2025.10.29
令和7年度第4回講義:栗城 和也さん(H16卒)「学生時代~DXコンサルタントとして独立するまで」
講義概要(10月29日)
○講師:栗城和也氏(2002年国立函館工業高等專門学校情報工学科より小樽商科大学商学部社会情報学科3年時編入学。2004年卒業。2006年北海道大学大学院経済学研究科経営情報専攻修了/のどかサポート合同会社代表社員)
○題目:「学生時代~DXコンサルタントとして独立するまで」
○内容:
函館高専で情報工学を学んだ私は、数理と経営の両方の世界がさらに学べる場として、小樽商大への編入を決めた。とても忙しく充実していた2年間だったが学びへの意欲はまだ募り、北海道大学大学院で経営学を修めた。一見定まらないように見えた私の学業だったが、いま思えば、それはDXの世界で仕事をする自分を培った時間だった。私の学びの経緯と、現在のDXの現場について話をして、後輩たちの未来へヒントを贈りたい。
一貫していないように見えた進路が、いまの自分を作った
栗城和也氏(2002年国立函館工業高等專門学校情報工学科より小樽商科大学商学部社会情報学科3年時編入学。2004年卒業。2006年北海道大学大学院経済学研究科経営情報専攻修了/のどかサポート合同会社代表社員)

DXがますます鍵を握る日本の未来
私は、2023年の夏に「のどかサポート合同会社」を起こして、代表社員を務めています。起業しましたが、私は社長ではなく代表社員です。意味は同じですが、合同会社の場合はトップのことを代表社員と呼ぶわけです。
会社は宮城県仙台市にありますが、札幌にもバーチャルオフィスを置いていて、札幌には自宅と家族があります。事業の軸は、詳しくはこれから説明しますが、大枠ではDX/ITコンサルティングと、デジタル人材の育成にあります。
起業に当たって立てた経営理念—。なぜこの会社が社会に存在するのか、という意義づけを私は、「DX推進やデジタル化に関するホームドクターをめざす」、としました。
44歳で、単身赴任生活です。社員ではなく経営者が単身赴任をしているのは珍しがられますが、そのあたりはあとで少し説明します。
ITコーディネータやDX認定サポーターといった資格をベースに、私は東北の自治体のDX関連のアドバイザーなども務めています。町や市の行政機関のDX化をお手伝いしているのです。
さて本題に入りましょう。
皆さんDX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉には馴染みがあると思います。世の中では「会計DX」、「教育DX」、「農業DX」、「自治体DX」などなど、DXがついた言葉がたくさんあります(最近では「AI」の方が耳に入ってきますが)。
DXについて経済産業省ではこのような定義を行っています。
「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」。
最も重要なのは、「データとデジタル技術を活用して業務そのものや組織、プロセス、さらには企業の文化や風土を変革する」、ということです。
低成長、高齢社会、人口減、人手不足…。日本の社会を取り巻く環境は厳しさを増しています。その中でいかに効率よく社会を回し、生産性を高めていくかが大きな課題です。その切り札となるのが、DXにほかなりません。
DXを進めるにあたって最も重要なことは、デジタル化を目的としないことです。つまり大切なのはDXによって何らかの目的を達することであり、DXを進めること自体は手段にすぎません。この失敗例はあちこちにあります。DXを進めたことで、生産性が上がって働き方が変わったのか—。成否はここを問わなければなりません。
ちなみに、DXに至るデジタル化の取り組みは3つに分けられます(三井住友銀行Webページを参考に)。
まず、「デジタイゼーション」。これはアナログで行ってきたプロセスをデジタル化することで、例えば書類の手書きをワープロにしたり、カメラが、フィルムカメラからデジタルカメラへと進化したようなものです。
2番目は、「デジタライゼーション」。これはデジタル技術によって新たな価値やビジネスモデルが生まれることで、例えばスマートフォンで撮影した画像を、SNSを使って世界中でシェアできるようにすることです。
そして最後の3番目に「デジタルトランスフォーメーション」。例えば個人で撮影した写真をフォトブックにする、といった従来の写真ビジネスの「仕組みを変革する」ことです。
実例から考察するDXの可能性
