2025.11.05
令和7年度第5回講義:藤田かほりさん(H27卒)「好きなことはあるけど、やりたいことが見つからない皆さんへ~自分らしい働き方~」
講義概要(11月5日)
○講師:藤田かほり氏(2015年小樽商科大学商学部経済学科卒業/株式会社プリプレス・センター取締役部長)
○題目:「好きなことはあるけど、やりたいことが見つからない皆さんへ~自分らしい働き方~」
○内容:
サークルや部活、そしてゼミやアルバイトや遊びで、私の商大時代はとても忙しく充実していた。卒業して東京の食品メーカーの営業職となり、飲食業に転職することをきっかけに、いつか自分でビジネスをと思い、コロナ禍のさなかに独立した。たくさんのことを体験で学んでいったが、やがて帰郷して父の企業に入社することになる。10年あまりでめまぐるしく変わっていった私のキャリアを通して、皆さんに学生生活や進路選択のヒントやきっかけを提供したい。
未来の楽しい自分と会うために、チャレンジしよう!
藤田かほり氏(2015年小樽商科大学商学部経済学科卒業/株式会社プリプレス・センター取締役部長)

いまの私を形作った3つのターニングポイント
今回は事前課題で、いま挑戦していることやこれからやってみたいこと、自分が何に興味を持っているかということを書きだしていただきました。まずそのことを、隣の方と話し合って共有してみてください。2分間でお願いします。どんなことでもお互い恥ずかしがらずに。ひとつ決め事として、話を聞いている側の人は、相手の目を見て笑顔でうなずいていただけたら良い、と思います。
ではどうぞ。
(学生同士の話し合い)
はい、ありがとうございます。いまお話した内容を思い出しながら、これから私の話を聞いてください。今日のお話を通して、皆さんが自分らしさとか、やりたいことを見つけるきっかけが得られれば良いと思っています。
私は1992年に札幌で生まれました。2011年に小樽商科大学商学部経済学科に入学して、15年に卒業しました。就活では、東京本社の大東カカオ(株)という会社に入りました。大正時代に創業した、チョコレート原材料を中心とした製菓材料のメーカーです。ここはすばらしいホワイト企業でした。
いきさつはこれからお話ししますが、3年弱で(株)Bonnel(ボンヌ)という、チョコレートカフェを運営する会社でマネージャーになりました。ここはブラック企業でした(笑)。
その後、かき氷専門店「ナナシノ氷菓店」を東京で開業し、2021年には(株)NEWSTANDARDを立ち上げて、複数の事業を展開しました。そして2024年の11月、札幌の印刷会社である(株)プリプレス・センターに移ります。ここは父が1980年代に創業した会社で、ゆくゆくは家業を継ぐ計画で、前職のキャリアとは全く違う道に進んだのです。現在は取締役として、印刷や観光に関わる分野で仕事をしています。
ここまでの私の人生には3つのターニングポイントがありました。
ひとつ目は、商大の2年生、二十歳のころです。2つ目は、社会人3年目、25歳。そして3つ目は、起業して3年目、31歳ころ。
この3つに共通するのは、誰から言われることもなく、自分の意志で大きな決断をしたことでした。そのときの自分が全力でやりたいことに取り組んで来たので、いまも楽しい社会人生活ができているかな、と思います。
少し具体的にお話しします。
楽しい社会人を歩んでいると言いましたが、もちろん嫌なこともあります。社会人になってから私は、たくさんいろんな人たちから心ない言葉を浴びせられてきました。
一例を書き出してみます。
「あなたの選択は99%失敗する」—。父から言われたこれが一番心に刺さりました。
ほかに、「覚悟が足りない」。「現実を見なさい」。「どうせ長続きしない」。「そんなこと、こんな時代に上手くいく訳がない」。「今の自分の実力はまぐれだから調子に乗るな」。「3年も続いていないで中途半端だ。また続かないで終わるだろうな」—。
書き出してみると、ほんとにひどいことばかりです。
皆さんに聞きます。いま、自分がやりたいことが明確に見つかっている人、手を挙げてみてください。
(「高校のときからやっていることの延長で、卒業後はその仕事をしたいと考えている」という発言)
ありがとうございます。現時点で自分がやりたいことが見えているのは、素晴らしいですね。一方で、それがまだ見つかっていない方もたくさんいらっしゃるでしょう。商大時代の私がそうでした。やりたいことがあるかないか、っていうことすらも考えたことがなかったような状態です。
大学に入ったころの私はほんとうに普通の学生で、いずれ結婚して子どもが生まれて、おばあちゃんになったら小さな畑仕事を楽しみながらカフェでもやろうか、という程度の、自分の小さな世界で好きなことをして暮らしていくのだろう、と思っていました。当時の私がいまの私を見たら、信じられないと思います。
