以下のメッセージは,平成17年10月19日に開催された第2回就職ガイダンスにおいて,「緑丘の後輩へのメッセージ」と題しご講演くださいました住友商事株式会社代表取締役副社長執行役員島崎憲明氏のご講演要旨です。島崎氏のご了解の下,当日出席できなかった後輩へ発信するものです。

緑丘の後輩へのメッセージ

住友商事株式会社 代表取締役 副社長執行役員  島 崎 憲 明 (昭和44年本学商学部卒業)

1.緑丘を離れて36年

  • 10月14日モスクワから帰国しました。
今回の出張は5日間でしたがマドリッド、ブラッセル、モスクワと3都市を訪問しました。
先週の水曜日はモスクワにいました。雲一つ無い快晴で今日の小樽と全く同じ気候でした。モスクワから東京への帰路は丁度 北海道の北側を飛びますが、それを考えた時、
昔、小樽は樺太、ロシアなどとの貿易も盛んに行われたと聞いていたことを思い出しました。

私が学生時代であった今から40年程前、まだ小樽に運河が全て残っていた頃の話ですが、小樽の港にロシアから入船する北洋材の輸入貨物船の荷降しのバイトに精を出していたこと、これは輸入原木の本数をかぞえる仕事で、ロシアの船員とタバコと交換し、ウォッカを初めて飲ませてもらったことを、ついこの間にあった様に記憶がよみがえってきました。
その時の輸入業者(荷主)が今は同業の三井物産であったことは、今思うと人間の縁とか出合いというのは何も筋書きがある訳ではないが、結果として後から振り返ると何か必然的な糸でつながっている様にも思える訳であり、不思議です。


  • 私も緑丘を離れて36年になり、満59才になりました。
来年は60才、還暦をむかえます。
60年で再び生まれた年の干支に還るから還暦というそうです。


  • 私は将来を語るより過去を振り返る方が多くなる程、人生を歩み、職業人として色々な経験をしてきましたが、今日は緑丘の先輩としてこれからの将来に向って大きく羽ばたく皆さんに対して、何か参考になることでも話をさせて頂こうということで東京からやってきました。


  • 私は道産子です。今はどうなっているのか判りませんが、網走支庁の湧別町(生まれたときは村でした(武部幹事長の選挙区です))で生まれ、高校まで地元におりました。
私の家は明治になって富山の高岡藩から屯田兵として一族がこの地に入植したと聞いております。今年、"北の零年"という映画がヒットしましたが、私はこの映画を海外出張の機内で見て大変感動し、私が祖母から聞いていた苦労話とダブり、涙が止まりませんでした。
この北海道、北の大地(新党大地というのもありますが)は、この様な先人により開拓されてきたのだ、私達はその様な血を受け継いでいるのだという思いを新たにした訳であります。


  • 自分のルーツについて考えてみたことがありますか?
私は数年前に黒部・立山に旅行した際に、私のルーツである旧高岡藩である富山県の高岡市を訪れました。
ここは屯田兵として北海道に来る前まで住んでいた街ですが、何丁目、何番地まで確認して、ここから富山湾、稚内を経て湧別という地に入植したのだとの思いに浸りました。


  • 私は今までを振り返ると、オホーツクの街に18年、小樽に4年、大阪6年、東京9年、NY8年、再び東京で13年となりますが、この中でも小樽での4年間は一番思い出が詰まっています。心身共に大人に成長する時期に過ごした街はその後の社会人としての生き方そのものにも大きな影響を与えたのではないかと思います。
社会に出てから大阪、東京、NY、東京と転勤、それぞれの地で家を購入して、その土地その土地での生活をエンジョイしましたが、 中でも小樽という街は私にとっては特別な意味合の街であり別格であるとも云えましょう。