今回事前に出した課題について。
経産省のWebサイトにある「デジタルガバナンスコード実践の手引き」の資料から、(有)ゑびや・(株)EBILABの事例を読んで、この会社の成長を動かした重要な取り組みを、その理由と共に3つ以上あげてください、という課題を皆さんに出しました。
私による解答例を紹介しましょう。
まず(有)ゑびやという会社は、三重県伊勢市に本店を構える、 1912 年創業の老舗飲食店です。そこの娘さんと結婚した現社長が入社した2012年には、伊勢神宮の近くという立地に頼った経営で、ありきたりのメニューばかり。客単価は800円程度で、売り上げ管理は手切りの食券と手書きの記帳、計算はそろばんでした。
そこで彼は、「経営者が儲かるために当たり前のことをすればもっと儲かる」と思い、1台のPCからデータ活用による経営改革の取り組みを始めます。状況を把握するために、社長自ら手作業でExcelによる地道なデータ記録をはじめました(天気・気温・売上・グルメサイトアクセス数・近隣の宿泊数など)。
データ収集を続けて分析方法を模索していくうちに、社長には見えてくる世界がありました。勘と経験に頼っていた店舗運営は、やがてデータをもとにしたAIによる来客予測や、画像解析によるデータ収集、いつでも必要な情報が可視化できる BIツール(ビジネスインテリジェンスを支援するソフトウェア)の導入と進化します。
そして、経理や労務管理などのバックオフィス業務は外注やクラウドサービスに移行されて、社長が付加価値の向上や新規ビジネスモデルを考えることに専念できるようになりました。結果として、利益率の高い高付加価値のメニューを開発することで客単価は上がり、自社開発したAI予測ツールを他社へ販売するなど新事業も作り出します。7年間で売上5倍、利益50倍を達成して、世界一IT化された食堂と言われるようになったのでした。
私が考える重要な取り組みとその理由は、およそ次のようなものです。
(1)現状を把握するために、1台のパソコンを使ってデータ記録を行った
(2)従業員の勘と経験による来店予想にはデータ(事実)の裏付けがないことを周知させた
(3)手段と目的を混同せずに、本当に必要なツールを導入した
(4)経営者が社長業に専念するために、それ以外の業務を外注した
(5)来客数をAI予測できるようになって、フードロスが減少した
(6)AI予測ツールを外販して、コロナ禍でも飲食事業の減少を補った
重要なポイントはこれ以外にもあると思います。一例です。
この実例は、私は社会人の方、自治体職員さんの研修でも使っています。
恩師のアドバイスが動かした進路
私の学生時代のことをお話しします。スライドには「学生時代とDXとのつながり」、と書きましたが、それはまあ後付の話です。
1997年に函館高専の情報工学科に入学しました。親が函館に転勤となるので、ならば、と受験したのです。皆さん馴染みが薄いかもしれません。高専は5年制で、高校と短大を合わせたような学校です。札幌にもかつて高専があり、現在は市立大学となっていますね。いま北海道にある高専は4校です。
高専で勉強したことで記憶にあるのは、情報工学全般と電気工学の一部、物理学や化学、そして数学、国語、地理、世界史、といったところです。中学まで数学が大好きだったのですが、1年生で微分積分が始まって、苦戦して挫折しました。そして数学が嫌いになってしまいました。
私が一番好きだったのは、情報工学に含まれる「経営工学」 、特に「オペレーションズ・リサーチ」(OR)でした。小樽商大では、私が学んだ社会情報学科の分野ですね。
辞書的に説明すれば「オペレーションズ・リサーチ」とは、複雑な意思決定や運営上の問題を、数学的、科学的な手法を用いて、最適に解決する学問分野です。複雑な意思決定や運営上の問題にはさまざまな領域が考えられますが、私が好きだったのは経路の問題です。いわゆる「巡回セールスマン問題」というテーマがあって、これはセールスマンが顧客を訪問するときに、どうやったら一回で最も効率的に回ることができるかを問うのです。
オペレーションズ・リサーチは問題を次のように解いていきます。つまり、まず「問題を数理モデル(アルゴリズム)に置き換える」、その上で「最適解を求める」、そして「現実の制約を考慮」します。数理の世界で出された解が現実として機能するかを問い直すわけです。解が不十分であれば、この工程を繰り返します。
ORに本格的に出会ったのは最終学年の5年生のときでしたが、私はこの考え方にとても惹かれました。
