやっている人は少ないのだな、とあらためて思います。
令和7年(2025年)の税理士会会報に載っている7月1日現在の数字ですが、20代で登録している人は全道で7人しかいません。やはり35年前と同じような世界です。私どもの事務所には、おじいさんの代からの税理士事務所を親父さんと長兄が経営している、という税理士がいます。彼はその次男坊であるのですが、やはり税理士として働く人生を選びました。兄がいるので跡継ぎを求められたわけではないけれども税理士になって、私どもの法人に就職したのです。中央区に居を構えて立派に生活しているわけですが、祖父や父の生き方や収入などを見て育って、自分の進路を決めたのだと思います。
私の商大同期の合格者数385名中、女子は66人でした。その前年では、385人中女子は44人しかいなくて、我々の時に1.5倍になったわけです。
いまの小樽商大では女子学生の比率が4割くらいであると聞きました。いろんな分野に女性の活躍が広がっていることがわかりますが、先ほどあげた1991(平成3)年の数字では女性税理士の数は全道で43人でした。それがいま208名にまで増えています。
全体とすれば、会員の平均年齢は昔から60歳ちょっとぐらいだったのですが、2025(令和7)年では62.2歳です。会員数は、1991(平成3)年に1750名だったのが1866名と、100名以上増えています。
税理士の収入は?
税理士法人に務める税理士の給料はどのくらいでしょうか?
就職しないで試験一本にかけた方が良いと私にアドバイスしてくれたゼミの先輩(カッコ良いクレスタに乗っていた社会人)が、当時言っていたことがあります。それは、冬のボーナスは190万円だったよ、というものでした。いまの時代であってもすごい額ですね。おそらくそのころ軽自動車が40万円くらい。彼の愛車のクレスタは200万円くらいじゃなかったかと思います。ですからいまのイメージでいうと、冬のボーナスが300万円とか400万円だった、ということになるとでしょう。
現在の税理士の平均年収について、ネットの情報などから少し調べてみました。精度はやや微妙ですが、目安にはなると思います。
まず東京で、従業員数が数百から千人を超えるような監査法人系の税理士法人があります(税理士の数は未公表が多い)。高度なコンサルティング業務をこなす、PwC税理士法人、デロイトトーマツ税理士法人、EY税理士法人、KPMG税理士法人などです(ちなみにこの4つはBig4と位置づけられます)。これらは平均年齢のデータは出ていないのですが、平均年収はだいたい700万円中盤から後半であると出ています。
ちなみに私が代表を務める榮光税理士法人には5名の税理士がいて、プラス総務の女性が2名、そして試験に合格して実務を経験中の職員が1名です。平均年齢は41.1歳で、全体の年収をならすと755万円くらいでした。業界の中でも、まあまあのポジションにあるかな、と思っています。
次にこのBig4に続く位置づけで、従業員数の多い税理士法人があります。例えば東京の辻・本郷税理士法人は2200人以上いますが(うち税理士・会計士が340名以上)、平均年齢や平均年収はよくわかりませんでした。
また一方で、よく知られたいくつかの大企業の平均年齢と平均年収を有価証券報告書から拾ってみると、三菱商事の従業員の平均年齢は42.4歳で、平均年収が2,033万円です。
みずほフィナンシャルグループでは41.8歳で1,117万円。三井不動産は42.4歳で1,756万円となっています。職種やその他で違いがあるでしょうから、この年齢の人がみな等しくこの給料を得ているわけではないと思いますが、さすがに高給ですね。
北海道の企業ではどうかと見ると、北洋銀行では43.2歳で693万円。北海道電力は41.5歳で794万円。ニトリホールディングスは39.6歳で781万円です。北海道でも上場企業はやはり一定の高給が約束されているわけです。
小樽商大の学生は、しかるべき企業に就職できることが伝統になっています。おそらくはこつこつ勉強して税理士試験に挑戦しなくても、がんばればバラ色の生活が待っていることでしょう。かなり強い気持ちをもって税理士試験を受けたいと思う人は別ですが、ふつうに学んでいわゆる一流企業に就職できるのであれば、それはそれでお勧めしたい進路ではないか、と思います。
一方でしかしながら、どんな企業に就職したとしても、こんなはずではなかった、と思う事態と直面することは誰にでもあり得ます。心を病んでしまって働けなくなる人もいるわけです。皆さんが将来もしそんな境遇に陥ったとき、あのエバーグリーン講座で税理士試験のことを言っていたな、と思い出す人がいるかもしれません。今日私が皆さんに税理士の仕事のことを語ってきたのには、最初から税理士の仕事に惹かれて興味を募らせる人のほかに、もしかしたら将来そんな事態に直面することがあったときの、何かのきっかけやヒントになれば良い、という気持ちがあります。