2.私の学生生活

  • 今日は就職課から12時16分 小樽着のエアポート111号で小樽に来てください。
高橋さんが駅でお迎えしますとの連絡を受けてその通り乗り継いで来た訳ですが、40年前に入学した時にも同じことがあり、それを思い出しました。
当時の学生寮(智明寮)は1学年50人で4年生までで200人という所帯で学生が運営する自治寮でした。私が入学したころは全学生数は1,000人足らずだったと思いますが、4,5人に1人は寮生で女性は全員でも10人はいなかったと思います。
寮の運営委員会から通知があって、「入寮を認める。何日の何時何分の列車で小樽に来る様に」とのことで、小樽の駅に降り立った訳ですが、寮の先輩達が「小樽商大」「智明寮」という幟を立てて、小樽駅で出迎えてくれました。
その日が小樽での生活の第一日目であり、小樽の駅を背にして「これから4年間小樽でお世話になる湧別高校の島崎です。」と大声で何度も叫んだことを昨日の事の様に思い出します。今日も小樽の駅が同じ姿で私を迎えてくれたことに懐かしさがこみ上げてきました。


  • 私の両親が札幌に住んでいることもあって、年に数回は来道する機会がありますが、そのたびに時間が許せば小樽に寄ってみたいと思い、車であちこちを廻り、昔の思い出に浸るのを楽しみにしております。


  • 4年間の寮生活には色々な思い出がありますが、生涯の友を得たのもここであったと思います。沢山の人との出会いがありました。
1年生の時に同室だった1年上の先輩に佐々木憲昭さんがいました。
共産党衆議院議員として活躍されております。
仕事の関係でお付合いのある明治安田生命の専務さんが私の一学年下で、寮で同室になったことがあり、私のベッドの下(二段ベッド)で寝ていた人であったということが判り、昔話に花が咲きました。明治生命と安田生命が合併した際の合併協議委員会において、この専務が明治の代表で、安田側を代表する常務も私より3年下の寮生であったことが判り、商大もなかなか頑張っているなということになりました。


  • 学生時代に打ち込んだ事といえば、バスケットボールがまず第一でしょう。
社会人になってからも30才位までは会社のクラブで楽しみました。7年程前に右足のアキレス腱を断裂し、今はプレーをしていません。会社のクラブのOBとして試合の応援に行ったり、飲み会に参加したりしています。若手と共通の趣味を通じて付き合うのは気持ちも若返るし、精神衛生上も大変結構なことであると思っております。


  • 今もあるのかどうか判りませんが、応援団の団長もやりました。私は52代の団長でしたから、今まで続いているとすると90代位だろうと思います。小樽高商以来の伝統を継承する応援団はその当時でも十分過ぎる程のバンカラで、入団希望者も多くはありませんでした。
自分達の世代で途絶えさせてはいけないと団員の確保等に苦労したことを思い出します。
伝統というのは一旦途切れると、駅伝のタスキが渡らなかった時と同じ様に再び復活するのはなかなか難しいと思います。


  • 7月の末に東京で寮生同期会を開き、12人が集まりました。
昔話で盛り上がりましたが、寮の復活を望む声も多かった様に思います。


  • たまたま今年の夏にドイツの化学品会社BASFから研修生として1ヶ月間当社に派遣されたシュナイダー・ヨヘン君は、1998年に留学生として一年間商大で学んだとのこと。また、奥様も商大のOGとのことでした。商大は卒業生の数も少ないので、商大卒というだけで即親近感を覚える訳ですが、これは他大学にはあまり無い商大の良いところではないかと思います。



3.私の就職活動

  • 私が住友商事に入社することになったきっかけは、バスケと選択したゼミにあります。
ゼミの選択については当初管理科学学科を選び2年目から数学関係の科目を選択科目として履修していましたが、これらの授業が3時からのバスケの練習と重なり、出席することが難しいという状態でした。或る日、管理科学学科の教授から、更に上級生になると、より専門的な数学等の履修が必要となるので、授業に出る事は必須であり、今の様な中途半端な姿勢では付いて行けない、この学科を続けるのなら3時以降の授業に出れるようにしなさいということでした。
バスケを取るか、この学科を続けるか決断をせまられた訳であります。
結論はバスケを続けることでした。新しいゼミは寮の諸先輩の意見も聞いて麻田ゼミ(国際経済学)に決めました。
たまたま1年生の時の同室の先輩に麻田ゼミの方がおられ、ほとんど授業には出ないが、ゼミの勉強には力が入っていて夜遅くまで原書を読んでいた人でした。
先輩から自然に学ぶという意味でも寮生活は有意義であったと思います。