高専の卒業論文では、函館市電の経路最適化をテーマに論考しました。もっと学びたいので大学の工学部に進みたいな、と思いました。しかし信頼する恩師から、「栗城は工学部への編入は向いていない。経済学や経営学を勉強できるところを考えた方が良い」、と厳しく言われました。それは叱咤激励であったのですが、先生がなぜそんなことを言ったのか。高専の授業でも学生が発表する機会が多くあり、私は人の前で自分の考えを述べたり説明することがわりと得意で、自分でも好きでした。だから先生は、君は将来、数理の世界が見える営業の世界、営業パーソンが向いている、とおっしゃったのです。
そこで、数理の世界と経営の世界の両方が学べる大学が良いと考えて、小樽商科大学を受験して、編入しました。2002年のことで、函館高専からこのパターンの進学は初めてだったようです(現在この編入制度はないと伺っています)。
工学の素養の上に商大で学べたこと
理系である高専からの編入では、単位認定が少なくて苦労しました。つまりそれまでに履修していた科目で、商大でそのまま活きるものが少なかったので、3年生からの2年間で取らなければならない単位がとても多く、2年間では無理かもしれない、と言われたくらいです。そのため入学してから卒業するまでは、ほぼ毎日フルに講義が入っていました。一講目から五講目まで、月曜日から金曜日までびっちりです。しかも落とせない必須科目ばかりです。
とくに記憶に残っている科目が3つあります。まず上級英語。1、2年生が取る授業はもう取れなかったのでとても厳しいこの授業を取るしかありません。なにしろ英語でしか授業が進まないので本当に大変でした。でもそのおかげで英語に対する苦手意識は少し薄らいだと思います。
それと、政治学。これは国政選挙のテレビの開票番組でコメンテーターを務める先生の授業で、とてもリアルな政治の話に触れられて勉強になりました。
そして、統計学。例えばギャンブルの確率についての授業が興味深く、記憶に残っています。
ゼミは、奥田和重先生の経営工学。数理モデルやシミュレーションを駆使して組織や経営に最適解を見いだしていくこの学びが、まさに自分が商大で取り組みたい勉強でした。卒業論文は、観光ルートの最適化に関するテーマで執筆しました。授業が終わったあとは、すぐ札幌に戻って塾の講師のバイトです。塾講師の仕事は、自分で好んで一生懸命やりました。人前でわかりやすく話したり、何かをうまく伝えるプレゼンテーションの訓練になっていたのかな、と思います。それはある意味で、人に合わせて何かを演じることです。皆さんの中にも塾講師のバイトをしている方がいらっしゃるでしょう。良い先生を演じる、ということを意識してみてください。
卒業後の進路は、悩みに悩んで北海道大学経済学研究科経営情報専攻に進むことにしました。悩んだのは、実はOBS(小樽商科大学大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻)の合格もいただいていたからです。
北大の大学院では、ゼミは引き続き経営工学で、それ以外は経営学の勉強に比重を起きました。修士を修了したあとは、いよいよ就活です。
その中である会社の最終面接で、「栗城さんの学歴は工学→商学→経営学と転々としていますね。一体何を学んでいるのか理解に苦しみますよ」、と言われたことをよく覚えています。いまで言えば、あえての圧迫面接だったと思います。私は一瞬ひるみましたが心を据え直して、「私はコンピュータや数字に明るい営業職の人間になりたいと思います。御社にとってもそうした人材を持つメリットは大きいはずです」、と回答しました。
結果、そこから内定を得たのです。いま振り返ってみれば(後付の感はありますが)、企業の課題分析などは経営学や商学に関する知識が、そしてデジタル技術は工学に関する知識が必要ですから、私が学生時代に学んだことのすべては現代のDXに必要な要素であったと思います。DXの定義をおさらいすれば、「データとデジタル技術を活用して業務そのものや組織、プロセス、さらには企業の文化や風土を変革する」、ということでした。

意識が変わったシリコンバレーでの研修
NTTドコモ(当時はNTTドコモ北海道)に入社しての仕事が始まりました。
この会社に私は18年くらい在籍することになるのですが、最初の勤務地は釧路。それから、札幌、東京、再び札幌、そして仙台で勤務します。