でも商大生活をおくるうちに、いろんな経験を積みました。当時の写真とともに説明します。
入学すると、友だちをたくさん作りたいと思って、「よさこいサークル翔楽舞」に入りました。いま同様100人以上メンバーがいる大きなサークルです。6月のよさこいソーランのほか、地元の祭や施設の縁日などでも踊りました。
そして部活もやりたかったので、女子ハンドボール部に入りました。中学ではバスケット、高校ではサッカーをしていましたが、ハンドボールは初めての挑戦でした。チームスポーツが好きなのです。合間を縫って、パン屋さんとか居酒屋などでバイトもしていました。
2年生での学科選択では、商学科に落ちてしまって経済学科に入ります。マジプロで「小樽・手稲の地域間交流」のプロジェクトに参加したり、よさこいメンバー100人で参加した「小樽運河クリーンプロジェクト」などが印象に残っています。
楽しかった「小樽あんかけ焼きそば辞典」づくり
さらにゼミの方も、マーケティングを学びたくて近藤公彦ゼミを志望したのですが、落ちてしまい、江頭進ゼミに入りました。ここで取り組んだのが、小樽市民は誰でも知っているのに市外の人には意外に知られていなかった「あんかけ焼きそば」に光を当てるために、「小樽あんかけ焼きそば辞典」という辞典づくり。小樽であんかけ焼きそばを出している64店を取材しました。また福島県で開催されたB-1グランプリ(B級グルメグランプリ)にも参加しました。この活動はとても楽しくて、学生時代のターニングポイントになりました。実は商大に入ったころ、私は会計の分野に進もうと思っていたのですが(小学校のころからソロバンを習っていました)、これで進路がすっかり変わってしまいました。
女子ハンドボール部については、3年生のときに全道で優勝して、創部以来はじめて全国大会に出場することができました。それまでハンドボール部では、どんなに力のある1、2年生でも試合にはなかなか出られないという不文律がありました。でも自分たちが3年生で部を動かすようになったら、それをやめて実力主義で行こう、と決めていました。全国大会に行けたのは、そのたまものです。
部活が終わって3年生の12月からの就活では苦戦しました。でも東京で食品業界、という軸を決めていたので、そこは譲らずに、大東カカオというチョコレート原材料メーカーになんとか内定をもらいました。
1、2年生のころの私は、親が敷いてくれたレールの人生しか知りませんでした。将来のイメージには具体的なものが持てず、やがて結婚して母親になるんだろうな、というくらいのものです。心の底からやりたいということがなく、なりたい職業も特にありません。
でも江頭ゼミでの活動を通して、もともと食べることが好きだったこともあり、食の世界に興味を持ちました。おいしいものでたくさんの人たちに喜んでもらうことは楽しい、と実感できたのです。そこで食品業界を中心に行動しました。インターンのほか、求人のいろんなイベントにも参加しました。

3年待たずに転職を決意
あらためて仕事のキャリアをざっと説明します。
2015年。新卒で大東カカオ(株)に入社しました。キャリアのスタートは営業職です。働きやすいホワイト企業だったのですが、3年経たずに私は飲食事業の会社に転職することになります。
親に報告すると、大反対されました。実はそのころから、飲食ビジネスで起業することを考え始めていたのです。働きながらいろんな準備をしようと思いました。
そして起業するタイミングが来た2020年、私は飲食店を開業します。お先真っ暗のコロナ禍の中でしたが、東京の中目黒のシェアスペースを使って期間限定でカキ氷の専門店を、銀座で焼き芋スイーツ専門店を開業しました。
手応えを感じて、ほどなくしてやはり実店舗を持ちたいと思う気持ちが強くなりました。
1千万円の融資を受けたかったのですが、予定していた金融機関からはあっさりNGが出てしまいます。作戦を練り直した結果、別の金融機関が何とかしてくれて、2021年の後半に(株)NEWSTANDARDという会社を設立しました。そして四季でメニューを変えていくスイーツ専門店「ナナシノ」という店を、中目黒で開業させることができました。
それから同時に、飲食に関するコンサル事業を始めたり、焼き菓子の通信販売事業を始めたのですが、父の会社に入るために、これらを全て休業します。
これが大きな流れですが、それぞれの転機をもう少し説明します。
大東カカオ(株)は大正末に創業した、チョコレート原材料メーカーです。私はここに、初の新卒の女性営業として入りました。チョコレートの知識はもちろん、社会人としての基礎を学びながら、営業職として東京、千葉、埼玉、神奈川、茨城、群馬などの有名菓子メーカーやケーキ屋さん、パン屋さんに対して提案型の営業をしました。