  • 卒論はインドの経済発展と教育問題をテーマにしました。
私は教職課程も履修し、「教育」ということにも大変興味があり、経済の発展には人的な資源というものが大きな要因となり、それを育てるための教育が重要であるということで、教育ということに大変関心がありました。
日本を始めとして、欧米の先進国もそうであった様にインドが先進国に仲間入りするには、人的資源の開発がまずは必要である、時間はかかるが50年位で仲間入り出来るのではないかというのが、まとめであった様に思います。今インドはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)の1ヶ国として経済成長目ざましく、大変注目を浴びているところでもあります。


  • いよいよ就職活動の時期になりました。
当時は指定校制度のあった時代で、各企業は採用する大学を予め決めており、希望者は学校の推薦をもらって採用試験、面接を受けに行くというやり方でありました。
4,5月頃から就職活動が始まりましたが、丁度その頃はバスケの春のリーグ戦などもあって、東京に行くのもおっくうであり、北海道で試験をやってくれる会社はないかと思っていたところ、その一社に住友商事がありました。学校から5人推薦され、4人が採用と決まりましたが4人共、麻田ゼミでした。当時の住商の人事部長(後に専務になった人)は麻田先生と小樽高商、東京商大を通した友人であったとのことで、北海道から元気の良い人を採用したいということで、私も推薦された訳であります。


  • 初めから大きな志を持って商社に入った訳ではありません。
種々の運と縁の結果が、私の職業を決めたと云えましょう。


  • 入社して勤務地の希望を出しました。第一東京、第二札幌、第三大阪でしたが、最初の勤務地は大阪となりました。
しかも配属先は主計課(決算、税務、予算などを担当)というところで、全く予想もしていなかった部署でありました。大学で履修した会計学、簿記論はもとより、商法、民法などの法律関係も役に立ちました。この入社した時の仕事が私の職業人としてのバックボーンになっており、また第三希望であった大阪で伴侶とめぐり会い、家庭を持つことになりましたが、これも又、運と縁としか云い様がありません。