業務内容は、釧路ではドコモショップや量販店への販売支援。そして釧路地域のマーケティング戦略を立てたりしました。いわゆるB to Cのビジネスです。
札幌に移ってからは、法人向け、B to Bの分野で幅広く営業活動をしました。一貫していたのは、課題解決型提案です。つまりお客様が困って解決策を求めていること、あるいはまだ認識していないけれどもやがて問題になるであろう課題に対して、解決策を提案していくのです。課題解決型提案の対極にあるのは、「御用聞き営業」。顧客が求めていることだけを忠実にこなしていく営業スタイルです。
お客様のところに行ってただ要望を聞くだけじゃなくて、プラスアルファの提案をすることが大切です。
東京に転勤になると、業界のトップクラスに連なる企業を多く担当しました。この時代、私は挫折感を覚えました。行くときには北海道の力を見せてやるゾ、というくらいの意気込みがあったのですが、行ってみると全国から来た精鋭たちがしのぎを削っています。お客さまから、前の担当の○○さんの方が仕事できたよ、などと厳しく言われると、これはダメだ、北海道に戻りたい、という気持ちも湧いてしまいました。北海道のお客さんは暖かかったなぁ、と思いました(笑)。
そして、やがて札幌に戻ります。
この時代、ある企業さんとの仕事でクラウド系のサービスを扱うことがありました。当時はまだ珍しい分野だったので、アメリカのクラウド系サービス企業の視察研修のメンバーに選ばれました。シリコンバレーでEvernote社やGoogle Cloud社、そして無人レジで話題を呼んでいたAmazon goの店舗などを見て回ったのですが、この研修は、ビジネスパーソンとしての自分のマインドを大きく変えてくれました。
座学のほか、施設見学や買い物体験など、札幌では到底経験することができないものばかりで大きな刺激を受けました。一連の行動には通訳さんがついていたのですが、一方で、Googleの方に一同はこう言われてしまいます。
「通訳が入ると話したいことが半分になってしまう!私たちのところに来たいのなら、英語を勉強してから来てほしい」、と。これはグサッときました。商大で苦戦した上級英語の世界ですが、卒業すると私は英語の世界から遠ざかっていたのです。
私は、「受け身になってはならない!もっと自分でできる人間にならなければ」と、痛感しました。
自分を成長させてくれた土地、仙台
アメリカから帰ったばかりで会社でお土産のチョコレートを配っていたとき、上司から呼ばれて、仙台に行ってくれないか、と言われました。チームリーダー(係長)としてやってほしい、と。ここからいまにいたる仙台とのつながりが生まれました。
仙台での仕事は、東北エリアにおける法人向けの5G(第5世代移動通信システム)サービスの立ち上げです。当時高速大容量の通信規格である5Gは、まだ試験電波が出るか出ないかの時代でした。この仕事でも新しい経験をたくさん積みました。
例えば、各部署から選ばれたメンバーによる横連携の会議があります。そして毎週やったネットワーク部門との情報連絡会議は、技術系の人たちとのミーティングです。始めは知らない専門用語のオンパレードで、私は何もしゃべれません(笑)。会議に出て何も発言がない人間は、いないのと同じ、というのは社会人のイロハだと思いますが、私はそれでした。なんとかしなければ、と、会議が終わってから話しやすそうな若手に質問を浴びせて、必死に追いつきました。そして、はじめは見当違いのこともあったのですが、徐々に会議の一員として議論に参加することができるようになりました。
そして5Gが具体的に立ち上がると、「5Gを使った遠隔動画編集」や、5Gを使って子どもミュージカルのステージに、離れたところにいるプロのオーケストラの演奏を載せる「遠隔セッション」など、プロジェクトリーダーとしていろいろな実証モデルを新しく生み出すことができました。
5Gを活かした新たなサービスのほかに、自治体への営業も成果を上げて、複数のプロジェクトが動き出しました。しかしなんということか、また急な人事異動で、私は札幌に戻ることになります。大がかりなプレゼンテーションを行って見事受注した案件があったのですが、その直後の異動です。お客さまにしてみれば、「そんな無責任なことを!」、と怒りしかありません。会社にはもちろん事情や理由があるのですが、私にはお客さまに申し訳ない気持ちが募りました。