これまで私の事務所が人を募集するときには、いろんな方が応募してくれました。ちゃんとした会社で立派に仕事をしてきた人でも、もっと第一線の経営者と深く関わる仕事をしたいなどと考えて、これから税理士を目指す、という人も少なくありません。
いまちょうどうちに優秀な方が転職してきていますが、彼は一流大学を出て北洋銀行に務めたけれども、仕事の場をいろいろ経験するうちに、自分を活かせる仕事はほかにあるはずだ、と税理士を目指すことにしたと言います。
またこのあいだ面接に来た人は、日本のトップの大学を出たけれど就職がうまくいかず、関東のある市役所に勤めたけれども、もっと暮らしやすいまちで自分らしい仕事がしたいと、夫人の実家のある札幌に移住して税理士を目指すことにした、ということでした。
また私が大原簿記学校で学んでいたときに、ある主婦の方は、そのうち離婚しちゃうかもしれないから、女性一人で、自分の裁量で自由に生きていく力をつけたいので税理士を目指す、と言っていました。大学を卒業して就活をして社会人となっても、人生の転機は訪れるでしょう。そんなときに私の今日の話が何かのヒントになれば良いと思っています。

<平井智博さんへの質問>教員より
Q)本日の事前課題で平井さんは、国が賦課・徴収する国税と地方公共団体がそれを行う地方税をめぐって、消費税や所得税、あるいは国民健康保険税や自動車税などたくさんの税の種類を上げながら、まずそれぞれを区分してください、と問いました。そこにどんな狙いがあったのかをあらためてお聞きしたいと思います。
A)問いの中で私は40種類くらいの税金を上げました。しかしながら税理士といえどもそのすべてに精通しているわけではありません。専門的な知見は仕事に直接関わる特定のもの、つまり納税者を代理して申告書を作成する種類の税金に限られます。法人税、所得税、相続税などですね。いわゆる申告納税方式が適用されている税金です。
一方で固定資産税なんかだと市町村がその不動産の値段を値踏みして税金をかけていきます。いわゆる賦課課税方式の税金ですが、これについては我々はあまり出る幕はありません。
私には、たくさんある税金の中で税理士に関わりが深いものを調べていただければ、税理士の仕事への理解が深まるだろう、という狙いがありました。少し具体的に言うと、企業の決算をやるにあたっては、法人税と消費税の仕事は欠かせませんし、オーナー社長がご子息に事業承継したいとなると、相続税や贈与税の知識が重要です。法人とオーナー社長個人の税務を一体で考える場合には、所得税も必要な知識になってきます。
<平井智博さんへの質問>学生より
Q)税理士の仕事でたいへんなところ、あるいはやりがいを教えてください。
A)我々が作った申告書に対して税務当局が税務調査を行うことがあります。そのとき我々と国税当局の見解が割れる場合があります。比較的最近のことですが、申告した所得が4億円違う、と指摘されたことがありました。4億円も違うということは、税金が3割ぐらいですから、さらに1億2000万円税金を払わなければならない、という大変な事態です。そして過少申告と見なされればペナルティとして加算税まで課されてしまう事態になりかねません。
私たちは関連の法律をあらためて研究し直して、当局に対してそれはこういうことなのです、という答弁書を書きました。札幌の国税局で判断が付かずに国税庁に上がったのですが、ふた月以上かかって審議の結果が出ました。結果は、こちらの見解が認められ、修正は不要になりました。
お客さまの安堵は言うまでもなく、たいへん感謝されたのですが、私たち自身もドッと力が抜けるくらい胸をなでおろしました。満足感を十分に味わったと言えると思います。万一の場合に備えて私たちの世界には賠償責任保険があるのですが(損害を賠償してほしいとクライアントに求められた場合)、そうしたストレスと背中合わせの仕事もあります。
つまり税理士の仕事は、ルールをつねに厳格に当てはめさえすればいつも問題なく進行する、といった種類のものではありません。白黒がはっきりしない領域があり、そこについてさまざまなノウハウを駆使してクライアントの利益を最大化していく使命があります。ですからよく、税理士はやがてAIに取って代わられるのではないかと言われますが、その部分ではAIでは無理な仕事がたくさんあると思います。
Q)税理士に向いている資質、あるいは税理士になるために求められる資質としては、どんなことが言えますか?