2年目には200名ほどいる営業職の中で全社2位の成績となり、社長賞を受けました。でも仕事に十分慣れた3年目になると、社内の年功序列とか完全週休2日とか、日本社会の型にはまった働き方に違和感を覚えるようになります。
このまま週5日で働いて週末に休むだけの人生でいいのかな、とか、お客さんのことを思ってもっと動きたいのに、上司からストップがかかったり、納得のいかない理由で会社の方針を押しつけられたり。違和感がつのるうちに、もっと自分らしく楽しく働けるところがあるんじゃないか、という思いが強くなりました。充実した職場ではあったのですが、数年たってもいまと変わらないのであれば、という気持ちが芽生えてきました。それで、就職して2年半で転職を決意します。
でも当時は、どんな仕事でもまずは3年働けという、私から言わせれば謎の風潮がありました。転職活動をしても行きたい企業は冷たい反応ばかりで、苦戦します。
そんなとき、営業で担当していたチョコレートカフェのオーナーから、じゃあうちに来ないかと声をかけてもらいました。
実は子どものころから父から、飲食だけは儲からないから絶対にやるな、と言われ続けていました(笑)。私もそう思っていたのですが、声をかけてもらったときに、自分の中の気持ちがとてもワクワクしました。しかし給料は、前職の四分の三でした。働き始めると、休みはほとんどないような状態です。転職を決めてから札幌の両親に報告すると、人生ではじめて親から猛反対されました。父は私に、99%失敗するぞ、と言いました。とても悲しかったのですが、それは私に、なおのこと転職先でがんばる決意を強くさせました。自分にとって、このときが大きなターニングポイントでした。
飲食業で起業したい!
その決意をきっかけに、せっかく転職するんだったら、これまで会社に自分が抱いていた違和感、つまり年功序列とか、社内秩序の優先といった一般的な会社にある風潮を自分の理想とする形に変えていきたい、と考えるようになりました。そしていずれは飲食店で独立したい、と。
そして2017年、25歳でチョコレートカフェを営業する(株)Bonnel(ボンヌ)に入りました。その時点で、3年後の2020年にはそこから独立をしようと決めて、オーナーにも伝えました。働き始めると、ひどい環境でした(笑)。10時から22時という12時間労働で、休みは月に2、3日だけ。しかも給料は前職よりガクンと下がっています。
当時は東京北区の十条店と鎌倉店の2店舗があり、私は十条店のマネージャーとして、商品開発や人材育成、集客、催事などを担当しました。飲食店を営業していく上で必要なスキルが、全て実戦で習得できました。
チョコレートが載ったかき氷の写真がここにありますが、これは従業員と私とで開発した、新食感のふわふわのかき氷の上に、生チョコレートが載ったものです。開発した時にオーナーからは、「こんな見栄えの悪いものは売れるはずがない」とか、「氷の削り方がそもそも間違っている」とか、「自分勝手にやるのもいい加減にしなさい」とか、さんざんなことを言われて傷つきました。ほとんど罵声の世界です。でもお客さんの中にはこれが大好き、という方がたくさんいました。また現場のスタッフの子たちも楽しそうに働いてくれてチームワークも良かったのです。自分は休みもなくハードな毎日でしたが、不思議なくらい楽しい毎日でした。
いまとなってはこのかき氷は看板メニューのような存在になっているようです。ふわふわとした新食感のかき氷の世界を自分なりに探究できたことは、その後も活きる財産になりました。
2年くらい経った2019年、私は27歳ですが、独立の準備を具体的にスタートします。その時点で自分に足りないスキルは何か?書き出してみました。経営能力とPR力。このふたつだな、と思いました。
その中でもPRが大事だと思ったので、少ない貯金の中から100万円くらいを自己投資にまわして、休みの日にはPRが幅広く学べる塾に通いました。また仕事の前と後の空き時間にも勉強を重ねました。まだまだ学びは足りなかったのですが、計画の2020年になったので、あとは実践で学ぼうと思い、この年の3月にチョコレートカフェを退職しました。
シェアスペースを使って氷菓店開業
2020年。ご存知のように世の中はコロナ禍で塗りつぶされました。
当初は、ふわふわのかき氷専門店がまだ無かった札幌で独立したかったのですが、帰れなくなりました。ならば、と、緊急事態宣言が終わったあと、2020年の6月に東京の中目黒のシェアスペースを使って、「ナナシノ氷菓店」というかき氷専門店を半年間開業しました。「ナナシノ」という名前は、店名に悩みすぎて結局決められなかったで、「名無しの」としたのです。
