講義テーマ:「日本の金融機関の変遷とマーケットの変化」
       
−我が国の金融機関を取り巻く環境の変化と
                      貯蓄から投資への流れの本質−


                                  2005283 武部 友里

1.講義内容の要約

 日本の金融機関を取り巻く環境は主に、1970年代のオイルショックと、1990年代のバブル崩壊によって大きく変化した。
 1973年、第4次中東戦争に端を発した第1次オイルショックが発生し、不況に陥った。これにより政府は歳入不足を補うために国債の大量発行を行い、発行された国債は銀行などが引き受けていたが、発行額が多額になるにつれ経営を圧迫しはじめたため、国債の市中売却が許可され、自由金利の再建流通市場が誕生した。この金利自由化により、預金など規制金利市場から資金の流失が生じ、金融機関の間で資金獲得のための金融商品開発競争を引き起こす契機となった。また、経済大国化するにつれ海外から対外資本取引の規制緩和の要請を請け、改正外為法により、対外資本取引について「原則禁止」から「原則自由・有事規制」に転換した。
 このような金融の自由化・国際化が進むなか、日本はバブル経済に突入していった。1985年のG5でのプラザ合意で合意された国際政策協調のもと、日本は低金利政策を継続し、マネーサプライは膨張していった。1990年代に入り、バブルが崩壊すると、バブル期の過剰貸し出しが一気に不良債権化し、金融機関がつぎつぎに破綻していき、金融システムの安定化が懸念されるようになった。さらに国際決済銀行によるBIS規制により自己資本の一部として認められていた株価の含みが縮小されることになり、銀行はそれまでの量的拡大経営では経営していけなくなった。また、金融取引が日本から海外へ流出してしまうという金融の空洞化現象も起こった。
 こうして、日本の金融システムの抜本的な改革の必要性が高まり、金融ビッグバンと呼ばれる金融システム改革プランが出された。この提言のもとで、改正外為法や金融システム改革法が施行されることになった。金融ビッグバンの基本理念は、フリー、フェア、グローバルで、価格規制や参入規制を排し、公正で国際的な金融市場を目指すという理念である。このようにして、日本の金融市場は、相対型間接金融市場から、市場型間接金融市場へと移行していったのである。


2.問題提起及びコメント

 日本経済が高成長から低成長へと移行した要因の一つに、流動性資金の運用があげられる。流動性資金を運用せずに預金などでとどめてしまうと、経済は活性化されない。日本国民は、流動性資金があってもほぼ預金する人がほとんどだろう。最近は、株や債権の運用資金として使用する人も増えてきている。証券会社などは、これから退職をむかえるいわゆる団塊の世代の人々の退職金を、株に投資することを勧めるといった活動をしていくという。海外の証券取引は、企業の株主に対する対応が良い(株主を大切にする)ため日本よりも活発であるという。日本の株主は株を購入するだけで、まだまだ運用とまでには至っていないため、今後は株を運用する人々の知識の蓄積、企業の制度改革などが必要なってくるのではないだろうか。

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