4.私の365日

私は副社長として取締役会のメンバーであると共に執行役員として財務・経理・リスクマネジメント、人事・総務・情報システム、内部監査部など幅広い分野を担当しております。多岐に亘り、種類の異なる仕事を同時にこなしていく能力と体力が求められます。
ある時、新聞の取材で、「これだけの業務範囲をよくやれますね、何かコツでもありますか」
と聞かれたことがあり、私は「学生時代にもマルチ型人間で色々なことをやっていました。応援団長、体育会会長、バスケット、尺八、自治寮の委員、寮祭の実行委員長とか色々やっていました」と。
学生時代に興味を持って、あるいは人から頼まれてチャレンジしたことが、社会に出てから役に立ったし、今でもそれが下地になっていると思います。勉強の方もそこそこやりましたが、それよりも沢山の人と出会い、人をまとめ、組織を引っ張っていくような雑多の役回りが自分の成長にとってより重要であった訳であります。ビジョンの明確化、チームワークの推進、リーダーシップの発揮、責任感の醸成など社会に出てから仕事を進める上で求められる必須の事柄を学生時代からやらせてもらっていたのだ、ということを社会に出て10年位経って管理職になったときに認識しました。
私が応援団長に推されたのは2つの理由からでした。酒が強いのと声が大きいという事でした。応援団長としての晴れの舞台は北大との体育会定期戦の初日に両校が対面する対面式でありました。私の時は北大に乗り込んだ訳ですが、寮生・学生200〜300人と電車で札幌に向かい札幌駅で恵迪寮から出てくる北大応援団・学生と合流し、お互いに寮歌、校歌を唄いながら大通り公園まで行進し、そこで対面式が始まりました。両校50年余先輩から引続いてきた歌あり、演武あり、舞いあり、最後に両校団長の挑戦状と応援状をあらん限りの大声でぶつけ合います。その後は円山球場での野球の応援です。当時野球部は全道で最強、神宮の全国大会にも出場した程の実力で応援に力が入りました。三塁スタンドと一塁スタンドの両校団長のエール交換で始まり、エール交換で終わるのです。この日のためにノドから血の出るような、腹筋が痛く、熱くなり声が出なくなるまで発声練習をくり返しました。蘭島海岸での長い合宿もこの一声のためにあったのです。
野球の後はススキノでの両校応援団のコンパです。両校で50〜60人の団員が出席、会は延々と続きます。この日のためにとにかく入学後酒の量を上げることに力を注ぎました。飲みに行った時は最低一升は飲むことを目指して鍛えました。
宴の最後は生花の鉢を盃代わりにして、残った酒を満々と注ぎ団長が一気に飲んで、その後団長同士による踊りで幕となりました。全くばかげたことを大真面目でやりました。いま思うと、良くやったよということでしょうが、それが若さというものなのだろうと思います。
応援団の同期生は7人でしたが、バスケ、空手、ヨット、剣道をやっていた者、学生運動に熱中し自治会の幹部をやった者、何もせずにいつも寮で酒を飲んで寝ていた奴など、勉強はあまりしていなかったが、パッションの塊みたいな連中の集まりで仲間意識も大変強いものがありました。ある時学生運動をやっていた団員のひとりがデモで小樽警察署に連行され一晩拘置所のお世話になりました。私は全くのノンポリで学生運動には興味がありませんでしたが、友人の奪還デモなるものにヘルメットを被って参加したことがありました。後にも先にも学生デモに加わったのはこれが一度ですが、激しいデモで大変緊張したことを思い出します。情熱がある奴は社会に出ても熱く人生を歩むということを我々仲間のその後の人生を見ていると感じます。(上場会社の社長、県の副知事、会社役員など)
私の今の仕事は外国人も含め、人と会う機会が大変多い仕事ですが、人と会って話をすることが大好きで、人との関係を大事にする人でなければ今の私の仕事は苦痛だと思います。社内に於いてもシニア層から若い層まで数百人の部下がおりますが、その様な人達ともそれぞれの人の目線に合わせてコミュニケーションをとることを大事にしています。
仕事は一人では出来ません。チームワークが発揮されなくては良い仕事、大きな仕事は出来ません。このことを常に頭において仕事をやっております。
次に仕事のオンとオフについて話をします。スポーツでの緩急、インターバルにも通じることですが、仕事オンの状態でテンションを高め、集中するには、オフの時間をいかに有効に作れるかが大変重要であります。心身ともにリラックス出来る空間、時間をいかにして創るかということであります。このオフが次のオンの助走路になっている訳であります。私は幸いに学生時代から趣味が広く、これがオフタイムを過ごす上で大変助かっております。
皆さんにも趣味を広く持つことが、社会に出た後に大いに役立つことを申し上げておきたいと思います。



5.最近の就職事情について

  • バブル崩壊から10年以上続いた景気の後退局面はそのターニングポイントを迎えようとしています。デフレ経済からの脱却であります。
2005年3月期の企業決算、及び2006年3月期の業績予想をみても企業の景況感はかなり良い数字を示しています。過去最高益を更新する会社も続出しております。ここに来て、株式市場も活況を呈しております。株価は企業業績の将来を反映したものと云われておりますが、鉄鋼、重電機、金融機関など日本経済の基盤を支える業種の銘柄が株価を上げており、日本経済回復の力強い兆しが見えてきたとも感じております。
昨年位までは、企業業績回復の顕著な企業は、その収益源の主なところは海外でのオペレーションにある(日本企業の中国へのトランスプラント)などと云われておりましたが、ここに来てそれが日本の国内にも広がってきたのではないかと思います。(北海道はまだまだであるとの声も聞きますが。)