そのタイミングで、仙台での仕事をやりませんか、という別の企業からの声がけをいただいたので、私は18年間お世話になったNTTドコモを「卒業」して、仙台で仕事をすることにしました。仙台は私を大きく成長させてくれた土地ですし、まだまだやりたいことがあったのです。家と家族は札幌にあって、仙台では一人暮らしです。とはいえネットがあるのでテレビ電話で顔を見て話すことは、毎日でもできます。
仙台で独立を決意
しかしながらその会社も事情によって半年あまりで卒業することになり、私はいよいよ独立起業に踏み出したのでした。仙台の地で個人で、DXの世界のファーストペンギンになろうと思いました。
独立をめぐっていろんな方と話をする中で、懸念されるところ、課題も当然見えてきます。「仙台で仕事はあるの?」、「単身赴任はいつまで続けるの?」、「会社はいつまで継続できるの?」、「運転資金は大丈夫?」、といったことですね。
ほんとに仕事がちゃんとあるのか?これはNTTドコモ時代にお世話になったところから、あなたにお願いしたい仕事がある、と言っていただきました。それが背中を押してくれました。起業にはまず3年目の壁がある、と言われています。私はいまちょうど3年目ですが、銀行さんともちゃんと付き合えるような状態で仕事が続けられています。
これは皆さんはまだリアルにはわからないことかもしれませんが、会社を興すにはいろんなハードルがあります。
まず創業に関する各種申請、法律的な手続きがたくさんあってとても大変です。私の場合すべてひとりなので、特に苦労しました。また、銀行に法人口座がちゃんとできるか。いまは不正な資金のマネーロンダリングのために悪用されることを防ぐために、法人の口座開設の審査が厳しくなっています。でも口座がなければ始まりません。さらに起業に対するいくつかの補助金の制度をいろいろ調べて活用しますが、ある良い制度を見つけたとき、申請締め切りが翌日でした。徹夜でなんとか仕上げで提出しました。
創業者向けのマニュアル雑誌などもありますから、そういうものを読み込んで、懸念点や事態については一つずつ解決していきました。法人の銀行口座も、基準がそれほど厳しくない別の金融機関で開設できました。
起業準備をしながら、それまでの人脈がある自治体などを訪ねて、DXアドバイザーのニーズがないか、ヒアリングを行いました。北海道に帰ってする準備もありました。
そうこうして無事に会社はまわりだし、直近では東北のふたつの自治体のDX推進アドバイザーの仕事をしています。これは職員さんに対する研修の企画や運営、会議への出席などです。こういう仕事は当然、こちらから積極的に動く「課題解決型提案」によって生まれていきます。
また資格を活かして、国認定のアドバイザーとして、ほかの自治体DXに関する研修などを行っています。昨年今年と特に多いのは、AIを自治体の仕事にどのように活用していくかについての研修です。また民間企業での業務支援もあり、製品の販売支援、戦略立案のお手伝いなどをします。
また今年は大学の非常勤講師として講義をひとコマ持ちました。来月(2025年11月)は、自治大学校(東京都)で全国から集まる公務員の皆さんに対する研修のお手伝いをする予定です。
当然ですが、加速度的に進化するITやDXの世界では、自分のスキルをつねにアップデートし続けなければなりません。私の場合はニュースをつねに浴びるように受けていますし、所属するITコーディネータ協会が主催する勉強会や講座は欠かせません。また同業者間の情報共有もあります。
創業してから3期経ちましたが、大口のお客様に頼る構造となって、万が一契約が切れれば、という不安もあります。また仙台市外のお客様支援が多くて、移動時間がどうしてもかかってしまいます。こうした悩み事についてはすぐに解決できないものも多いのですが、一歩一歩進んでいくしかないと思って努力しています。
最後に私から皆さんにお伝えしたいのは、私のように、学生時代にいろんなことをやっていて、ある意味で一貫してないね、と言われるような生き方でも、そのときやりたいことに堂々と取り組んでほしい、ということです。私の場合、その幅広さが武器になりました。
いまやっていること、これからやりたいことが、将来どのように役に立つか、はっきりとは分からないものです。当然です。でもいつかきっと、それらはあなたの力になります。ですからなおのこと、いま興味が惹かれることがあれば、それに迷わず取り組んでください。

<栗城和也さんへの質問>教員より
Q)仙台緑丘会の盛んな活動ぶりは関係の皆さんにはよく知られています。栗城さんご自身のことを含めて、およそどのような活動をされているのか、後輩諸君に教えていただけますか?
