日本の家族制度

  前の総理大臣の森喜朗が教育勅語を持ち上げて,「親を大切にしようといったいいことも書かれている」と言ったらしいが,実は家父長制を中心とした「伝統的」日本の家族制度は,それほど歴史を持ったものではない。そもそも江戸時代には家父長制は,九州の一部の武士階級にのみ用いられていた制度であり,一般的な制度とはいえなかったのだ。ついでに言うと平安時代には,一族の中の有能な子供を本家の養子にして家督を継がせるなどということも行われていたわけだし,新生児の生存率が低かった時代には,結局のところ,誰が後を次ぐか,あるいは誰が家の中心となるか,ということはケース・バイ・ケースであったといってよいだろう。親の面倒は結局のところ家族の中のゆとりがあるものが見ていたということが実際のところであり,長子相続は必ずしも主流ではなかった。

  これを本格的に整備したのが明治政府であり,日本を天皇を親と見立てた家族システムとし,それと父系を中心とした個々の家族を相似させることによって社会制度を作り上げたのである。この理由は簡単で,(1)西洋型社会システムを導入して近代社会に擬制しようとした,(2)資本主義型生産システムに都合が良かった,(3)天皇中心の政治システムを作り上げるのに都合が良かった,ということなどが上げられる。(3)の場合,森喜朗がのんきに語った「天皇中心の神の国」などというものとは異なり(元老たちの明治天皇に対する侮蔑的態度はいくつか記録が残っている),統治システムとしての中心という意味が強い(したがって,実権が天皇にあるかどうかということとは無関係である。この意味で戦前戦後を通じで天皇は実質的に象徴でしかない)。

  人の記憶なんてものはいいかげんなもので,おじいちゃん,おばあちゃんが語れば「昔からそうなっている」と思ってしまう。しかしよく考えてみれば祖父たちの記憶などというものはせいぜい5,60年前の話であり,それをあたかも日本の2000年の歴史を通じた伝統であると見なしてしまうことはよくある錯覚である(例えば,国技相撲は,昔は「悪所」で行われていた大道芸であり,明治期には近代化政策の一環で廃止されそうになった。空手は元々,中国福建省から琉球に伝わった格闘技で,明治期の終わりに本土に紹介されたときには蔑視をもって迎えられた(その意味で『姿三四郎』の中の檜垣は,当時の状況を良く表している))。こういう錯覚を明らかにすることは,歴史学や科学の一つの仕事なのだが,幻想否定にかかわる主張は耳に痛くなかなか聞いてもらえないのが現実である。

  しかしながら,明治政府の努力にも関わらず,農業国家では所詮,夫婦とも労働力とならざるを得ず,むしろ家父長制は工業化の進んだ戦後に成長したものと考えて良い(当然,強い父親像も高度経済成長期の産物である)。しょせん底の浅い制度が長続きするまでもなく,核家族化の進展そして経済成長の終了とともに,父親の権威の形骸化は急速に進むことになった。日本社会の不幸は,父親の権威の否定が「父親が作り上げたもの」への否定を伴っていたことにもある。現在,起こっている道徳の混乱,既存の社会ルールの崩壊は,確かに父性復活論者の言うように,父性の喪失によるところが多いと思うが,そもそも父権中心社会が日本社会にとっては基盤の脆弱なものであったことを考えれば,父性を無理して復活したところで問題の本質的解決にはつながらないし,弊害の方が大きいだろう(ファシズムの復活とか)。

  いまさら団塊の世代に態度を改めろとか,責任をとれとかいう気は毛頭ないのだが,既に父親,母親となっている我々の世代はモデルとすべき,父母像が決定的に欠けている。果たして,それらを自らの手で確立できるかどうかはいまだ不明である。

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