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教員インタビュー 松家仁教授

  • <担当科目>
  • 経済史

松家仁 教授
MATSUKA Jin


ポーランド(西部)を中心とした20世紀東欧社会経済史

 私は、小樽商科大学で「外国経済史Ⅱ」などの科目を教えている教員として「社会経済史」という視点にこだわってきました。生活者という言葉がありますが、生きているということだけで、すべての個人はなんらかの経済活動を行っており、それゆえ人類史はすべて経済の歴史に結びつくわけですから、そもそも「社会経済史」とは、広範な社会全体を対象としている学問です。

 1994年にポーランド西部に留学したとき、ポーランドの指導教授に、第二次大戦より研究が進んでいなかった第一次大戦期の都市経済をテーマとするように指導を受けました。その後、食糧配給政策を中心に本格的に第一次大戦後から第二次大戦勃発までの時期の食糧問題について焦点を当てて、研究を進めてきました(ちなみに私の名前で検索すると論文が読めます)。

 ヨーロッパはどこでも民族・言語・宗教的に多様な地域ですが、とりわけポーランド現代史は、分割されたり、二つの大戦の戦禍を蒙ったりしたことから、周辺や内部の諸民族との複雑な歴史があり、多言語的・異文化的な視点が求められるテーマです。

なぜポーランド史なのか

 学部時代の卒業論文は、大韓民国の農業政策史でしたから、もともと諸大国と隣接し、絶えず隣からの侵略の脅威にさらされている国民への関心がありました。大学院に進学した際に、ドイツ経済史を専門とする教授に指導をお願いしたところ、ドイツ語に加えて、もう一つ東欧の言語を学習してその関係性を研究してみたらどうか、との指導を受け、ポーランド語を始めたわけです。

 さて、卒論を韓国史で書いていた時、戦前の日本で刊行された植民地としての朝鮮を対象とした研究にも触れたのですが、「朝鮮の農家は勤勉ではない」と主張する論文を読みました。しかし学生時代には韓国は高度成長を迎えており、それを支えている韓国人の勤勉性はすでに1980年代には注目されていたのです。

 当時の日本の「社会経済史」は、マルクスかヴェーバーかといった時代が続いていて、勤勉さと宗教の関係について多くの先学が議論していました。しかし現在では、大韓民国の国民は世界で最も勤勉な民族の一つとして知られています。なぜ前述の敗戦前の日本の研究とこれほどのギャップが生じたのか、その社会経済的な条件こそ考えてみるべきだとの問題意識を持ちました。

 そこでヨーロッパ史に移るにあたってプロイセンの支配下にあった時代のポーランド人についての研究や同時代の文献を調べてみると、当時のポーランドの社会活動家は「時は金なり」というアメリカのことわざを掲げて、ドイツ人に負けないように勤勉にそして誠実に働くべきだと説き、成果をあげていたことがわかったのです。

「北海道:日本の中の最もポーランド的な島」

 ポーランドの地域研究と日本の北海道という地域とのかかわりについて語ることは難しいです。ただロシアという共通の隣人を持っていること、北海道の北隣の樺太にポーランド人学校が存在していたことや、アイヌ民族とともに暮らしながら研究し、日本に家族を残したポーランド人がいたこと、そして札幌で布教に取り組んでいたカトリック教徒の中にポーランド人がいたことなど、日本の北方地域とポーランドとのかかわりは、他の日本の地域よりも強いと個人的には思います。ちなみに札幌在住のポーランド人の中には、気候も自然環境も近い北海道を「日本の中の最もポーランド的な島」と呼ぶ人もいます。

「斜陽都市」から考える

 経済史を学ぶには、小樽は日本でもっとも適した都市の一つであることについては、説明の必要はないと思います。街全体が歴史博物館のようになっていますから、歴史に関心がある人は毎日なにか発見できる暮らしもできます。

 しかし過去だけではなく、日本の未来を考えるにも小樽は適した場所でもあるのです。小樽市は、昭和時代から「斜陽都市」と呼ばれ、人口流出と高齢化問題がますます深刻になっています。戦争や疫病や災害という深刻な人口減要因や、移民の急速な増加といった人口増要因はあるものの、それでも人口は数十年先の状況を最も予想しやすい指標です。日本全体の人口減少に先立って、小樽で人口減少と高齢化が進んでいるのですから、小樽を4年間観察すれば、数十年後の日本全体の社会経済をある程度予想できるように思えます。

 高齢化と人口減少が進んでいる地域の現実を実体験すれば、悲観的な予想が強まってしまうのですが、観光が主要産業の一つであり、外国からの観光客の増加に伴う、美術館の整備や新たなホテルの建設など、さまざまな投資が小樽では進められており、人口減少社会にどうやって今後の日本経済が対応していけばよいのかを落ち着いて考えるには、小樽はふさわしい場所です。そして、札幌に隣接しているので、華やかさが恋しくなったら、ぶらっと札幌にいけばよいのです。

生成AIで歴史学の未来はどうなる?

 生成AIの急激な進化に伴って、今後の歴史研究のあり方も大きく変わっていくように思えます。インターネットでますます多くの史料・文献が公表され、書籍やタイプライター文書のみならず、手書きの文書を読み込む技術も急速に進化しています。ひとりの人間が数百年かけても読み切れない量の手書き史料を生成AIが読み込んで、これまで誰も気づかなかった連関性を見つけて、詳細な一次資料や参考文献の脚注付きの論文のアイディアを次々と出してくる時代がやってきているのです。

 これはコピー機の出現、インターネット検索、自動翻訳の精度向上を超えた、歴史学研究の革命を引き起こすでしょう。そうなってくると、歴史家に求められることは、

a/ 各地の文書館や個人・企業が所蔵するインターネットで公表されていない資料を探し歩く

b/ 実際に現地に長期間滞在して、自然や環境と触れ合い、さまざまな人と対話したり、インタビューしたりする

ということになるでしょう。そして

c/ そしてAIが出してくるアイディアに対しても正確さを吟味し、批判的で異なった方法論や観点から考えるのに役立つ広範な知識(例えば、哲学や思想など)を磨くことも求められてくるはずです。ちなみに現在、インターネットを通して、多くの書籍や論文が無償で読める時代ですから、若い人たちはゲームでお小遣いを使い果たしてしまっても、さまざまな古典的な作品・論文に新たな負担なく接することができます。

 さて最後になりますが、この文書を書く依頼を受けたとき、これをAIに書かせようと思ったのですが、そもそも使えないし、結局自分で書きました。人間が書いたものとして面白く読んでいただけると幸いです。


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