Harry Parker
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| ―10月15日(火)― |
| 朝練 7:30艇庫到着 いよいよハーバードの練習にオブザーバーとして加わる。いきなりハリー=パーカーのモーターに同乗することになってしまった。ハリーの隣にはショーン君、ただの学生。既にrowersは準備している。昨夜チャーリーは4人の学生と電話で打ち合わせしていたらしい。気候は今頃の札幌とあまり変わらない。思っていたとおり。 8+を2つ並べてレース形式の練習。一つはエンパ、一つはRESOLUTE。30st×4 スクエアリングも盛んに指摘。メニューはその場で伝えられている。コックスもメニューを把握していない。休んでいる間にいろんなことを言う。コーチが運転しているからアドバイスに間が空かない。メインメニューはr.33くらいのRACEPACE。1’〜90”を数セット ハリーさんはメニュー中はほとんど何も言わない。各セットの出だしの号令(日本で言う“さぁ行こう!”にあたるもの)を叫んだら後はじっと観察している。そしてラスト10本のところで“LAST TEN!”と叫ぶ。2〜3セットずつ止まってレストを入れるがとても短い。その間に言いたいことをすべて言っている。ラストセットのみ2’。練習が短い!正味のメニューは多分40’くらい。 |
| ―10月16日(水)― |
| 朝 なんとあのハリー=パーカーと二人きりでモーターに乗ることになった。緊張で何も話しかけられず。せめて彼のコーチングを昨日より多くビデオに収めようと思ったが雨模様の為断念。HM4+を2ハイ並べてrace rate 4’×3。差がついたら勝った方にハンデをつけて次のセットをスタートさせるのはチャーリーが日本でやっていたのと同じである。遅かったほうも最後の方ではあまり差がつかなくなっているので驚いた。これもハリー氏のカリスマ性とでも言うべきか。 一雨きそうな天気だなと思っていたら、一雨どころか大雨になってしまう。チャーリーは仕事でどこかに行ってしまう。ランチにも出られない(傘がない)ので、BANCROFT ROOMで過ごす。寒かった。練習が無い時間はこのBANCROFT ROOMを自分の部屋代わりにして過ごさせてもらった(チャーリーは「ここがタニツのオフィスだ」と言ってくれたが)。艇庫の入り口を入ってすぐ左側にある8帖ほどの小さな部屋で、BANCROFTとは19世紀後半から20世紀前半にかけ親子3代に渡ってハーバードの全盛期を築いた先人の名前である。この部屋は1979年にその子孫が記念に作らせたメモリアルルームである。当時本人が使っていた木製のオールだけでなく乗っていたエイトの船体の6番のところを輪切りにカットしたものまで飾ってある。先人の偉業自体も素晴らしいがその伝え方も凝っている。しかし実質的には選手が練習ビデオを見るだけの部屋となっている。寂しい気もするがそんなものかも知れない。 16:00になっても乗艇する気配がない。上に上っていったら学生が何人かErgoを漕いだり筋トレをしていた。ハリー=パーカーの部下で重量級の新人担当コーチのBillが数名を指導、おそらくメニューは10'×2くらい(r.22〜24?)。そのうちの一人にぶら下がって尻を浮かすドリル(ハンドルをBillがつかんだ状態で)をやらせていた。商大でもおなじみのドリルだがあまり個人練習としてはやったことがなかった。必要と思ったら即実行に移すべし。一人一人テーマは違うのだから。でも新型Ergoで尻浮かしはコーチ泣かせだ。モロに選手の体重を手で支えなければならない。 夜チャーリー宅で子どもたちへのおみやげを渡す。中身はJapanese traditional toys、ケン玉、独楽、達磨落としに紙風船である。和紙のきれいなラッピングに奥さんが感動していた。子供達にも喜んでもらえて何より。コンピューターゲームに夢中で見向きもされなかったらどうしようと思った。特に自分が教えた紙風船バレーボールは寝るのも惜しんでやりたがるもんだからチャーリーパパのお叱りが何度も飛び5つもあった紙風船は破れるまで一週間も持たなかった。そういえばチャーリーの家にはテレビがない。子どもも上ってこないような3Fにあるだけだ。 |