A)試験に合格するだけなら小樽商大生なら全員大丈夫だと思いますが、長く携わる仕事という意味で言うと、ひとつの事柄を深く追求していくことができる人ではないか、と思います。新しいことに好奇心を募らせるような人、というか。勉強でも、教科書や参考書を読み込んで、8割くらいわかればそれで十分、という人がいるでしょう。しかしそういう人では、いま言ったような、法律を巡る解釈で議論を交わしていくといった仕事は難しいと思います。大学の勉強に例えれば、参考書を効率よく読み込んで単位のためにすばやく知識を得るか、興味を持って原典の英語文献を読み込むか、というくらいの違いがあります。
しかしながら、税理士事務所の中にはクライアントの記帳代行に力を入れているところもありますから、そういう環境であれば、パソコンの前に集中力を切らさずに長く座っていられる人が向いているかもしれません。それはまた一方で、いつかAIに取って代わられる仕事かもしれないのですが—。
Q)サッカー部でも活躍されたとのことですが、もし大学生活をもう一度できるとしたら、何をしたいですか?
A)入学間もないころ、たまたまサッカー部の人に取り囲まれて学生会館に行って昼飯をごちそうになり、逃げられなくなってなんとなくサッカー部に入りました(笑)。入ってみるととても親切な先輩たちで、この講義は単位が取りづらいからこっちが良い、などと履修に関してもいろんなアドバイスをもらいました。大学時代はやはり、仲間をたくさん作ることがとても大切だと思います。60代になると友だちが減っていくような人生になりますが、大学に戻れるのならまた友だちをたくさん作りたいと思います。
勉強の面では先ほども少し触れましたが、法律の分野はあまり勉強する機会が無かったので、基礎的なことから法律を学んでみたいな、と思います。
Q)学生時代の取り組みが、今のお仕事や生活にどんな風に役立っているか、あるいはどんな風に関わっているか、学生時代の思い出などを教えてください。
A)高尚な思い出はないのです。いまの皆さんにはとても想像できないと思いますが、当時のゼミでは、みんなタバコをぷかぷか吹かしていました。吸わない人もいたので、いまとなっては彼らが私たちの健康をかろうじて守ってくれたのかもしれません(笑)。現在の私はタバコを辞めていますが、いま、真っ白くなっていたゼミ室の風景がふとよみがえりました。
Q)会計のゼミに入って将来に目覚めた、というお話がありました。小樽商大出身の税理士に共通しているような個性はありますか?あるいは、税理士になるために商大ならではのこんなことを学べば良いのではないか、といった観点からご意見を伺いたいのですが。
A)私自身は、税務や会計をはじめ、商大で専門的なことを高度に学ぶことができたのは、とても良かったと思います。自分が得意な分野をひとつ持っていると、いろんな仕事をする上で自分の進路を開く武器になると思いますね。
ただ一方で、例えば教育大学で教員の免許を取った人でも、営業や経理について立派な仕事をしている私たちのクライアントさんもいます。キャリアを長い目で見ると、専門性の基盤にある何か、の方が重要かもしれません。
Q)商大とはまた違う大原簿記学校での学びは、どのようなものだったのでしょうか?
A)朝から晩まで勉強していた、という記憶があるのですが、人間の集中力はさすがにそんなに持ちませんね。授業以外で、教室の外でたわいのないことをおしゃべりしたりする時間も自分には大切な時間でした。そして大学とちがって、世代の違ういろんな人が同じ目的をめざして学んでいる場が魅力的でした。先に触れた、看護師の奥さんに家計を任せて自分は税理士への勉強に集中しているサラリーマンとかですね。
ただ、いまの大原簿記学校では、東京の人気講師による配信の授業が中心なので、私が通った時代とは違っています。私は、学校に行って、目的や時間と場所を共有する仲間ができたことが良かったと思います。同期の学友たちは就活をしてみんな立派な会社に就職していった中で、私は就活も就職もせずに税理士を目指していました。そんな少し不安な自分を、互いに切磋琢磨する仲間たちの存在が救ってくれたと思います。
教員より
Q)締めくくりにお聞きします。今後の税理士や会計士業界がどのように変わっていくとお考えでしょうか?
A)かなり昔の話になりますが、かつてパソコンが普及する前の時代は、オフィスコンピュータによる税務申告書を作るシステムを揃えるのに、ワンセット600万円ぐらいしていました。また、私の学生時代は、企業の会計帳簿をつける作業は手書きでした。会計事務所は設備投資をして、社会集約的に帳簿の仕事を請け負ったわけです。しかし今では、同じようなシステムは20万円くらいあればできてしまいます。
つまり、人間の仕事はそういうことではなく、考えることなんですね。AIのことにも少し触れましたが、これからは、人間にしかできないことをますます突き詰めていくことになるでしょう。手書きの時代に現代の会計の仕事がどれだけ想像できたでしょうか?皆さんも大きな視座を持って、自分の進む道をしっかり考えながら歩んでいってほしいと思います。