「ナナシノ氷菓店」のコンセプトは、「記憶に残る最初のひと口」。出店にシェアスペースを選んだのは、いつまた緊急事態宣言が発令されてもおかしくなかったので、固定費を抑えるためです。
その後銀座で、「ナナシノ焼芋店」という焼き芋スイーツ専門店を2カ月間開きました。さらに2021年の6月から3か月間、札幌でも中島公園の近くで「ナナシノ氷菓店」を開きました。
中目黒、銀座、札幌と、それぞれシェアスペースを利用した期間限定の営業です。皆さんの中に飲食店をやってみたい、と思う方もいるでしょう。いきなり実店舗を構えるのはハードルが高いですが、期間限定でシェアスペースでまずやってみる、という手があることを知っておいてください。
シェアスペースでは、自分のペースで自由に働くことができます。飲食店=ブラック職場、というイメージをなんとか変えていきたいと思っていた私にはぴったりの環境で、当時は珍しかったのですが営業は週3〜4日に絞って、なんとか売上げを維持していました。
当時はコロナ禍で多くの飲食店が休業や閉店を余儀なくされていた状態です。その中で新しいスイーツを提供する飲食店ということで、いろいろなメディアにとりあげてもらいました。テレビでも、TBSの「王様のブランチ」やフジテレビの「めざましテレビ」などに大きく紹介していただけました。メディアでの露出については、経営塾でPR戦術を学んだことが活きました。
シェアスペースで1年ほど営業していたころ。常連さんもずいぶん生まれていました。そういう方々から、行きたいときに行けるようなひとつの場所でお店をやってほしい、という声も多くいただくようになります。融通の利くシェアスペースは私にとってはとても便利だったのですが、来ていただくお客様に応えていくことがやりがいだったので、自分のお店を持とう、と決断しました。
シェアスペースで開業するとき、私にはビジョンがありました。それは、いつか将来、ひとつの場所で毎日変わる食の専門店をやってみたい、ということ。それを実現するため、まずは中目黒で三か月に一度、季節ごとに変わるスイーツ専門店をやってみようと思いました。駅から徒歩3分くらいの良い物件が見つかりました。
ついに実店舗オープン
ただ、開業するためには資金が圧倒的に足りません。札幌のシェアスペースで「ナナシノ氷菓店」をやりながら、私はクラウドファンディングと、金融機関からの融資を考えました。クラウドファンディングについては、東京のシェアスペースでファンになってくれた方々との信頼関係のおかげで、目標の300万円に対して460万円を集めることができました。それに加えて1千万円の融資を受けたかったのですが、シェアスペースで1年間くらいの実績しか持たなかった私であり、世の中はまだコロナ禍なので、東京の金融機関の担当者は応援します、とは言ってくれませんでした。
でも事はすでにいろいろ動き始めています。なんとかするしかありません。金利はずいぶん高くなるものの可能性がありそうな信用金庫さんを見つけて、事業計画を一生懸命練り直しました。いまならAIの力を借りるところですが、そんなものはありませんし、そもそも事業計画なんて書いたことがなかったのです。親には頭から猛反対されて悔しい思いをしていたので、父から借りるわけにはいきません。そしてギリギリのタイミングである開業の2か月前に、そこからなんとか融資を取りつけました。
「日本初の四季で変わるスイーツ専門店」と銘打って、「ナナシノ」という店がオープンできました。春の3〜5月は、桜スイーツ専門店。6〜9月の夏はかき氷専門店。10〜12月は焼き芋スイーツ専門店。そして1月と2月はチョコレート専門店です。
このユニークな営業スタイルが受けて、日本テレビの「ヒルナンデス」をはじめ、テレビでも合計30〜40回くらい取り上げてもらい、認知度を上げることができました。
私は当初から週4日の営業で行きたいと考えていました。先に言ったように、働く環境をブラックにしたくなかったからです。でも実店舗となると、それでは店を維持していくための売上げが足りません。
そこで、身につけたノウハウをもとに、かき氷専門店のコンサルティング事業を始めます。当時は、ふわふわの新食感を持つかき氷の技術を学ぶ場がなかったのです。これはチャンスです。
お店の休日を利用して、かき氷のコンサルやセミナーを開催していきました。生徒さんは3年間で320名くらいになり(若い人よりも年配層が多かったです)、そのうち26組が独立開業しています(海外での開業もあります)。この方たちは私と同じように、自分が好きなことを仕事にできています。そういう人が増えていけば社会全体がもっとやわらかく自由になっていくのではないでしょうか。そんなことにつながるコンサルティングの仕事も、自分の店と同じようなやりがいを感じました。