  • 民間企業も今までのリストラ、合理化モードから拡大成長へと方向転換を始めました。
一昨年位までは人・物・金の圧縮をまず第一義に考え、各企業とも事業の集中と選択により、資金、人材という経営資源をコアビジネスに集中する方針で経営改革を進めてきました。
即ち、ノンコアのビジネスは徹底的に見直して撤退するということを進めて来た訳であります。
今は「攻めの経営」を標榜する企業が増えてきました。その為には優秀な人材の確保と増強が必要となっております。


  • この様な状況下において、いわゆる「団塊世代」が大量定年を迎える事により、一説では07〜09年にかけて105万人の雇用が生まれるといわれている、いわゆる2007年問題であります。


  • 日本の20才人口は1993年の201万人台をピークに減少し続けております。
2005年の20才人口は144万人となっており、今後もこの数字は減少していきます。
又、就業、就学、いずれの職業訓練も受けていない若年層非労働者NEETなどの問題もあります。
これらの景況感に加え、人口構成的な問題も含んでいることから、今後は学生の売り手市場となる可能性も十分予測されます。


  • 全体的にみて労働の需給は需要の増大が見込まれる中で、供給の方は不足気味であるということですが、そのギャップを埋める意味でも女性の就労という問題を各企業において今まで以上に大きな経営課題としてとらえていく必要があろうかと思います。
私共の会社では毎年100人強の総合職を採用しておりますが、そのうち4人に1人が女性であります。数年前までの女性総合職は毎年数人の入社でありましたから、ここに来て急速に女性の比率が高まってきました。
人材の質という面で、あるレベル以上の人を100人規模で確保しようとすると、必然的に女性の比率が高まってきます。以前は総合商社の仕事は女性に向かないのではないかという見方もありましたが、今にして思うとそれは全く杞憂に過ぎなかった訳であります。
海外留学して米国の弁護士の資格を取った人、米国のMBAにチャレンジした人、海外駐在している人、社内結婚した後も頑張って自分のキャリアを積もうとしている人など、女性だからということでの差はもう無くなりました。
女性の場合には出産ということで仕事にブランクが出来てしまいますが、出産後の就労が容易になる様に手当を更に充実させていこうと考えておりますが、これは当社に限ったことではなく、各企業全般に云えることであろうと思います。
昨日、私の秘書二人と食事をしましたが、その一人が来年四月に社内結婚する、結婚後も勤務を続けたいし、出産後も続けたいと行っておりました。男性は「仕事をもつことがあたり前」という気持ちで仕事をしている人が大半だと思いますが、女性もだんだんとそういった感覚に近くなっているのではないかと感じます。
結婚、出産までの数年間という短期間ではなく、ずっと長く続けていこうという意識に変わってきていると思います。



6.学生の就職意識

  • このデータは4年制大学生の就職意識調査のため、大学3年生の11月〜翌1月にかけて実施し、3月に発表したものであります。(回答9,220件)


  • ここ数年、トップを維持していたものの、減少傾向にあった「楽しく働きたい」が今年度は上昇しています。(昨年比 文系男子+6.6%、理系男子+7.0%、文系女子+9.3%、理系女子+12.1%) 「採用増」「失業率低下」「景気回復」などの報道によって学生は採用状況の好転を感じているためか、仕事に「楽しさ」という精神的満足感を求めており、対照的に前年は増加傾向にあった「自分の夢のために働きたい」(全体昨年比△2.7%)といった仕事に「自己実現」を求めるような傾向や「個人の生活と仕事を両立させたい」(全体昨年比△3.0%)といった仕事の厳しさとプライベートを割り切った考え方は薄れています。


  • ここ数年増加傾向であった「大手企業志向」(「ゼッタイ大手企業がよい」+「自分のやりたい仕事ができるのであれば大手企業がよい」)は全体で△0.5%減の47.2%。バブル崩壊後2000年まで低下傾向であった「大手企業志向」はこの5年ほどで回復し、崩壊直後とほぼ同じ水準を維持しています。
又、男女別に見てみると、男子学生においては、「自分のやりたい仕事ができるのであれば大手企業がよい」がもっとも多いですが、女子学生においては「ヤリガイのある仕事であれば中堅・中小企業でもよい」がトップとなり、男女間の志向の差が出る結果となっています。
ここで注目すべき点は、いずれの場合も"自分のやりたい仕事が出来る"、"ヤリガイのある仕事であれば"という前提が付くということであります。



