シャンド Shand, Alexander Allan (1844〜1930)


 スコットランド人で、Chartered Mercantile Bank of India, London & China の一員として慶応2年(1866)に来日。わが国銀行制度創建に際し、明治5年7月大蔵省に招かれ、10月紙幣寮書記官に任ぜられた。明治6年12月『銀行簿記精法』原作のほか、銀行業務教育指導検査を兼務し、同10年『銀行大意』、稿本『日本国立銀行事務取扱方』など業績多く、功績きわめて大きい。明治10年3月帰英、Alliance Bank, Paar's Bank の要職歴任。わが国外債募集に貢献し、明治41年には勲二等瑞宝章を贈られた。(西川孝治郎稿)

黒澤清編集代表『会計学辞典』東洋経済新報社,1982年。


小樽商科大学付属図書館蔵


 百二十四年前の今日,明示六年(一八七三年)六月十一日,日本最初の近代的銀行である第一国立銀行の設立総会が開かれている。日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行となる一方の母体である。和洋折衷の本店は新東京の名物として錦絵にもなった。

 新銀行は船出から荒波をかぶった。開業の翌年,三井組と並ぶ銀行の大株主で多額の信用貸しがあった小野組が破たんした。小野組危うしの情報をいち早くつかんだ渋沢栄一総監役の機敏な対応や,小野組が進んで抵当を差し出したこともあり何とか危機を乗り切る。この事態に紙幣寮(大蔵省銀行局の前身)が急きょ銀行検査をしている。

 日本で最初の銀行検査は紙幣寮のお雇い英国人のアーランッシャンドが担当した。その検査報告書の一節に「政府ハ銀行ノ勘定ノ虚算ヲ許ス事素ヨリアルベカラズ。正シキ実際ヲ公告スルハ銀行ノ信用ヲ増スルノ利アル事ナリ。若シ虚算ヲシテ差引残高表及ビ諸簿冊中ニ加入スルヲ得セシメバ,到底銀行の信用ヲ棄損スルノ患アルベシ。」

 以上は「(旧)第一銀行史」で知った。第一勧銀の総会屋への利益提供は窓口の総務部だけでなく融資ッ審査部門も関与した「銀行ぐるみ」の疑いが強まり東京地検の捜査が一段階進んだ昨日,五十四歳の新頭取が決まった。新経営陣は創業的出直しをしてほしい。後世の史家に,金融ビッグバンとはビッグバンク(大銀行)の自爆のこと,などと注釈されないためにも。

        『日本経済新聞』「春秋」1997年6月11日より