私は、コンサルティングを含めて5つの事業を展開しました。
本体である「四季で変わるスイーツ専門店『ナナシノ』。そして、「通販限定焼菓子専門店『nanashinoBAKE』」。加えて、「シェアスペース事業」。さらには、期間限定で出店する「POPUPイベント」。この5つです。POPUPイベントでは、昨年(2024年)1月には大丸札幌店にも出店しました。
このように複数の事業を組み合わせることでリスクを分散しながら、安定した経営を実現することができました。大好きなカフェを自分でもやってみたい、という人はたくさんいます。でも好きなことを仕事にするには、ただ好きだから、とか情熱があるから、というだけでは現実的ではありません。基盤には、冷静で堅実な経営が不可欠です。

父の企業へ
2023年。年齢的にもいろいろ考える段階でもある31歳になった私は、3つ目の大きなターニングポイントに出くわします。それは、札幌の印刷会社である(株)プリプレス・センターを36年ほど経営していた父から、会社に来てもらえないか、と相談があったのです。いまでは東京にも本社機能があり、大阪や福岡にも出先をもつ、グループ全体で230名ほどの社員を抱える企業です。
子どものころから父は私に、自分の好きなことを見つけて仕事にしなさい、と言ってきました。でもその一方で、いずれ会社を継いでくれればうれしい、とも言われてきました。印刷業界に興味のない私は、「好きなことを」、の路線で走ってきたので、父の会社に入る選択肢はない、とずっと断ってきました。
しかし自分自身で事業をして3年くらい経っていて、経営の目線で見ると、飲食と印刷の業界には意外と接点が多いかもしれないと思うようになりました。そして、将来やりたいと思っている「365日毎日食が変わる専門店」を実現させるためにも、これはチャンスかもしれないと考えたのです。
自分の目標に対して、まだまだ知識も経験も足りていないことは十分わかっていたので、私は父のもとでキャリアを磨いてみたい、と思いました。だから父の会社に参画することを決めたのです。決めたときには迷いは全くなくて、ワクワクしかありませんでした。
また、中途半端に自分の事業をやってもお客さまに迷惑をかけるので、自分の事業はすべて一旦休業します。昨年の夏(2024年8月)のことでした。そして10月からは現在の(株)プリプレス・センターに転職したのです。
プリプレス・センターは印刷会社から始まった会社ですが、現在の事業領域は多岐に渡っていて、まず創業時からの、チラシや冊子、教科書から年賀状といった分野にわたる「商業印刷」や「ノベルティ印刷」があります。そして、「ウェブ制作やシステム開発」、「サステナビリティ関連事業」、さらに会議や学会などをめぐる「ビジネスイベント事業」、「コンサルティング事業」などがあります。現在の私は主に、MICE(マイス)と呼ばれるビジネスイベントに関わる仕事をしています。
そして会社の中身やまわりがもっと深く見えるようになれば、将来は念願である飲食事業を新たに動かしたいと考えています。
学生時代、やりたいことが見つからないのは当たり前
積み重ねてきたこれまでの自分の事業を全て止めて新しい領域にチャレンジするのは、人生最大の挑戦です。この決断がほんとうに良かったのかはまだ分かりません。ただ正しかったと思える日が来るまで、今は自分の事業で得たスキルを活かしながら、愚直にやり続けていきたいと思っています。そしていま、そんな毎日を楽しいと感じています。
まだ30代前半の私ですが、これまで3つの大きなターニングポイントがあった、と言いました。その上で、大きな後悔も無くいまの生活が楽しいと思っていられるのは、それらのポイントごとに、自分自身でどうするかを決めてきたからだと思います。誰かに強いられていたとしたら、いまの自分はないと思います。
自分の人生を自分で選んでいくことには、勇気が要りますし、恐ろしいことでもあるでしょう。今の自分は、商大時代の自分がまったく想像もできなかった自分です。親が敷いてくれたレールを進んでいただけなら、ほんとはもっと自分に合った道があったかもしれないのに、気づかないまま人生を終えてしまうかもしれません。それは恐ろしいことですね。
天職と思っていた飲食業界から今は離れて、全く異なる印刷業界に入ったもどかしさや難しさは感じていますが、いつの日か会社を動かしている自分のイメージが見えてきてもいます。その先には見たこともない楽しい景色が待っているはずですから、いまできることをしっかり重ねてくしかないと思っています。
皆さんに伝えたいのは、いまはまだやりたいことがわからないと悩むのは当たり前だ、ということです。私自身、はっきりとこれがやりたいと思えることを見つけたのは、25歳でチョコレートカフェに転職して少し経ったときですし、初めて飲食の世界に飛び込んで働いたことで、これが自分のやりたいことだったんだ、と気づきました。つまりやりたいことって、考えて見つけるのではなく、行動してはじめて気づくものなのです。