7.学生の就職意識

  • 会社選択のポイントではこの調査を開始して以来、「自分のやりたい仕事ができる会社」が一貫してトップであります。ここ数年の上位5項目を比較してみると、ほとんど横バイもしくは下降している中、「社風が良い会社」が上昇を続けています。ここでも就職観同様、仕事をすることで得られる精神的満足感を求めていることが見てとれると思います。
一方、「行きたくない会社」の上位3項目は前年同様の結果となっています。その他では、「転勤の多い会社」が上昇しており、男女ともに転勤に対する抵抗感が強まっているようです。


  • 私の様に転居を13回も繰り返す様な仕事には就きたくないという人が増えてきているということです。
北海道とか九州、東北など地元から動きたくない、給与等処遇の面で多少の差があっても地元で仕事をしたいという人の為に地域限定(転勤無し)社員制度を設ける会社も出てきていますが、これもその様なトレンドに沿ったものであろうかと思います。
住友商事では北海道支社を分離独立させ、住友商事北海道という子会社を設立して、
当社グループの北海道地域でのビジネスを担っておりますが、ここで採用する人は原則として転勤はありません。



8.就職と人生

  • 先程のアンケート結果をみても会社を選択する場合のポイントとしては、"自分のやりたい仕事(職種)ができる"というのがトップになっており、会社を選ぶというよりは、仕事を選ぶという方が優先している様です。
皆さんに問うてみたい。既に自分の将来についてどの様な仕事に就きたいのか決めている人はどの位いるでしょうか?自分は、将来、民間企業に勤めるか、その中でもどの様な業種に行きたいか、或いは公務員を目指すか、その場合にどの様な職種を考えているのか具体的に考えている人はそんなに多くは無いと思います。皆さんの年頃で、自分の一生をかける仕事はこれである、と明確に決まっていることの方がめずらしいと思う訳であります。
企業であれば、会社に入ってから見えてくる部分がほとんどであり、かくも幅広く活動していることに驚くし、大企業であれば初めの4~5年は全体が見えてこない、自分の位置付も明確に出来ていないという状況が続くと思います。


  • 巣立ってすぐに「よい職業(天職)」に就けたらこれは本当にラッキーだと思います。天職だと思って就いた仕事が、実際に中に入ってみると実は違っただとか、逆に不本意な仕事と思いながら就職してみると、これが自分にはピッタリだ なんていうこともありますが、就職は能力と努力があれば事がうまくいくとは限りません。
私が先程申し上げた様に、運や縁の応援も必要となります。
安定志向で公務員を目指すことが本当に安定的な
生活を得ることになるのか将来のことは本当にわかりません。民間企業はこの十年間本当に血の滲むような合理化、リルトラを進めてきました。公務員の世界はどうなのでしょうか。人員の削減、コストの見直しはこれからだと思います。絶対に安心だと思って選んだ会社が潰れることもあります。金融機関を見てもメガバンクの合従連衡の結果、数が半分以下になりましたし、倒産し吸収された銀行もありました。誰が、拓銀の消滅を予想できたでしょうか。
以前の様に、会社に入って生涯一社でまっとうする という形が徐々に崩れつつあると思います。アメリカに於いては、私が駐在していた頃には既にそうでしたが、自分の専門性を高め、自分のキャリアディベロップメントのために会社を転々とする、いわゆるジョブホッピングは当たり前の様でしたが、最近の日本もその様に変わりつつあると実感しております。住友商事の例ですが、毎年100人強の新卒採用をしますが、10年以内に10%位の人が会社を去りますが、その一方でキャリア採用として中途採用者が己の経験を専門性とセールスポイントにして毎年かなりの人数が入社してきています。昨年度は30人弱のキャリア採用を行い、即戦力として活躍中であります。この様に途中で会社を変わりながら、己のキャリアアップを図るという人は今後増加してくると思います。