A)はい、まず基本的にやっぱり飲みニケーションがありますが、そのほかには例えば楽天ゴールデンイーグルスの試合をみんなで観ることがあります。その場合対戦相手は北海道日本ハムファイターズです(笑)。私はまだ楽天ファンになりきれていないのですが…。あとは定番の芋煮会ですね。山形を中心にしたご当地の名物行事で、サトイモやニンジンや豚肉、ジャガイモなんかをダイナミックに煮込んでいく鍋をにぎやかに食べます。
それとレジャーとは違う意味で取り組んでいるのが、高校訪問です。ぜひ小樽商大で学んでみませんか、というスカウト活動を、商大職員の方をサポートしながら仙台中心に各地の高校で行っています。小樽で学んで、また東北に帰って地域を動かしてほしい、という願いをこめたキャラバンです。
Q)栗城さんは函館の高専から小樽商大に、そして北大の大学院に進まれました。商大に入ったころの栗城さんは、おそらくはいまのDXに関わる仕事の構想やイメージを持ったり、それで起業することなどは思いも寄らなかったかもしれません。ご自分の進路を決めていく際に、よりどころとなったことやお考えは、どのようなものでしたか?
A)就活でいえば、やはり地域社会に貢献できる会社が良いと思いました。ですから地元企業中心で選びました。地域課題の解決ができる会社となると、当時は特にある程度規模の大きなところになります。そして地域に根ざしていること。その観点で選んで、NTTドコモにしたのです。キャリアを積んでからの起業についても、社内の事情で仙台を離れることになりそうになり、自分が仙台や東北各地で培ってきたものを失いたくなかったので、独立を選びました。
Q)自治体のDX推進に関わるお仕事をする上で、なにか特徴的な現状や課題、これからの可能性についてお聞かせいただけますか?
A)自治体の現場では、とにかく自分の仕事がどっさり目の前にあるので、DXによる最適化に取り組もうにもその余裕がない、というのが私の印象です。ですからまだFAXが使われていたり、コミュニケーションの基本は電話になります。LINEなどのチャットツールも、民間に比べれば浸透していませんね。これまで業務をこなしてきたツール群を、わざわざ変えていく余裕がないほど追い詰められている現状があります。とはいえ問題意識は強く持っているので、私たちのような外部の力を借りようという動きは絶えず生まれています。
Q)オペレーションズ・リサーチ(OR)に興味を惹かれたことをお話ししていました。栗城さんにとってORの面白さ、学ぶ醍醐味といったところはどんな点にありましたか?
A)私にとってのORの面白さは、この社会のいろんなものを数字や数式に置き換えて考えていくことです。そうなるとさまざまなシミュレーションをすることができます。例えば「信長の野望」という歴史シミュレーションゲームがあります。あの世界では戦国武将の力が細かく数値化されているわけです。現実の世界をコンピュータの中で再現して、そこで得たものをまた現実の世界で活かしていく。そこが面白いと思います。

<栗城和也一さんへの質問>学生より
Q)東京で最初のミーティングでご苦労されたお話が印象的でした。私も人前で発言することが苦手なのですが、いまも気をつけていることなどはありますか?