やりたいことがわからないと悩む人の多くは、努力の方向を少し変えてみるだけで、やりたいことが見えてくることがあります。
やりたいことがわからない人の特徴って、3つくらいあります。
まず考えてばかりで行動していない人。そして、完璧な答えを探そうとして苦しんでいる人。答えは自分の中にあるはずだ、と思い込んでいる人。だいたいどれかひとつは当てはまるんじゃないでしょうか。
ただそもそもやりたいことのほとんどは、自分がそれまで得てきた知識や経験の中からしか選択できません。だから20代前半ではごく限られた世界としか接していないので、やりたいことがわからないというのは、いたって普通のことでしょう。
なので、新たな経験や知識を得ていくためにたくさんの人たちに出会い、チャレンジをたくさんすることが大切です。苦手意識をもって選択肢を狭めてしまっては、やりたいことに出会う可能性がどんどん狭くなってしまいます。
今やりたいことが見つからない場合は、まずは何でもいいからやってみる。小さな一歩を踏み出してみてください。どんなことでもいいのです。
楽そうな授業を選ぶんじゃなくて、難しそうでも本当に興味を惹かれる授業を選んでみたり。時給の多寡でバイトを選ぶのではなくて、たとえ低くてもこれをやってみたい、と思えるバイトをしてみたり。
留学しようか迷っている人がいたら、まずは海外旅行に行ってみたり。就活でも、自分には無理だと思っていた企業を、まずはダメ元で受けてみたり。とにかく皆さんが興味があることに対して、何かしらの行動を起こしてみることがおすすめです。
ただ、チャレンジする上で注意しなければいけないことがふたつあります。
まず、ある程度やり続けること。
ふたつ目は、今やっていることに関して誰かに話してみましょう。アメリカの高名な起業家ジム・ローンの言葉に、「あなたが最も多くの時間を過ごす5人の人間の平均があなたです」、とあります。つまり、自分は周りの影響を必ず受けながら生きているということ。なので、まず一歩を踏み出してみたら、その周りの誰かに相談してみることが大切です。必ず応援してくれる人がいるでしょう。
ただ一方で、批判をしてくる人もいるかもしれません。自分のためにこの人は言ってくれるんだと思いながらも、そういう人には少し距離をおいてみることが有効です。その人のためにせっかくの一歩が踏み出せなくなるのはもったいない。だからこそ、新しい人と出会うことが大切になるのです。
小さな一歩を踏み出したなら、そのことを誰かに伝えて、次の二歩目を踏み出しましょう。批判されても、応援してくれる人が見つかるまで、自分のやりたいことを言葉にして外に伝えて行くことが重要です。私の経験上、大体半分の人たちは応援してくれて、半分の人たちはやめた方が良い、と言ってきました。批判してきた人たちをいつか後悔させるゾ、というくらいの気持ちを抱きながら、まずは応援してくれる人たちのアドバイスをそのまま行動に移すと、やりたいことがさらにもっとやりたくなります。
自分の選択に何ひとつ間違いなんてないと思います。どうせ無理だろう、自分には向いていないとか、きっと失敗する…。そんな風に思ってしまうことって誰にでもあるでしょう。でも、そんな決めつけこそが、自分の可能性を狭めてしまう最大の原因です。
3つのポイントと、やって良かった7つのこと
私が大切にしている3つのポイントを紹介します。
1つ目は、チャンスはみんな平等にあるということ。目の前にあるチャンスをポジティブに自分から掴みに行くことが大切です。漠然と思ったこと、ふと浮かんだアイデアでも構いません。
2つ目は、失敗からしか成長も成功もできないということ。どんなこともやってみないとわからないので、自分の能力を自分だけで判断しないこと。そして失敗を恐れずに挑戦することが成長への近道となります。
3つ目が、小さなきっかけが自分の人生を楽しくすること。過去を悔やまずに、今を真剣に生きられたら、結果的に未来に楽しみが生まれてきます。
振り返ってみて、「私が学生時代にやってよかったな」、ということを7つ挙げます。
(1) たくさんの人にまず出会いに行く。
(2) とにかくきっかけに飛び込んでみる。
(3) 使えるコネクションは全て利用する。
(4) どんなことでも声をかかったことは引き受けてみる。
(5) 自分の苦手、できないことも、まずはやってみてから考える。
(6) たくさん失敗する。
(7) とにかく遊ぶ。
皆さんいま親から、お金の心配なく留学して良いよと言われたら行きますか?(質問呼びかけ)
半分ぐらいの人が手を挙げてくれましたね。