  • 職業の選択というのは、何が自分に合っているのか、初めから判っている人は多くは無く、実際にやってみないと判らないというところがあるということです。
これからの時代に仕事で成功するためにはどんな条件が必要か、というアンケート結果があります。

第一に専門的な知識・技能
第二に体力・健康

第一の点は今の皆さんの持っているレベルではなくて、社会に出てから継続的な研鑚によって身に付けていくべきものであると思います。
体力は今が一番あるでしょうが、健康を維持することも仕事を成功させる重要な要因であります。自分のキャリアを自ら切り拓き、築いていく。まさに白いキャンパスに描くがごとくであります。生きるということは、あらかじめ決められた道を、決められた様に歩く事ではなく、自分自身でその道筋も目標も決めなければなりません。


  • 今回の講演に際して、20冊程の本を読み、お話の参考とさせて頂きましたが、その中の一冊に本田宗一郎さんの伝記があり、本田さんの生き方、就業観で皆さんにご紹介したいところがございます。
第一点が「好きなことを仕事にする幸せ」
第二点が「自分のために働く」
第三点が「ある時期徹底的にやってみる」
であります。
本田さんがおっしゃるには、好きな仕事に打ち込むほど幸せな人生はない。
まずは自分の好きなことを見つけ、その好きなことに結びつけることのできる仕事が何かを見つけ、そうした仕事に就くことを第一に考えるべし。
もし、好きなことと結びつかない仕事に就いたときは、仕事の中で少しでも好きな点を見つけることで仕事を楽しくする工夫をすることが大事。
仕事に面白さ、楽しさを見出すことが自分の人生を豊かなものにする第一条件である。
自分の生活をエンジョイするために働くべきであると云っておられるが、真にその通りであろうかと思います。仕事を通じて自己実現を図り、豊かさと夢を実現するという姿勢が必要だと思います。
「ある時期徹底的」にやってみるということは、仕事のことだけでは無く、スポーツなどについても云えることではないでしょうか。大きく伸びる時期があって、その時にとことん打ち込んでみるということであります。どの道であろうと成功した人、後に才能を花開かせた人たちの多くに共通することに、ある時期寝食を忘れるほどそのことに打ち込んだという時期があるということです。
皆さんに申し上げたいのは、その仕事についた2〜3年の間にたとえ未熟であってもその仕事に打ち込み、全力でやった人と、適当にやってきた人とでは、その後大きな差がつくということであります。仕事を覚えていく初めの数年間の時期はとても大切であり、大きく広い土台を作れば大きな家も建つということであります。



9.皆さんへのメッセージ

私は住友商事の人事担当役員として今年4月に入社した新入社員に対して、次の様な内容の講話を行いました。
(1)自分が選んだ会社を好きになって欲しい
  この出会いは運命的なものがあり、結婚と同じである。
  会社は「何々家という家」と同じであり、構成員は社員であり、家族である。
(2)初心忘れず、継続は力なり
  入社した時の気持ちを持ち続け研鑚と努力を続け、
  他人に負けないもの(高度な専門性)を身に付けて欲しい。
  現在皆さんにはほとんど力の差は無いし、たとえあったとしても、
  あるいは差を感じたとしてもそれは長い会社人生の中で生まれる差に比べると
  微々たる差である。今日からの継続的な努力がその後の大きな差になる。
(3)仕事は楽しんでやって欲しい
  その為には心身ともに健康であることが大事である。
  仕事のスイッチオン・オフを明確に切換えてWorkingとLifeのバランスを上手くとって欲しい。
  その為にも自分の趣味を持つことは大事だ。
(4)会社の仕事には予め用意された答えが無い
  だから面白いのだ。様々な応用問題に最適と思われる解を出し、
  それを実行する力が求められる。
(5)人の輪を広げていこう
  会社人としての最大のアセットは人とのつながりである。