A)まずどんなときでもミーティングではしっかり発言するぞ、という心構えが大切です。でもそれだけでは仕方ないので(笑)、ちゃんとした予習に時間をかけることです。資料があればそれを読み込んで、分からない点があれば前もって調べたり人に聞いておく。それができない状況もあるでしょうから、その場合は会議が終わったあとすぐ、分からなかったことをメンバーの誰かに質問して、その場で理解しておくことです。次回の会議にそれが活きていくでしょう。
Q)起業されて3年目の現在、DXコンサルトの仕事のやりがいはどんなところにありますか?
A)表と裏の二面で答えがあります。まず表としては、お客さんの要望に十分に応えて、ありがとう、という言葉をいただくことです。シンプルですがそれが真実です。また、裏の話でいえば、仕事の契約を取るにはほとんどの場合競合他社とのコンペ(コンペティション)になりますから、これに勝てたときに、よしやったゾ、と拳を握りたくなります。裏というか、現実の話ですね。
Q)挫折したとき、それをどのように受け止めたり、どのようにしてそこから立ち直ったのでしょうか?
A)分かりやすい挫折は、やはり優秀な同僚たちがしのぎを削る東京で勤務が始まったころですね。へこんでしまったので、リフレッシュしようと会社に休みをもらいました。でもやっぱり仕事のことが気になります。週末にオフィスにこっそり行ってみました。すると優秀なメンバーの何人かが、出社して仕事をしていました。あぁ、ここまでがんばってるからこそ、日々の仕事を動かせているんだ、と思いました。自分は甘かったな、と痛切に思いました。そこに気がつくと、気持ちが少し楽になりました。まぁ、いまなら彼らは働き過ぎで、それはそれで問題になるでしょうが、少し前の時代の話です。
Q)大会社を辞めて独立起業する際と、現在、どんなことが大変ですか?
A)私はひとりで会社を立ち上げたかったので、お話ししたように、すべてのことをひとりでやるのが大変でした。それは今でも変わりないのですが。そして会社の成長を考えると、人を増やすのがセオリーかもしれません。しかし今の私はずっとひとりでやっていく考えですので、効率よく動いていかに売上げを伸ばしていくかに知恵を絞っています。
国内最大級の通信事業での仕事と、私がひとりでやれる仕事はもちろんまったく違うでしょう。大企業では豊富な予算や人材を駆使して社会課題の解決、といった大きな仕事ができます。一方で、組織が大きすぎて、顧客の要望にすぐ応えることができません。根回しが大変だからです。その点中小企業、そして私のような個人企業なら、機敏なビジネスができます。小さな者のデメリットとしてはやはり、人手やお金といったリソースが小さいことでしょうか。
Q)組織がDX化を進めるにあたって、一般にどんなことが課題になるのでしょうか? 人材の問題も大きいのかな、と思うのですが。
A)自治体の組織をピラミッドで考えてみましょう。てっぺんが首長です。大きな三角形のトップからDXを進めるか、それともボトムアップでいくか。私は両方を同時に進めていくのが良いと思います。幹部層には、現場で一生懸命に取り組んでいるので支援してください、と訴えて、現場の人たちには、上がしっかり応援する体制ができたのでがんばりましょう、と。この両輪が重要です。
Q)目的と手段を入れ替えてはいけない、というお話が印象的でした。例えば、DXがうまく進まなかった実例があれば教えてください。
A)組織の共同作業を効率よく動かすために、スケジュールやメールや人の動きなどを共有化していく、グループウェアというジャンルのソフトウェアがあります。これを、目的意識をちゃんと浸透させることもなく、ただ人気だから、と導入する会社があります。すると早晩、無用の長物になってしまうのです。ただランニングコストだけが無駄にかさんでいきます。まさに目的を決めずに手段だけを決めてしまう悪例ですね。
Q)就活の準備をしているのですが、自分の強みをうまく整理できません。アドバイスをいただけますか?
A)私は定期的に、自分の職務経歴書を書いています。現在にいたるまでどんな企業でどんな仕事をしてきたか。そしてどんな成果を上げてきたかを一覧にするわけです。皆さんも同様に、高校からこれまでの学生生活の棚卸しをしてみてください。書きだしてみると、自分でもこれは深掘りできるかな、ということがきっとあるはずです。それが強みになります。
Q)どういうところに気をつければ、目的と手段を混同することが防げるものでしょうか?