私は実は、両親からそう言われても行きませんでした。なぜかというと、当時は女子ハンドボール部の、全国大会出場がかかる大事なシーズンだったからです。チームの仲間とみんなで全国に行きたい。その一心でした。まわりからはもったいないね、と言われましたが、後悔はしていません。
私が今日皆さんに一番伝えたかったことは、やりたいことが見つからないうちは、まずは自分の興味があること全てに対して一歩を踏み出していきましょう、ということです。まわりの目が気になっても、意識すべきはまわりではなく、自分自身です。
人生に間違いなんてないです。正しかったと自分が納得できるまで行動し続ける限り、間違いかどうかは分かりません。チャレンジって、未来の楽しい自分と出会うためにするものです。小さなチャレンジをこれからどんどん重ねていってください。先輩たちがたくさん登場するこのエバーグリング講座は、そのきっかけになってくれるはずです。
30代の私も、20代の自分にまけないくらいまだまだ加速してがむしゃらに進んで行きたいと思っています。来年再来年の自分が楽しみです。

<藤田かほりさんへの質問>教員より
Q)卒業されてまだ十年ぐらいなのに、人の三倍ぐらい濃かったような藤田さんのキャリアでした(笑)。「学生時代にやってよかった7つのこと」、という項目がありましたが、その中でなにか具体的なエピソードで語れるものはありますか?
A)「とにかくきっかけに飛び込む」ということをあげましたが、それはよさこいサークル翔楽舞での経験です。翔楽舞の活動には、「よさこいソーラン」の本番のあとで小さなイベントもたくさんありました。自由参加ですから半分以下くらいのメンバーしか集まりませんが、私はできるだけ参加していました。社会人の人たちと関わる機会が多くて、そこに興味を引かれたのです。そういうきっかけに飛び込むことが、今となっては良い経験をしたな、と思っています。それは私にとっての小さな一歩だったと思います。
Q)7つの中には「たくさん失敗する」という項目もありますが、失敗に関するお話を聞かせていただけますか?
A)マーケティングを学びたかったので、第一志望だった近藤ゼミに入れなかったことはショックでした。でもそれは自分が悪かったことも分かっていました。ゼミの面接と、どうしても働きたい居酒屋のバイトの面接がかぶっていたのです。ゼミは部活の先輩がいたこともあり、日程をずらしてなんとかなるんじゃない?という勝手な判断をして、スミマセン行けなくなりました、と連絡を入れたのです。でも、結果としてダメでした。安易でした。そのバイトは自分にとってはとても重要なものでしたが、それにしても、仲の良い友だちが何人も近藤ゼミに入ったこともあり、かなり引きずって落ち込みました。
とはいえ、お話ししたようにその後に入った江頭ゼミが自分の大きなターニングポイントのひとつになったので、この経験は自分にとって人生の岐路と言っても良いものでした。
<藤田かほりさんへの質問>学生より
Q)藤田さんにとってカフェの魅力とは何ですか?
A)小さい時から食べることが好きで、メニューのアイデアを企画することが好きでした。なので自分自身でお店をやっていたときも、思い描いたものを形にするところがやりがいになりました。さらに、でき上がったものを目の前でお客さんが食べてくださって、それが美味しいって言ってくれることがやりがいとなっていきました。
カフェをやってみたい、と考える人も少なくないと思いますが、正直言うとカフェだけで続けていくのは利益率も悪いので、おすすめはしません。できればカフェともうひとつふたつ違うことを何かやった方がいいんじゃないかな、と思います。
Q)新卒で入った企業はホワイト企業だったということですが、そこにずっと勤めていたとしたらどんな人生であったと思いますか?後悔はありませんか?
A)後悔はありません。そのまま勤めていたらというイメージが全く湧かないので、もしそうであったら逆にたぶんひどい人生なんじゃないかな、と思います(笑)。それはきっと、安定した生活であるかもしれませんが。
Q)最初の資金調達のところのご苦労を教えていただきたいのですが、ベンチャーキャピタルから出資を受けるという選択肢はありませんでしたか?
A)当時の私は起業のノウハウが全くなかったので、ベンチャーキャピタルという言葉すら知りませんでした(笑)。私の頭の中では、クラウドファンディングか金融機関から借りるという選択肢しかなく、そのふたつをやったのです。コロナ禍のさなかであり、私の貯金は200万円くらいしかなかったので、いま冷静に考えれば1千万円の融資を受けるのには無理がありました。
Q)クラウドファンディングに成功されましたが、そのポイントはなんだったのでしょう?成功させるコツはありますか?