  • 繰り返しになりますが、会社の仕事、新たに事業を起こす様な場合でもそうですが、仕事というのは、何か予め正解があって、それを求めていく訳ではないのです。
学校での試験とか入試は、理解力、記憶力、整理力、が試されます。予め用意されている正解を理解・記憶し、それを時間内にどれだけ早く整理しまとめられるかということになります。偏差値という「モノサシ」での序列も、確かにある一面では正しい評価なのでしょうが、人間を総合的に評価するモノサシでは無いということであります。それはある項目について所定の計算式に基づいて機械的にはじき出した人の序列にすぎないと思います。
無数にある人間の能力のうちのいくつかの能力(計算スピードと記憶容量)を測ったものにすぎないのであります。自分の限界を自分で決めつけないで欲しいと思います。
人の能力とは、特に企業人・職業人としての能力には、説得力、決断力、推進力なども求められます。
いくら学問的に知識が豊富であっても、例えば金融工学の知識があるだけでは金融の事業を成功させることは出来ないということであります。事業でその成果を得るためにはリスクを取らなくてはなりません。リターンとリスクをいかにマネージするかそれが事業です。もっと判りやすく申し上げるとスキーのモーグルで難度の高い技と得点との関係を考えてみて下さい。難度が高ければ高い程得点は高くなりますが、失敗するリスクも増大します。選手(事業者)は都度、決断している訳ですが、事業も同じであります。学校の試験では決断力、実行力を試すことは出来ません。


  • 英語の話をしましょう。英語の試験、例えばTOEICがありますが、試験の結果での順番が英語が出来るという正しい順番なのでしょうか。英語は何のために学んでいますか。
試験の為に勉強している訳ではないと思います。それを将来何かの為に使いたい、と思っているはずです。海外旅行でも良いし、仕事での交渉でも良いと思いますが、英語を実際に使って仕事する場合には、人とのコミュニケーション力だとか、その人の人間的魅力、説得力などが英語力その他にも増して必要となります。これはあるレベル以上の英語力があっての話ではありますが、その様な能力は試験では計れません。


  • 色々と書いた「力」の中で「体力」というのはかなり重要だと思います。体力に自信があるという人は本当に自信を持って下さい。持って生まれた体力というものがありますが、これはご両親に感謝しなければなりません。
その状態を30才台、40才台と維持していく、これも先程来申し上げている継続的に何か努力して体力を維持するということも大事なことであり、職業人として勝ち抜く為の大きな武器になると思う訳であります。


  • 企業は若い皆さんに完成された者を求めてはおりません。
ある程度の基礎をしっかりと持っておれば、後は会社に入った後、どれだけ頑張れる人なのか、どれだけ大きく育つ人なのかを評価して採用しています。
短時間の面接で全ての事が判る訳ではありません。従って時には採用ミスの様なことも起こりますが、当社の場合には担当レベル、課長レベル、部長レベル、役員レベルと数回の面接を通して、受験者の人間力を見極めることに主眼を置いております。


  • 「自分の意見をはっきり云える人」で「人から好かれる人」は社会に出てからも大きく成長出来る人だと思います。自分の今はどの様な評価になるのか、皆さん自身が自己評価頂いて、足りないところはそこを強くする、改善する努力をして欲しいと思います。
「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、人間は努力によって大きく変わることが出来ると思います。


  • 最後にチャレンジ精神について申し上げます。
自分が今クリアー出来そうな目標からもう少しストレッチして、それにチャレンジする気持ちを持って欲しいと思います。今の力では少しハードルが高いかな、と思われるレベルに目標を設定し、それをクリアーする為に努力をする。この繰返しによって、人は成長していくと思います。
企業経営も全く同じであります。
住友商事では健全な事業活動を通じてステークホルダーの豊かさと夢を実現することを経営の理念としております。
その為には企業は持続的な成長を続けることが必要であり、それには企業として自立的な改革を進めながら、常に新しい事業 換言すれば新しいリスクへの挑戦が求められるわけであります。


  • 今日の話を聞いて皆さんの中から総合商社に行ってみよう、就中、住友商事に入ってグローバルなビジネスマン、ウーマンになってみよう そういう仕事にチャレンジしてみたいという方が一人でも多く出てこられましたら私の望外の喜びとするところであります。