A)何か大きなことに取り組むときに、勢いのまま走るのでは無く、ちょっと立ち止まって考えてみてはどうでしょう。いま自分がやろうとしていることの真の目的はなにか、と。大きいことをするときに、一歩立ち止まって、その行動自体が目的なのか、手段なのかというのを確認することが重要だと思います。動いてしまった後では修正も難しいと思います。とはいえ、動いてしまっている場合でも途中で何か疑問や違和感を覚えたら、一旦立ち止まってみると良いと思います。
Q)ビジネスの世界では英語力とプレゼンテーション力が大事なんだな、と思いました。このふたつを高めるために栗城さんが取り組んだことはどんなことですか?
A)英語に関しては、英語を使う場面が出てきたら絶対に必要ですよね。だから英語が必須の世界に入っていきたい人は、いまから磨いて行かなければなりません。海外研修がある企業に入りたいのであれば、十分な準備をする必要はあるでしょう。現在の私は、英語必須の世界にはいません。
プレゼンテーションについては、実は私は函館高専に入学したころから意識していました。とにかく自分から何かを発信することを意識していたのです。授業では先生に質問をしたり。先生にとっても、基本的に質問はウェルカムですからね。
Q)理系の分野から商学まで、幅広い領域の知識を持つことが強みであるとおっしゃいましたが、そういうことをお考えになったり、あるいは実感することはありましたか?
A)キーワードはふたつあります。まず、「DX」。デジタル技術を活用することでより良い社会を作っていくためには、やはりさまざまな分野の知識が必要ですね。もうひとつは、就活のときに私が意識した、「ゼネラリスト」。幅広い学びを通してさまざまなことに精通している人材が評価される世界があります。
Q)商大は幅広い分野の学びが得られるところだと思うのですが、思い出に残っている講義や先生はいらっしゃいますか?
A)統計学はやはり価値ある学びだったと思います。とにかく社会を実際に動かしている力を理論的に学ぶ、幅広い知識が得られたと思います。
Q)勉強以外のことを含めて、学生時代に打ち込んでいたことがありますか?その中で現在の仕事に活きていることはどんなことですか?
A)部活を楽しむ時間の余裕がなかったので、勉強のほかには塾講師のアルバイトを一生懸命していました。塾の授業では、生徒にいかに効果的に学力をつけてもらえるかをつねに考えました。また教室運営の面でも仕事をしていたので、マネジメントの分野にも力を注ぎました。講師のシフトとか模試の結果の管理などです。
それらはいまの仕事にも深く関わっていると思います。当時のことを振り返ると、バラバラに分散している模試の結果を一枚のエクセルシートにまとめることで、生徒たちの学習成果が見事に見える化できたことが印象的でした。データは分散しているだけではほとんど何も語ってくれません。それをまとめて生徒や保護者の方に渡すと、たいへん喜ばれました。
Q)編入学をされて小樽商科大学で学んでみて、感じたメリットや意義についてどんなことが言えますか?
A)高専で学ぶことができなかった経営学や商学などが学べたことですね。分野としては重なるところも少なくない社会情報学科の専門科目につても同様です。統計学のような世界ですね。高専で学んだ技術系の学問が社会にどうのように接続されているか、ということが理解できたと思います。
Q)AIの進展は、これから社会をどのように変えていくでしょうか?
A)AIの進歩は、いま皆さんが想像する以上に、数カ月単位で進んでいます。このままでは仕事の現場に必要な人間の数は間違いなく減っていくでしょう。ですから必要な人材は、AIを使いこなす側の人間です。皆さんもChatGPTなどを使っていると思いますが、選挙戦などでは事実とは異なる情報がSNS上で拡散しています。ファクトチェックの重要性がますます高まっています。AIは、存在しないものをあたかも事実のように捏造していくケースがどんどん増えています。例えばAIで私の名前を検索すると、無くなった登山家の情報がたくさんが出てきます。彼は私の再従兄弟(はとこ)でした。場合によってAIとは、そのくらい頼りにならないものなのです。まずそのことを意識しましょう。