A)目標の2.5倍くらいの資金調達ができましたが、スタートした時にすでにたくさんのファンの方がいたことが要因だと思います。クラウドファンディングでは、こちらの意図を写真と文章で伝えるしか手段がないので、チョコレートカフェで働いていたとき、PRの文章をずいぶん書いたことが生きたかな、と思います。魅力的な写真と、皆さんの共感を呼ぶような文章をていねいに書くことに力を注ぎました。
Q)ここまで後悔ない人生を送っているとおっしゃる藤田さんですが、自分は何かを犠牲にした、と考えることはありますか?
A)申し訳ないですけど犠牲にしたものがないなと、思っておりまして(笑)。嫌な思いとか悲しい思いをして、その一瞬は失敗と思っても、まあなんとか挽回すれば失敗にならないと思ってしまう、異常なポジティブ思考なのです。例えば二択があって、ひとつを選べばひとつは犠牲になります。でも犠牲にしたことを忘れるくらいに選んだ道を突き進むのが自分だと思います。人に言われて決めたことならそうはいかないかもしれませんが、自分自身で決めたことですから。
Q)いまの藤田さんにつながっているような、商大時代の出来事とかエピソードがあれば教えてください。
A)いちばんの思い出は、江頭ゼミで「小樽あんかけ焼きそば辞典」作った経験かな、と思います。自分たちでお店に行って取材交渉をして、写真を撮って原稿を作り、それをもとに構成を組み立てて、デザイン・レイアウトを進めていきます。私は制作担当で、Illustratorというソフトを覚えて、それで誌面を作っていきました。64の飲食店の人たちとコミュニケーションを取りながら作り上げていったものなので、大学の外の人たちと関わる経験が積めました。半年くらいにわたる活動でしたから、いまの自分につながる経験だったと、振り返ってみると特にそう思います。
Q)人とのつながりを求めてコネクションを広げていくことが自分にはハードルが高いのですが、その面で学生時代、あるいは現在でも心がけていることはありますか?
A)いまとちがって入学したころの私は、人前に出ると声が震えるような人間でした。でも人には興味があったので、表に立つというよりも裏方のポジションでいろいろなことに参加しました。小樽商科大学って小さな大学なので、学外も意識していました。アルバイト先で出会った人たちで、この人どんな生活してるんだろう、とか興味を引かれる人がいたら仲良くなって、そこからまた友だちや知り合いの輪が広がることもありました。大先輩たちが築いた長い歴史があることで、小樽のまちは商大生に優しいと思います。何かやろうとすると応援してくれる文化があるのではないでしょうか。
Q)遊びは大事、遊びには価値がある、ということをおっしゃいました。藤田さんご自身はどんな遊びに熱中していましたか?
A)私は学生時代、本当に死ぬほど遊んでいて、毎日のように飲んで、しょっちゅう小樽で終電逃して、誰かの家に泊まって、朝眠い顔で一時限目に行ってとか、そういうことを繰り返していました(笑)。だからこそ、社会人になって自分で事業をすると、遊びたいとは思わなくなったのです。なぜなら、遊ぶより自分で仕事を動かす楽しさに気づいてしまったからです。飲んで遊ぶより仕事の方がずっとずっと楽しいので、遊びに興味がなくなっちゃいました。逆に言えば、学生時代に私のように遊ばないで社会人になってしまうと、大人になってから遊びの火がついちゃうかもしれません。でも社会人になると、仕事やその周辺にもっともっと広い世界が待っています。いくつになっても遊ぶことはもちろん大事だと思いますが、仕事には遊びとは違った楽しさがあるのです。
教員より
Q)最後にあらためて、後輩たちの背中を押すメッセージをいただけますか?
A)この教室には1、2年生の皆さんが多いと思いますが、私は本当に1、2年生はずっと遊んでいました(笑)。ただ、興味のある授業はちゃんと一生懸命受けていました。マーケティングに非常に興味があったので、その分野です。
繰り返しますが、やりたいこととか興味のあることがまだ自分にはわからない、という方がたくさんいると思います。それは当然でしょう。でも皆さんの心の中には、本当にちっちゃくても、実はやってみたいこととか、興味があることって絶対あるはずです。そこに向けて一歩踏み出すことが人生を動かすきっかけになると思います。人生を動かすとか変えるなんて、10年後くらいにしかわからないかもしれません。だからそんな大きなことは意識せずに、まずは自分が興味がある方向に足を向けて一歩踏み出していけば、結果的に人生が楽しくなるんじゃないかな、と思います。皆さん今日からでも、自分の興味があることにぜひ一歩踏み出してみたらいかがでしょう。
